気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

侘助椿で

2016-12-11 21:57:13 | 日記
雲間から時折陽が射し込み、マラソンには良い条件の日
奈良マラソンが行われました。
『一万人暮の大和路駆け抜ける』愚句
そのため奈良市内は交通規制がなされ、午前8時半頃からは
市内へ車で向かうことは困難になります。
今朝から先生のお稽古日と重なってしまいました。
一昨夜から孫が泊まりに来ており、早く準備したはず・・・
でも規制が始まる所に着いたのは1分過ぎで、右折の指示が、
どうしましょう・・・突然前車が通させてもらっており、
それに続くことで、何とか到着することが出来ました。ドキドキ
今日は、許状を頂く日だったからです。
利休居士の見守るお席で
先生の厳粛で真剣なお点前で、御茶一服。
お茶に巡りあえてよかった。
そんな時間が有難く・・・
私にとり、マラソンの42.195kmは気が遠くなりますが、
お茶の道を一歩一歩確実に前に進んでいきたいものです。

庭では、数日見ない間に『白侘助』が昨年より遅く
咲きだしておりました。
 
特に「侘助・ワビスケ」は、椿の中でも可憐にかつ慎ましく咲き
一重の侘助は「わび」「さび」の象徴として茶花の代表的な
ものとされており、三月過ぎまで重宝いたします。
この「侘助椿」を巡り、名前の由来には諸説ありますが、
日本語辞典によりますと、
・朝鮮出兵で侘助なる人が持ち帰ってきた説、
・千利休に仕えこの花を育てたとする「侘助」の名前からの説、
・茶人・笠原侘助が好んだことに由来する説など、

でも今日の私にとって、また新たな一歩を踏む出したばかり、
この侘助椿を眺めておりますと、茶の湯に熱心なものを指す
「数寄・好き」から「侘数奇・ワビスキ」を転じた「侘助・ワビスケ」
という説に共感を覚え、精進しなさいと諭されておりますね。
ネットより拝借
京都の大徳寺総見院のかたわらに「豊公遺愛のわびすけ」と
いう石碑の建つ、樹齢約400年の老大木があります。
寺伝によれば、本樹は秀吉が千利休から譲り受けて植えられた
胡蝶侘助だといわれており、一度拝見したいものです。

『ミロコマチコ』美術館「えき」KYOTOで

2016-12-10 11:39:56 | 美術館・博物館
彗星のごとく現れた注目の絵本作家・ミロコマチコさん

絵本「オオカミがとぶひ」が第18回日本絵本賞大賞を
2013年に受賞されております。
今回『ミロコマチコ‣いきものたちの音がきこえる』展が
JR京都駅ビル内にあるジェイアール伊勢丹京都店7F、
美術館「えき」KYOTOで開催されており、京都北山での
19時からのコンサートの前に訪れました。久しぶりの夕方の京都駅
近鉄東寺付近では、ライトアップされた五重塔が見えました。
  駅ビルから
3Fにあるクリスマスツリーが見れる大階段からでも
7Fに入ることが出来る小さな美術館です。
若い方が数人、魅入ったように鑑賞されております。

5つの章に分けてそれぞれの「いきものたち」が現れます。
展示室、天井からも吊るされて展示されておりました。
1.大地をふみならす
トナカイ青、
ゾウ2014
黄色のイノシシ2014
ジャガー2015部分
2.そらを吹く
オオカミがとぶひ2012
3.ひびく夜
グランドガゼルもまってる2010
4.芽生えのうた
円形に描からえたサバンナの様子が吊るされており、
想像をかきたてます。
オレときいろ2015
5.庭のこえ
ベニトラシャク2016
猫がシンクの中で寝ていたりしており、
出口の壁に小さくコウモリさんが、カワイイーー、
ミロコマチコのサインとともに。
孫を連れてきたら喜ぶのでしょう。

「プラジャーク・クヮルテットwith山崎智子」を京都で

2016-12-09 11:55:07 | 音楽
午後7時前の京都地下鉄北山駅のすぐそばの植物園は真っ暗
でも「京都府立陶板名画の庭」は怪しい光で彩られ、
笙・篳篥などの雅楽の音が聞こえ焚きました。
アートプロジェクト「京都北山光の庭」と銘打ち
「神宿る・神游び」の光の世界が開催中16時から20時まで
 
