昨日が嘘のように、風もなく穏やかな一日、
明日も良い天気になってほしいものです。
宗家では、明日の12月13日は『事始め』だそうで、
多数の方々が挨拶に来られ、正月準備も始められます。
この準備は、古来より煤払いから始め、山へ門松をとりにいき、
注連縄作り、畳替えそして障子張の順だそうですが、
今の世の中、なかなかそういう訳には参りません。
極月のお稽古は、昔の御所で煤払い時に饗された『袴腰餅』
を準備しました。皆さんに古の師走を思い起こして頂きましょう。
袴腰餅の作り方は、白玉粉と上新粉、
砂糖を水で溶き、蒸しております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/90/743e2275d9e1fd1f747514bac9820dcc_s.jpg)
蒸し上がると、濡れ布巾に包んで揉み、
分割し、丸め、粉の上で麺棒で伸ばし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/8d/2cc852dd7eb4257440a4aea905b113a4_s.jpg)
粒餡をいれ、形を整え出来上がりですが・・・
砂糖に和三盆を使った為、色が真っ白ではなく
形も上手く台形になりません。
よれよれの袴になってしまいました
御所に納められていた川端道喜さんのは、
餅皮でこし餡を包まれており、形もきりっとした袴です。
明日、時間があれば、作り直しをしたいのですが・・・
検定テキストより
今日はこれはこれで、納得してくださり、
美味しと言ってくださいました。、
もう臘月の半ばです。初釜のお話しでお稽古をおわりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/ca/2a6d6b329d472f2cf30a022bfb9dd0bd_s.jpg)
付記)
なぜ『袴腰餅』なのでしょうか。
煤払いの日、御所では12月20日以降の吉日を選んでおり、
(徳川四代将軍家綱公が、江戸城煤払いを事始めの13日に定め、
宮中も13日にあわせた時期もあったようです。)
その日には、男子禁制が解かれ、女官以外に、
公家、六丁衆(御所出入りの町人)の男性らも繰り込んでおり、
うす暗い殿中でも、袴の腰板を目立つようにしたそうです。
その袴腰を見立てた餅を『袴腰餅』として饗され、
黄色の餅は、クチナシで染められ公家の袴腰を、
赤色の餅は、小豆汁で染められ女官の袴腰で、
白色の餅は、そのままの白で六丁衆の袴腰を表しました。
現在は白なので、町人の袴腰餅のみ残っております。
(茶道文化検定テキストより)
明日も良い天気になってほしいものです。
宗家では、明日の12月13日は『事始め』だそうで、
多数の方々が挨拶に来られ、正月準備も始められます。
この準備は、古来より煤払いから始め、山へ門松をとりにいき、
注連縄作り、畳替えそして障子張の順だそうですが、
今の世の中、なかなかそういう訳には参りません。
極月のお稽古は、昔の御所で煤払い時に饗された『袴腰餅』
を準備しました。皆さんに古の師走を思い起こして頂きましょう。
袴腰餅の作り方は、白玉粉と上新粉、
砂糖を水で溶き、蒸しております。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/90/743e2275d9e1fd1f747514bac9820dcc_s.jpg)
蒸し上がると、濡れ布巾に包んで揉み、
分割し、丸め、粉の上で麺棒で伸ばし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/25/a9/6ec744876b5cc9f3f1aad55fb477c1ed_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/8d/2cc852dd7eb4257440a4aea905b113a4_s.jpg)
粒餡をいれ、形を整え出来上がりですが・・・
砂糖に和三盆を使った為、色が真っ白ではなく
形も上手く台形になりません。
よれよれの袴になってしまいました
御所に納められていた川端道喜さんのは、
餅皮でこし餡を包まれており、形もきりっとした袴です。
明日、時間があれば、作り直しをしたいのですが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4d/22/dadda6fb7a6faadd566dd5f5678084e6_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4e/71/b268199fbbba7198b20f783c1ec189e4_s.jpg)
今日はこれはこれで、納得してくださり、
美味しと言ってくださいました。、
もう臘月の半ばです。初釜のお話しでお稽古をおわりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/ca/2a6d6b329d472f2cf30a022bfb9dd0bd_s.jpg)
付記)
なぜ『袴腰餅』なのでしょうか。
煤払いの日、御所では12月20日以降の吉日を選んでおり、
(徳川四代将軍家綱公が、江戸城煤払いを事始めの13日に定め、
宮中も13日にあわせた時期もあったようです。)
その日には、男子禁制が解かれ、女官以外に、
公家、六丁衆(御所出入りの町人)の男性らも繰り込んでおり、
うす暗い殿中でも、袴の腰板を目立つようにしたそうです。
その袴腰を見立てた餅を『袴腰餅』として饗され、
黄色の餅は、クチナシで染められ公家の袴腰を、
赤色の餅は、小豆汁で染められ女官の袴腰で、
白色の餅は、そのままの白で六丁衆の袴腰を表しました。
現在は白なので、町人の袴腰餅のみ残っております。
(茶道文化検定テキストより)