澄み切った青空で気持ちの良い朝を迎え、早々に
近鉄百貨店奈良店六階近鉄奈良ホールで開催中の
円照寺「山村御流いけばな展」へ出かけました。
「円照寺」は中宮寺、法華寺と共に大和三門跡寺院の一つで、
通常は非公開になっており、奈良駅から若草山沿いを南へ向い、
高円山の麓を過ぎた山村の地にあり、別名「山村御殿」とも
山門に続く長い道を往くだけでも・・・(心が静まります)
円照寺は後水尾天皇の第1皇女、大通文智尼が京都の修学院に
1641年開かれた草庵が始まりで、修学院離宮造営のため、
山村の地に近い八嶋に1665年に移転後、1669年現在地に。
道脇に歌碑がひっそりと佇んでいます。
『あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ』
万葉集 巻20 4294 舎人親王
さあ6階EVホール前には子供の背程の大きさの花が。
展示室内に、楚々と花の種類も少なく、
山芍薬だけとか・・・、
花器も素晴らしく、最良のマッチングで、敷板も古材などが。
茶花に通じた活け方で、勉強させていただきました。
帰って調べますと、
円照寺は、『山村御流』のお家元ですが、大通文智尼さまが、
自然の美をそのままに「花は野にあるように」との心で
後代のために規短を制定されております。
1.山居の家風は一花一葉の心となり相(すがた)となる。
2.一花一葉の姿は目立たぬ中に静かな心の美しい相を秘める。
利休居士の言葉等を11代玄々斎(1810-1877年)が纏められた
とされる「利休百首」と同時期の『利休七則』にも
「花は野にあるように」(裏千家HP)または
「花は野の花のように」(利休百首,綾村捷子書)と
大通文智尼さんも、お茶に通じておられたのでしょうか。
その後、茶席へ伺っており、菓子は菊の紋の上用で
赤膚焼の尾西楽斎さんの小ぶりの茶碗(菊紋の天目?)で
良いお服加減でした。
非公開のためか、三面に円照寺の写真がいっぱい、
2月後半だけ奈良交通の観光コースになり特別拝観できたそうで、
来年もあれば是非拝観に伺いたいものです。
茶席の片隅に、短冊が、
『みどりこき 小松の丘は いまもなほ
世のさわめきを おしかへしつつ』
第十世円照寺門主 大慈心院静山尼大禅師
(前家元 山本静山 1916-1995年)
なお円照寺は、三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する
「月修寺」のモデルに描かれており、
最終章でもこの庭が・・・三島は最後の章を入稿後、
1970.11.25市ヶ谷へと向われたそうです。
茶席を出て、もう一度「いけばな展」へと足を向けると
たくさんの方々で、盛況ぶりに驚くとともに、
お世話をされる方々に感謝です。次回も是非
近鉄百貨店奈良店六階近鉄奈良ホールで開催中の
円照寺「山村御流いけばな展」へ出かけました。
「円照寺」は中宮寺、法華寺と共に大和三門跡寺院の一つで、
通常は非公開になっており、奈良駅から若草山沿いを南へ向い、
高円山の麓を過ぎた山村の地にあり、別名「山村御殿」とも
山門に続く長い道を往くだけでも・・・(心が静まります)
円照寺は後水尾天皇の第1皇女、大通文智尼が京都の修学院に
1641年開かれた草庵が始まりで、修学院離宮造営のため、
山村の地に近い八嶋に1665年に移転後、1669年現在地に。
道脇に歌碑がひっそりと佇んでいます。
『あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ』
万葉集 巻20 4294 舎人親王
さあ6階EVホール前には子供の背程の大きさの花が。
展示室内に、楚々と花の種類も少なく、
山芍薬だけとか・・・、
花器も素晴らしく、最良のマッチングで、敷板も古材などが。
茶花に通じた活け方で、勉強させていただきました。
帰って調べますと、
円照寺は、『山村御流』のお家元ですが、大通文智尼さまが、
自然の美をそのままに「花は野にあるように」との心で
後代のために規短を制定されております。
1.山居の家風は一花一葉の心となり相(すがた)となる。
2.一花一葉の姿は目立たぬ中に静かな心の美しい相を秘める。
利休居士の言葉等を11代玄々斎(1810-1877年)が纏められた
とされる「利休百首」と同時期の『利休七則』にも
「花は野にあるように」(裏千家HP)または
「花は野の花のように」(利休百首,綾村捷子書)と
大通文智尼さんも、お茶に通じておられたのでしょうか。
その後、茶席へ伺っており、菓子は菊の紋の上用で
赤膚焼の尾西楽斎さんの小ぶりの茶碗(菊紋の天目?)で
良いお服加減でした。
非公開のためか、三面に円照寺の写真がいっぱい、
2月後半だけ奈良交通の観光コースになり特別拝観できたそうで、
来年もあれば是非拝観に伺いたいものです。
茶席の片隅に、短冊が、
『みどりこき 小松の丘は いまもなほ
世のさわめきを おしかへしつつ』
第十世円照寺門主 大慈心院静山尼大禅師
(前家元 山本静山 1916-1995年)
なお円照寺は、三島由紀夫の小説『豊饒の海』に再三登場する
「月修寺」のモデルに描かれており、
最終章でもこの庭が・・・三島は最後の章を入稿後、
1970.11.25市ヶ谷へと向われたそうです。
茶席を出て、もう一度「いけばな展」へと足を向けると
たくさんの方々で、盛況ぶりに驚くとともに、
お世話をされる方々に感謝です。次回も是非