入場無料なので、少しだけ中に、
コンクリートの壁に源氏物語の世界、
桐壷、花宴、幻・・6つの歌が浮かび上がっておりました。
 
午後7時から「プラジャーク・クヮルテットwith山崎智子」
京都コンサートホールへ急がなくては行けません。
通路からの「最後の審判」ミケランジェロも怪しげ

今日のコンサートホールの廻りが、平日なのに明るい?
クリスマスツリーや地面にトナカイ等も投影されており、

大ホールでアロージャズオーケストラがもうすでに開演中
小ホール「プラジャーク・クヮルテットwith山崎智子」
八分くらいの入りです。

プラジャーク・クヮルテットは、チェコの弦楽四重奏団で
1972年結成され2010年までは初期メンバーであったが、
2015年に第1ヴァイオリンを若手女性ヴァイオリニスト
ヤナ・ヴォナシュコーヴァの加入により、新時代を迎える
[Vn]ヤナ・ヴォナシュコーヴァ、
[Vn]ヴラスティミル・ホレク
[Va]ヨセフ・クルソニュ、
[Vc]ミハル・カニュカ で構成され、
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第10番変ホ長調op.74[ハープ]
約30分の演奏時間、渋い曲なのですが若手をうまく盛り立て、
音の鮮やかさにもう少しこの4人を聴きたいと思わせました。
そして[Va]山碕智子さん(ロータス・カルテット)が加わり
モーツァルト:弦楽五重奏曲 第4番 ト短調 K.516
車の中で一番よく聞く曲(CDを替えないからなのですが)で
アルバンベルグ盤と引けを取らない華麗な演奏の半時間。
休憩後、後半は、期待させまいた。
ブラームス:弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 op.111  
半時間程度でゆっくりめ?、二本のビオラは大活躍で、
きれいなワルツも聴けました。
大拍手です。アンコールは
モーツァルト弦楽五重奏曲第1番変ロ長調K.174から第三楽章
響きが若々しさに溢れており、若手が加入されたことより
今まで以上に音楽的な深みが増してくることでしょうね。

今後のプラジャーク・クヮルテットの予定です。
12/9 (金)大阪倶楽部4階ホール
12/11(日)愛西市文化会館 ピアノ榊原祐子、コントラバス榊原和修
12/12(月)愛西市文化会館 マスタークラス

ラジオ深夜便「マタハラ」のお話で

2016-12-08 12:45:55 | 日記
昨日は京都へ出かけており、街はクリスマス一色、
京都駅ビルのツリーですが、半数は外国からのですね。
    
夜遅く帰ったのにかかわらず、
ふと目を覚ますとまだ四時半前、もう少し眠れますが、
NHKラジオ深夜便のきょうの「誕生日の花と花言葉」が
聴きたくなり、そっとレシーバーを当てると”マタハラ”と
女性の飾りっ気のない話しぶり、NPO法人マタハラNet前代表
「小酒部さやか」さん、一人で同じような体験をされた方々の
お話を聞くことから始められ、この会の代表になるきっかけは、
”流産を二回し、私には子供がいなかったから”とさらっと。
また世界で活躍する女性10人の一人に選ばれておられるのに、
”選ばれたのは発展途上国の方ばかり、マタハラに関し日本は
それだけ遅れているということですよ”と
この二年で、法改正もあり著しく良くなってきていますが、
厚労省の通達でマタハラの定義が変わったことが大きいと。
私も二頭馬車で、三人を育てるため走ってきましたから、
昔の男社会のなかの女性、よーく解かります。
(私の場合は義理の父母も頑張って頂けました)
少子高齢化の社会、マタハラの先には、育休、病休、さらに
管理職の介護休暇ハラスメントが待っているとのことで、
目指すは『働き方をかえ、多様な働き方を認める社会』、
そうですーーー、若い方々は頼もしいですね。

