野口悠紀雄は、第8章「日本の進むべき道は何か」で提言する。以下、要旨。
1 新興国シフトは日本の自殺行為
外需を新興国にもとめても、日本の製造業は復活しない。なぜなら、(1)GDPが増えたといっても、米国にくらべるとまだ小さい。成長率が高くても、需要総額はさほど大きくなく、(2)新興国の一人当たりの所得水準がきわめて低いからだ。
新興国むけの低価格最終需要消費財は「コモディティ」である。コモディティ生産では、価格競争によって利益と賃金が低下する。日本の賃金は中国なみの水準に低下する。この方向を志向すれば、日本は貧しくなる。「デフレ脱却」とは正反対の方向にいく。
新興国むけ最終消費財の生産は、拠点を海外に展開せざるをえない。企業の存続には役立つかもしれないが、国内の過剰な生産能力に対する解決にはならない。
需要を拡大することで過剰生産能力を覆い隠そうとする政策は、15年間続けられて失敗した。これ以上継続することはできないのだが、いま日本は同じ過ちを拡大したかたちで繰り返そうとしている。日本は「再び失われる15年」の入り口に立っている。
基本的な方向は、新興国の需要を追求することではなく、新興国の安価な労働力を利用することである。適切な国際分業、水平分業を実現することだ。
2 内需主導型の経済へ
冷戦終結後、旧社会主義圏に閉じこめられていた大量の労働力が市場経済にはいり、製造業のコストを引き下げた。これが国際分業の条件を基本的に変化させた。
1980年代以降、中国の工業化により、国際分業の条件は大きくかわった。中国工業化の影響が顕在化した1990年代から、産業構造改革の必要性がますます重大になった。
自民党政権は、輸出主導型製造業を基盤にしていた以上、外需主導型からの脱却は不可能だった。高度成長期に強かった分野(従来タイプの製造業)に固執した。その延命のため、円安、金融緩和政策に頼ってきた。
延命措置は小泉純一郎内閣時代に顕著になり、財政引き締め・金融緩和が強化された。円安方向への政策が積極的に行なわれた。輸出が伸び、外需依存型の景気回復が実現したことで、問題は覆い隠されてしまった。小泉内閣は、構造改革を行ったどころか、まったく逆に、古い構造を温存したのだ。
こうした経済成長は、2007年以降の世界経済危機のなかで破綻した。
生産能力を所与として販売を拡大する、というビジネスモデルは、もう継続できない。現在存在する過剰施設を廃棄せず、それに見合う需要を探しだす、という考えに基づく「潜在成長力」の概念には問題がある。日本の産業構造を大転換させる必要がある。
とりわけ、製造業で過剰になっている労働力を吸収できる産業をつくることだ。
新しい需要は、現在の生産能力とは別のところに見出されなければならない。需要の、ことに個人消費支出の継続的拡大が重要である。
財政支出拡大を日本の構造を改革する促進剤とし、これにより日本経済の大転換を図ることは可能だ。具体的には、(1)介護などの分野に資源と労働力を投入する。(2)都市基盤の整備を図る。(3)農業を改革して、未来の日本を支える産業に転化する。
3 介護における雇用創出プログラム
雇用調整金やエコカーへの買い換え補助などの一時しのぎの緊急避難策から脱却し、強力な雇用創出プログラムを開始する必要がある。
日本の完全失業者は324万人である(2010年2月現在)。また、雇用調整金の申請対象となっている労働力は172万人存在する(2010年1月現在)。さらに、企業内過剰労働力は、500~600万人規模で存在すると推定される。
他方、介護分野は、現在でも労働力が不足しているし、2014年には140~160万人の介護労働者が必要になると試算されている。しかし、現状では、必要な労働力が確保できるか、定かではない。
介護関係労働者を必要な数だけ確保できないのは、低賃金だからだ。2008年の平均年収をみると、全労働者452.8万円、訪問介護員263.2万円、介護支援専門員367.5万円。ちなみに、看護師は415.9万円である。他職種との格差が鮮明だ。
2007年の訪問介護員・介護職員の離職率は21.6%(入職率は27.4%)で、全労働者ベースの15.4%と比較するとかなり高い数値だ。
ふつうは、人手が足りなくなれば給与水準が上がり、それによって人手が集まる。しかし、現在の制度(介護保険)では、給与を高くすると保険料が高くなり、人々の負担が増える。ここに問題の深刻さがある。制度やしくみをを換える必要がある。
介護費用は保険と公費でまなかっている。
介護は医療に似ているが、医療とちがって、必ずしも専門的な知識が必要とされるわけではない部分は市場化することが可能であり、必要でもある。介護保険では最低限のサービスを確保することとし、市場でのサービス供給を拡大していくとよい。
