語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『青きドナウの乱痴気 -ウィーン1848年-』

2010年07月06日 | 歴史
 1848年のウィーンは、社会階層を反映する街の構造だった。
 当時ウィーンは、市壁と土塁の二重の壁に囲まれていた。ドーナツの穴にあたる真ん中は中世以来の都市、市内区で、市壁によって環状に囲まれていた。市壁の内側600歩までは緑なすグラシであり、市内区は4区に分かれていた。
 グラシの外が市街区で、これをリーニエと呼ばれる土塁が取り巻いた。市街区は、小市民、親方や職人が暮らす商工業の街で、34行政区に分かれていた。
 リーニエの外には「他国者」が住んだ。「プロレタリア」であり、「下民」であった。「プロレタリア」のなかには大勢のボヘミア人がいた。

 本書は、こうしたウィーンの地理的構造を背景に、1848年の3月革命から10月革命までの時間的推移を横軸にとり、社会各層の動きを縦軸にとって、はハプスブルグ家が支配する帝国の末期を立体的に描く。
 「プロレタリア」に焦点があてられるが、学生、ユダヤ人、女性の生態や動き、小市民におけるエリート層である家主や親方の生活もあまねく描きだす。
 ハプスブルグ家の帝国は、多数の民族をかかえ、民族紛争の火種をあちこちに抱えていた。民族の利害は錯綜していた。ハンガリー人は革命を支持し、ハンガリーから独立をめざすクロアチア人は革命勢力に武力で対抗した。
 今日、殊にソ連崩壊後、世界的規模で勃発する民族紛争の雛形を本書に見てとることができる。

 民衆の特異な直接行動、シャリバリが活写されていて興味深い。
 民衆のうらみをかった行政官や家主、パン屋や肉屋が、家の前に集合した民衆によって、演説、笛入りの「猫ばやし」でなじるられるのである。身体的危害は稀れだったらしいが、シャリバリをやられた側は精神的にこたえたらしい。

 10月革命は、最終的には軍隊によって蹴散らされるが、最後まで頑強に抵抗したのは無産の「プロレタリア」であった。
 著者は、マルクス主義成立史に関心をはらう研究者だが、理論に走らず、あくまで史実をたんねんに拾って歴史を再構成している。図版など史料が豊富で、眺めて飽きない。

□良知力『青きドナウの乱痴気 -ウィーン1848年-』(平凡社、1985)
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