なお12月8日の花は『チャ』で花言葉は「追憶」
チャは栄西(えいさい/ようさい、と呼ぶ)さんが、中国から・・
よく御存じですよね。
栄西禅師は、奈良にも関係があります。
建永元年(1206年) 重源の後を受けて東大寺勧進職に就任され、
国宝の東大寺鐘楼を再建されております。

二月堂「仏名会」とは

2016-12-07 12:55:01 | 日記
奈良の最低気温は0.9℃、一番冷え込んだ朝を迎えました。
雀のさえずりに目を向けると、澄み切った青空に飛行機が、
そしてスレート屋根が朝日を浴び、霜が光っております。
  
12月の14日(水)の午前中に東大寺・二月堂で行われる
仏名会・ぶつみょうえ』をご存知ですか?
 
二月堂と言えば一か月間にも及ぶ苦行の「お水取り」、
正式には「修二会」で有名ですが、14日の半日とはいえ、
五体投地(両肘、両膝と頭を床につける)を1000回、
終わるころには、額から血が出るのだそうです。
これをHPでは『千反礼拝』と簡単に記されています。
こんな『仏名会・ぶつみょうえ』をお教えいただいたのは
東大寺持宝院・上司永照師、昨年「明恵上人より学ぶ」の
お話を聞いており、巧みな話術と読経の声を思い出しました。
今回も、過去の法会の写真を交え、難しい話も笑いもありで、
師は、法会の楽しみは、二月堂受納所での「のっぺ汁」を
頂ける事なんですと笑いを取っておられ、また若い時分、
下座時代は本当に重労働(五体投地を忠実に実践する)、
これを新薬師寺の住職は新薬師寺と東大寺での二回も
修されるのは”すごい”と、
本当は、東大寺もお坊さんの人材難だそうです。・・・
あっという間に終わりの時間になりました。

「仏名会」は、大辞林によると、平安時代初期宮中にて
12月19日から3日間仏名経によって三世(過去現在未来)の
仏の名前を3日間唱えて、罪の消滅を祈る法会(懺悔)・・・
東大寺では834年に懺悔に祈願を付け足し始まり、諸寺でも
歳末の締めくくりの仏会として、盛んに行われたが・・・
現在の仏名会は大正時代に二月堂・稲垣晋清師が再興され
過去・現在・未来と3日間にわたり修されておりましたが、
重労働が故に、昭和17年からは3か年で祈修することになり、
今年2016年は過去、2017年は現在、2018年は未来にと
簡略化されております。
法会の次第、東大寺HPからですが、
薬師如来(過去)・釈迦如来(現在)・阿弥陀如来(未来)を
主尊とするそれぞれ一千の仏像をえがいた大きな掛け軸を三本、
二月堂礼堂正面に掲げて、その前で「過去」「現在」「未来」
いずれかの一千仏に、僧侶が礼拝を行われます。

一千仏への礼拝は仏名を唱えながら1回毎に、両膝‣両肘‣額の
五体を疊にすりつけては立ち上がる礼拝が基本で、
特に下座の者は忠実に実践することが求められ、・・・
先導して仏名を唱える導師の役は、管長以下の僧侶10人が
順次正面仏前へ出て100回ずつ分担することになっている。
(10X100=1000回ですから最後は血がでるのですって)
(最後に「懺愧懺悔六根罪障」と唱え一礼)
この一千仏の仏名等を唱える節回しは独特で、
(経典の写真に印が書かれており、唱えられるとすごい響き)
末座の者が礼拝するたびに献ずるお香の香りや、
山茶花の花の色あいとともに、風情があり印象深い。
山茶花の花は、二つ並べ置かれた三方(さんぼう)の片方に
二百個盛られ、一度礼拝するたびに他方の三方に移されます。
山茶花の花の盛り具合で仏名の数の進み具合が見て取れる。と

この『仏名会』が終わると、12月16日には
翌年の修二会参籠の練行衆交名発表があります。
上司永照師は上から三番目の咒師になられるのでしょうか?
楽しみですね。

参照)
『懺愧懺悔六根罪障・ざんぎさんげろっこんざいしょう』とは
 懺愧  ;罪を恥じる事
 散華  ;罪咎を悔いて許しを請うこと
 六根罪障;眼、耳、鼻、舌、身、意の六根(感覚器官)から
      起こる様々な罪障

奈良のっぺ
 サトイモを主にダイコン、ニンジン、ゴボウに油揚げも入り
 具だくさんの煮物でサトイモで自然にとろみがつきます。

奈良春日大社若宮「おん祭り」の12月17日には、
「のっぺ」を食べる習慣が昔から続いています。
美味しそう、私も作ってみたいです。

雪虫って知っていますか?