介護分野に異業種からの参入があって然るべきだ。製造業がその施設と人員を転用して介護分野に進出してもよい。転換で利潤が確保できるかどうかは、料金体系や公的補助などをどうするかにもよる。工場を福祉施設に転換する際に、補助があってもよい。
4 日本の最大の悲劇は政治の貧困
内需主導型の経済とは、ある意味で花見酒経済だ。
輸出産業が外貨を稼がないと、経済活動に必要な原材料を海外から買う資金がなくなる。介護産業と消費財生産活動だけが拡大すれば、日本は早晩行き詰まってしまう・・・・という心配は当たらない。
現在の日本は225兆円という巨額の対外純資産を保有している(2008年末)。ここからの収入である所得収支が巨額で、1兆2,468億円の黒字がある(2009年7月)。海外から資源その他を購入するための資金は、これによって賄うことができる。
内需中心の経済構造に移行すれば、貿易黒字は縮小し、あるいはマイナスが固定化する。しかし、所得収支の黒字がこれを補うので、国際収支上の問題が生じることはない。1980年代には外貨を稼ぐ必要性が高かったが、この点で日本は変わったのである。
内需拡大策は、原理的には可能である。
生活基盤施設整備や介護サービスの拡充などに関しては、公的主体の役割が大きく、財政が重要な役割をはたす。財源の確保もさりながら、都市の新しいビジョン、介護のシステムや制度の見直しが必要だ。
ところが、都市基盤整備にしても介護や農業についても、現在日本の政治状況では実現できない。経済的・原理的には解決可能でありながら、現実の制度を変える政治的なリーダーシップがないために、どの分野でも立ち往生してしまう。
問題は、経済面にはなく、政治面にあるのだ。この重大な時点において、政治がまったく機能していないのである。
さらに問題なのは、日本の政策決定能力が低下していることだ。1980年代までの日本は、官僚機構が政策の立案をおこなってきた。しかし、1990年代以降、「官は悪」という考え方が強くなり、この部門が弱体化した。政治も劣化した。したがって、いまの日本には、まともな経済政策を立案する体制がほとんどない。ために、経済政策は従来型の産業の救済を目的としたものになってしまっている。
【参考】野口悠紀雄『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 』(ダイヤモンド社、2010.5)
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1 新興国シフトは日本の自殺行為
外需を新興国にもとめても、日本の製造業は復活しない。なぜなら、(1)GDPが増えたといっても、米国にくらべるとまだ小さい。成長率が高くても、需要総額はさほど大きくなく、(2)新興国の一人当たりの所得水準がきわめて低いからだ。
新興国むけの低価格最終需要消費財は「コモディティ」である。コモディティ生産では、価格競争によって利益と賃金が低下する。日本の賃金は中国なみの水準に低下する。この方向を志向すれば、日本は貧しくなる。「デフレ脱却」とは正反対の方向にいく。
新興国むけ最終消費財の生産は、拠点を海外に展開せざるをえない。企業の存続には役立つかもしれないが、国内の過剰な生産能力に対する解決にはならない。
需要を拡大することで過剰生産能力を覆い隠そうとする政策は、15年間続けられて失敗した。これ以上継続することはできないのだが、いま日本は同じ過ちを拡大したかたちで繰り返そうとしている。日本は「再び失われる15年」の入り口に立っている。
基本的な方向は、新興国の需要を追求することではなく、新興国の安価な労働力を利用することである。適切な国際分業、水平分業を実現することだ。
2 内需主導型の経済へ
冷戦終結後、旧社会主義圏に閉じこめられていた大量の労働力が市場経済にはいり、製造業のコストを引き下げた。これが国際分業の条件を基本的に変化させた。
1980年代以降、中国の工業化により、国際分業の条件は大きくかわった。中国工業化の影響が顕在化した1990年代から、産業構造改革の必要性がますます重大になった。
自民党政権は、輸出主導型製造業を基盤にしていた以上、外需主導型からの脱却は不可能だった。高度成長期に強かった分野(従来タイプの製造業)に固執した。その延命のため、円安、金融緩和政策に頼ってきた。
延命措置は小泉純一郎内閣時代に顕著になり、財政引き締め・金融緩和が強化された。円安方向への政策が積極的に行なわれた。輸出が伸び、外需依存型の景気回復が実現したことで、問題は覆い隠されてしまった。小泉内閣は、構造改革を行ったどころか、まったく逆に、古い構造を温存したのだ。
こうした経済成長は、2007年以降の世界経済危機のなかで破綻した。
