気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

「珠光茶会」とは

2015-12-14 19:38:15 | お茶会・お茶事
第三回奈良大茶会『珠光茶会』が来年二月、
今年も開催されます。
もうすでに、お茶券等の発売も始まっております。
日程表(クリックで拡大)
パンフレットに、趣旨が次のように書かれております。
”茶道の源流ともいえる奈良の地で「わび茶」を創始した
 奈良出身の室町時代の茶人・珠光にちなみ、
 源とした冬の古都の風情を味わいながら、
 お茶文化に親しんでいただくため、開催いたします。”と
奈良においでの際、ご検討の一つにして下さい。

珠光の作り出した茶室は縮小された4畳半で、
茶席のわびの思想として次の言葉、
月も雲間のなきはいやにて候
また古市澄胤へあてた「心の文」が遺されております。
粗末な道具でも、用いて良しとされる茶の湯、
つまり「わび茶」を創始されております。

もう少しお付き合いください。
お茶の歴史に奈良が一番とは言いませんが、
深く関わっていることに気がつきました。
お茶の始まりは、遣唐使として最澄、空海などの留学僧が、
唐よりお茶の種子を持ち帰ったからとされており、
宇治茶の始まりには、栄西禅師が宋からお茶を持ち帰り、
明恵上人の駒蹄影園碑に記しましたが、
ここ奈良では、以下のように伝えられております。
お茶の種を持ち帰られた空海さんが、
女人高野の室生寺付近に、種を蒔き、製法を伝えられたそうで、
宇陀市榛原の佛隆寺には空海が持ち帰ったという茶臼とともに、
「大和茶発祥伝承地」と書かれた大きな石碑があります。
その後、奈良西大寺の叡尊さんが、一説には、1286年に
宇治川の漁師に茶の栽培を教えたことが宇治茶の発展に繋がり、
遺徳を偲んで、大茶盛式が、

しかし西大寺伝では、叡尊が1239年に八幡神社に献茶した余服を
民衆に振る舞い、そのことに因んでおり、今も続けられております。
そして、「珠光茶会」の名の基になられた
村田珠光さんが、奈良市の称名寺で「わび茶」の創始し、
「茶禮祖 珠光舊跡」と書かれた石碑があります。
さらに洗練し、精神性をも高められた
吉野郡生まれの武野紹鷗(じょうおう)さん、
紹鷗からのわび茶の精神を受け継ぎ、完成させた千利休居士へと
繋がっていくのです。
この頃の茶人、今井宗久さんも、
「朝が来た」のロケ地、奈良橿原市今井町出身でしたね。

歴史を知れば、ますます引かれ、精進あるのみです。