2016-12-06 15:28:35 | 日記
日曜日、充実した稽古終わり帰る方向が同じ稽古仲間の方と
駐車場までの道すがら、お一人が白いものがフワフワと舞い
雪みたいに飛んでいるのを見つけられ、
”なんでしょうか”と問いかけられますが・・・?
”雪虫といい、北海道では初雪の前触れを知らせる妖精と”
なんとかわいらしい呼び名、一つ勉強になりました。
日本の文化を伝承されている方からなのでしょうか。
よくよく思い出してみると、故郷富山でいう『雪虫』は、
春の雪解けや夏の雪渓にいる黒い虫のはずですが・・・
(*セッケイカワゲラのことで夏は雪渓虫とも)
写真はなかなか上手に撮れませんが・・・

家の戻り、雪虫(ゆきむし)を調べてみると、(ウキペディア等)
アブラムシの仲間の「虫」、お腹の部分の白い綿は分泌
された臘物質で、この白腺物質を分泌する腺を持つ
タマワタムシ科に属するアブラムシを「ユキムシ」と総称するそうで、
北海道では大きなトドノオオワタムシがよく見られます。

俳句では初冬の季語になり、明治以後「綿虫」として用い、
大綿、雪蛍、雪婆、白粉婆(しろばんば)とも
『雪虫のゆらゆら肩を越えにけり』
            臼田亞浪 
次の日、月曜日は本当に温かい朝で、ゴミ出しで外に出ると
白いものがフワフワと舞っており、雪虫です。
あわてて、カメラを
 
何とか一枚撮ることが
⇒拡大⇒
このロマンチックな冬の風物詩「雪虫」が現れてから
7~10日ほどで初雪と云われておりますが、
ウェザーニュースによる調べでは平均21日という結果に。
でも気象予報では明日から本格的な冬が来るそうで、
奈良にも雪虫が冬の訪れを教えてくれているのでしょうか。

追加)
奈良県出身の作家、川村たかし著「新十津川物語」
シリーズ6に『雪虫の飛ぶ日』偕成社があります。
明治、大正、昭和を生き抜いた女性の一代記で、
明治22年奈良の十津川を襲った大水害で、やむなく北海道へ
入植された方で作られた新十津川村が舞台になっています。
奈良十津川流域には白粉婆(しろこばば)の伝説があり、
雪虫の別名に白粉婆があり、そのことを作者は意図して
表題に用いたのではとも考えられないでしょうか?。
NHKでドラマ化されており、アーカイブスで観るか、
図書館で本を借りるかしなければなりませんね。

Pleated Skirt Cakeは袴腰餅のこと、今年も挑戦!

2016-12-05 14:26:36 | 書籍
臘月に入り先週の土曜日の自宅稽古の主菓子は、
13日の事始めには少し早いのですが、
昨年同様「袴腰餅」をお出ししました。
英語では「Pleated Skirt Cake」と呼ぶと記された、
一冊の本が手元にあります。
『Wagashi 和の菓子』ピエ・ブックス2003.9.17
     高岡一弥、高橋睦郎、与田弘志
The graphics of Japanese Confectionで、   
11月から始まる茶の暦と同様、11月、12月、1月・
・・9月、10月と和菓子が文章、写真やイラストで
紹介されています。
 
p16.17に「袴腰餅」川端道喜さんを紹介されており、
左側に文章(日本語、英語)、右側に和菓子写真の構成、
著作権もありますのでNG、写真は検定テキストからに。
茶道文化検定テキストより
こんなのが作ればよいのですが、今年も挑戦!
白玉粉と上新粉、砂糖を水で溶き、45分蒸します。