生産能力を所与として販売を拡大する、というビジネスモデルは、もう継続できない。現在存在する過剰施設を廃棄せず、それに見合う需要を探しだす、という考えに基づく「潜在成長力」の概念には問題がある。日本の産業構造を大転換させる必要がある。
とりわけ、製造業で過剰になっている労働力を吸収できる産業をつくることだ。
新しい需要は、現在の生産能力とは別のところに見出されなければならない。需要の、ことに個人消費支出の継続的拡大が重要である。
財政支出拡大を日本の構造を改革する促進剤とし、これにより日本経済の大転換を図ることは可能だ。具体的には、(1)介護などの分野に資源と労働力を投入する。(2)都市基盤の整備を図る。(3)農業を改革して、未来の日本を支える産業に転化する。
3 介護における雇用創出プログラム
雇用調整金やエコカーへの買い換え補助などの一時しのぎの緊急避難策から脱却し、強力な雇用創出プログラムを開始する必要がある。
日本の完全失業者は324万人である(2010年2月現在)。また、雇用調整金の申請対象となっている労働力は172万人存在する(2010年1月現在)。さらに、企業内過剰労働力は、500~600万人規模で存在すると推定される。
他方、介護分野は、現在でも労働力が不足しているし、2014年には140~160万人の介護労働者が必要になると試算されている。しかし、現状では、必要な労働力が確保できるか、定かではない。
介護関係労働者を必要な数だけ確保できないのは、低賃金だからだ。2008年の平均年収をみると、全労働者452.8万円、訪問介護員263.2万円、介護支援専門員367.5万円。ちなみに、看護師は415.9万円である。他職種との格差が鮮明だ。
2007年の訪問介護員・介護職員の離職率は21.6%(入職率は27.4%)で、全労働者ベースの15.4%と比較するとかなり高い数値だ。
ふつうは、人手が足りなくなれば給与水準が上がり、それによって人手が集まる。しかし、現在の制度(介護保険)では、給与を高くすると保険料が高くなり、人々の負担が増える。ここに問題の深刻さがある。制度やしくみをを換える必要がある。
介護費用は保険と公費でまなかっている。
介護は医療に似ているが、医療とちがって、必ずしも専門的な知識が必要とされるわけではない部分は市場化することが可能であり、必要でもある。介護保険では最低限のサービスを確保することとし、市場でのサービス供給を拡大していくとよい。
介護分野に異業種からの参入があって然るべきだ。製造業がその施設と人員を転用して介護分野に進出してもよい。転換で利潤が確保できるかどうかは、料金体系や公的補助などをどうするかにもよる。工場を福祉施設に転換する際に、補助があってもよい。
4 日本の最大の悲劇は政治の貧困
内需主導型の経済とは、ある意味で花見酒経済だ。
輸出産業が外貨を稼がないと、経済活動に必要な原材料を海外から買う資金がなくなる。介護産業と消費財生産活動だけが拡大すれば、日本は早晩行き詰まってしまう・・・・という心配は当たらない。
現在の日本は225兆円という巨額の対外純資産を保有している(2008年末)。ここからの収入である所得収支が巨額で、1兆2,468億円の黒字がある(2009年7月)。海外から資源その他を購入するための資金は、これによって賄うことができる。
内需中心の経済構造に移行すれば、貿易黒字は縮小し、あるいはマイナスが固定化する。しかし、所得収支の黒字がこれを補うので、国際収支上の問題が生じることはない。1980年代には外貨を稼ぐ必要性が高かったが、この点で日本は変わったのである。
内需拡大策は、原理的には可能である。
生活基盤施設整備や介護サービスの拡充などに関しては、公的主体の役割が大きく、財政が重要な役割をはたす。財源の確保もさりながら、都市の新しいビジョン、介護のシステムや制度の見直しが必要だ。
ところが、都市基盤整備にしても介護や農業についても、現在日本の政治状況では実現できない。経済的・原理的には解決可能でありながら、現実の制度を変える政治的なリーダーシップがないために、どの分野でも立ち往生してしまう。
問題は、経済面にはなく、政治面にあるのだ。この重大な時点において、政治がまったく機能していないのである。
さらに問題なのは、日本の政策決定能力が低下していることだ。1980年代までの日本は、官僚機構が政策の立案をおこなってきた。しかし、1990年代以降、「官は悪」という考え方が強くなり、この部門が弱体化した。政治も劣化した。したがって、いまの日本には、まともな経済政策を立案する体制がほとんどない。ために、経済政策は従来型の産業の救済を目的としたものになってしまっている。
【参考】野口悠紀雄『世界経済が回復するなか、なぜ日本だけが取り残されるのか 』(ダイヤモンド社、2010.5)
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