蒸し上がると、濡れ布巾に包んで揉み、分割し丸めます。
粉の上で麺棒で伸ばすと、中に粒餡をいれ、折り返し
形を整えると出来上がりになります。
昨年の反省で砂糖は和三盆からテンサイ糖のグラニュー糖に変え、
昨年より柔らかく仕上がりました。
さらに折り返し方も台形の上辺からを、台形の下辺から
上に折り返すと簡単に台形に仕上ったことです。
 
写真の奥に、出来上がりが見えますね。
16個、何とか形になりました。
写真を取り忘れ、冷凍状態の袴腰餅になります。
 冷凍
お稽古、お待ちしております。

臘月の玄関は「寺落葉」の色紙を

2016-12-04 16:38:02 | しつらえ
今日も晴れた朝、車で奈良市内までお稽古に伺う途中、
家並みの中から道の奥に、ややくすんだ若草山が、
  帰り
季節の変わり目を教えてくれます。でも大仏殿の鴟尾は
いつも通りで、ざわついた気持ちを引き締めてくれます。
月一回のお稽古は「壺荘付花月」、月を引きますと・・・
ああー、乳緒を結ぶことが・・・

お伺いいたしますと、
なんと口切の茶事稽古から始まりました。
席入り、亭主、客の挨拶、茶壺の拝見、お茶入日記の拝見、
葉茶じょうご等の準備、
茶壺の口切、葉茶を出してすぐに封印する。それぞれの仕方、
又、茶壷の見どころ、石臼、茶掃箱の仕組みなど
内容の濃いお稽古でした。
昨年の大和郡山の菊屋さんでの口切茶事は初めてで、
何が何だかわからないうちに終わってしったのですが、
先生の所作等を見逃さないよう、聞き洩らさないよう・・・
その後、壺荘付花月もお教えいただけ嬉しい限りでした。
帰り着くと、もう雨がぽつぽつと・・・
きっと寒気をたくさーん、運んでくるのでしょうね。
========================================
我が家の臘月の玄関のしつらえです。
紅葉、あけびのつる、ザクロは最後のお勤め?、
さんしゅゆの赤い実を添えてみました。
  
色紙は、落ち葉を踏みしめるこの季節ですから
根津美術館で買い求めた『落葉切・おちばぎれ』、
題「寺落葉・」を
せきでらや人もかよはずなりぬれば
     もみぢゝりしくにはのをもかな



『落葉切』とは、茶道大辞典によれば、
”藤原定家が1201年に後鳥羽上皇の熊野詣のおり
 那智で「深山風」と「寺落葉の」二首懐紙を詠じた
 断簡であると思われる”と
根津美術館蔵を含め三幅伝わっており、
1.鴻池家伝来で逸翁美術館蔵
「こけふかきふもとのてらをきてみれば
       このはにひびくいりあいのかね」
2.香雪美術館蔵 
「しきみつむこけのかよひぢあともなし
         みねのあらしの木葉ふく比」
3.根津美術館の『寺落葉』は西本願寺伝来のものだそうで、
『古筆辞典』 春名好重/編著 淡交社 1985年には
”『落葉切』の料紙は楮紙、縦31.4㎝横22.5㎝、
 題を「寺落葉」と書き、歌を二行七字に書いている。
 行の長さは28㎝ばかりである。~中略~
 『落葉切』は行をつめていないので二首懐紙の断簡らしい。
 「寺」は小さく書き、「落葉」は大きく書いている。
 懐紙は料紙を左手に持って怱卒に書くので字形は整っていない
 しかし筆力がある。~略~文末に
 筆者は西行(1118~1190)といわれている。
 しかし西行の真跡ではない。
 書写年代は鎌倉時代の初めである。”と。

臘月は「看々臘月尽」と「今日無事」に

2016-12-03 15:30:21 | しつらえ
師走初めての稽古日、今朝は2.5℃まで下がり、
温かい南側の小間と寒い北側の広間と迷うも、
四人さんがお出でですので、広い方がと思い、
雨戸をあけたところ、北側なのに陽が差し込みます。

不思議な陽ざしで、畳に頭をつけて観てみますと
ご近所のガラス窓に反射した朝日でした。
陽の柔らかさに得をした気分で、準備を始めました。
お昼に近づくにつれ朝の寒さが嘘のように、気温が
上がり昨日と同様な小春日和。でもこの部屋は
暖房を入れてもなかなか、・・・。
  
お出でになり、お話するなかで、皆様忙しそうです。
師走になると不思議といろんなことが重なりますね。
忙しい最中に関わらずお稽古に来て頂け嬉しい限りです。
十二月(師走・終月・臘月)一年間を振り返り、
広間の軸は「今日無事」こんにちぶじ、
筆は興福寺元貫主・多川乗俊さんで、
”平穏静謐に過ごせますよう、毎日毎日が無事に”と
(茶掛けの禅語辞典より)
 
小間の軸は『看々臘月尽』みよみよろうげつつく
筆は大徳寺黄梅院、住職・小林太玄師
”みるみるうちに一念が暮れようとしている・・・
 人生の臘月に悔いを残さぬよう、一日一日一刻一刻を
 大切に、また確実に生き抜き、日頃から無常を念じて
 つまらぬことに心を奪われることなく精進せよと・・”
(茶掛けの禅語辞典より) 

精進あるのみですね。

千田嘉博先生の話「大和郡山城の天守は二条城へ」

2016-12-02 09:16:42 | 日記
温かい朝を迎え小春日和の中、朝一番の用事を済まし、
昼からは袴腰餅を作らなければなりません。
先日、城博士で有名な千田嘉博先生の「大和の城を歩く」と
題された講座へ参加してまいりました。
登壇されるなり、NHKの趣味どきっ!「お城へ行こう」同様、
軽快な話しぶりで、監修にあたられた「真田丸」の逸話を
”もう終わりですので、話ができるのですが”と言葉の端々に
織り込まれて、難しい話も飽きさせることなく、本当にお上手。
「大和の城」大和郡山城、信貴山城や高取城など多いのですが
荒れており、奈良県はお城の保存に関しては遅れているとの
苦言から始まり、これほどの天守を適切に整備できないとすれば
惜しまれると苦言で結ばれており、県民としては考えねば・・・
写真は大和郡山城の石垣ですが、石垣の間から草木が生え放題
11月下旬 三月下旬
大和郡山城は、日和見の筒井順慶が1578年から築城し始め、
1585年に豊臣秀吉の弟・豊臣秀長が入城。この時の秀長は
百万石を領有し、天下人の城の格式を供えていたことが、
大和郡山市の天守台の発掘(全面発掘ではないと苦言)を含め、
明らかにされております。
 
五重の天守+付櫓で、花頭窓と高欄をもつ華麗な姿で、
郡山城CG再現プロジェクトをご覧いただければ。
でもこの天守、どこにいったのでしょうか。
壊された?、いえ当時はエコな社会ですから徳川の城へ
移築されており、それも二条城の天守に。それは・・・
一つ目は、大工さんの技術書であった「愚子見記」に記述
  大和郡山城⇒二条城(1602年)⇒淀城(1624年)
二つ目は、この淀城(1756年に落雷で焼失)天守台発掘と
  大和郡山城発掘の成果が合致し、
  さらに「淀城天守指図」との一致しているとのこと。
淀城天守指図
このことから「愚子見記」の記述が正しいことが証明され、
さらにこのことが、当時の一流絵師が描いた絵画資料から
も伺えるのだそうです。
岩佐又兵衛「舟木本洛中洛外図屏風」1615年の作で
五重付櫓の天守、花頭窓と高欄をもつ華麗な姿が描かれ、
舟木本洛中洛外図屏風の二条城
九州国立博物館「高津本洛中洛外図屏風」1624-1625では
二つの天守が描かれており、上が元大和郡山城天守で淀城へ
移築前、代わりに下が元伏見城の天守が移築されてきており、
二つの天守が並んでいます(本当)。

私もこれから城を愛する「城ガール」??に