2
身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する不満である。自分の価値に一点の疑念もない場合や、個人としての自分を意識しないほど他者との一体感を強く抱いているとき、われわれは、何の苦もなく困難や屈辱に耐えることがっできる。これは驚くべきことである。
7
あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。
12
山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。
40
人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。
58
知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる。
63
非妥協的な態度というものは、強い確信よりもむしろ確信のなさの表れである。つまり、冷酷無情な態度は外からの攻撃よりも、自身の内面にある疑念に向けられているのだ。
70
われわれは自分自身に嘘をつくとき、最も声高に嘘をつく。
91
弱者が自らの強さを印象づけようとするとき、邪悪なことをなしうることを意味深長にほめのかす。邪悪さが弱者を魅了するのは、それが多くの場合、権力意識の獲得を約束するからである。
123
親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている。
128
われわれはよく知らないものほど、容易に信じてしまう。自分自身について知るところが最も少ないがゆえに、われわれは自分について言われることを、すべて容易に信じ込みやすい。ここからお世辞と中傷の双方に神秘的な力が生じる。
132
他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くをもっていない。ここでも、けちくささは魂の貧困さを示す兆候である。
176
自由を測る基本的な試金石となるのは、おそらく何かをする自由よりも、何かをしない自由である。全体主義体制の確立を阻むのは、差し控え、身を引き、やめる自由であうr。絶えず行動せずにはいられない者は、活発な全体主義体制下に置かれようとも不自由さを感じないだろう。実際、ヒトラーは説教によって将軍、技術者、科学者を掌握したわけではない。彼らが望む以上のものを与え、限界に挑戦するよう奨励して、彼らの支持を勝ちとったのだ。
178
他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分からの逃避の一手段である。奇妙なことに、他者との競争--他人に先んじようとする息もつがせぬ競争は、基本的に自己からの逃走なのである。
202
われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。
206
死は、それが1ヵ月後であろうと1週間後であろうと、たとえ1日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。
212
謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。
217
われわれが最も大きな仮面を必要とするのは、内面に息づく邪悪さや醜悪さを隠すためではなく、内面の空虚さを隠すためである。存在しないものほど、隠しづらいものはない。
231
「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。
233
平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない。
234
他人を見て何をすべきかを知る者もいれば、何をすべきでないかを知る者もいる。
235
人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。
243
われわれは一緒に憎むことによっても、一緒に憎まれることによっても結束する。
260
プロパガンダが人をだますことはない。人が自分をだますのを助けるだけである。
275
他人を愛する最大の理由は、彼らがまだわれわれを愛しているということである。
280
幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。
【出典】エリック・ホッファー(中本嘉彦訳)『魂の錬金術 -全アフォリズム集-』(作品社、2003)
身を焦がす不平不満というものは、その原因が何であれ、結局、自分自身に対する不満である。自分の価値に一点の疑念もない場合や、個人としての自分を意識しないほど他者との一体感を強く抱いているとき、われわれは、何の苦もなく困難や屈辱に耐えることがっできる。これは驚くべきことである。
7
あらゆる激しい欲望は、基本的に別の人間になりたいという欲望であろう。おそらく、ここから名声欲の緊急性が生じている。それは、現実の自分とは似ても似つかぬ者になりたいという欲望である。
12
山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない。
40
人間とは、まったく魅惑的な被造物である。そして、恥辱や弱さをプライドや信仰に転化する、打ちひしがれた魂の錬金術ほど魅惑的なものはない。
58
知っていること、知らないことよりも、われわれが知ろうとしないことのほうが、はるかに重要である。男女を問わず、その人がある考えに対してなぜ鈍感なのかを探ることによって、われわれは、しばしばその人の本質を解明する鍵を手に入れることができる。
63
非妥協的な態度というものは、強い確信よりもむしろ確信のなさの表れである。つまり、冷酷無情な態度は外からの攻撃よりも、自身の内面にある疑念に向けられているのだ。
70
われわれは自分自身に嘘をつくとき、最も声高に嘘をつく。
91
弱者が自らの強さを印象づけようとするとき、邪悪なことをなしうることを意味深長にほめのかす。邪悪さが弱者を魅了するのは、それが多くの場合、権力意識の獲得を約束するからである。
123
親切な行為を動機によって判断しても無駄である。親切はそれ自体、ひとつの動機となりうる。われわれは親切であることで、親切にされている。
128
われわれはよく知らないものほど、容易に信じてしまう。自分自身について知るところが最も少ないがゆえに、われわれは自分について言われることを、すべて容易に信じ込みやすい。ここからお世辞と中傷の双方に神秘的な力が生じる。
132
他人と分かちあうことをしぶる魂は、概して、それ自体、多くをもっていない。ここでも、けちくささは魂の貧困さを示す兆候である。
176
自由を測る基本的な試金石となるのは、おそらく何かをする自由よりも、何かをしない自由である。全体主義体制の確立を阻むのは、差し控え、身を引き、やめる自由であうr。絶えず行動せずにはいられない者は、活発な全体主義体制下に置かれようとも不自由さを感じないだろう。実際、ヒトラーは説教によって将軍、技術者、科学者を掌握したわけではない。彼らが望む以上のものを与え、限界に挑戦するよう奨励して、彼らの支持を勝ちとったのだ。
178
他者への没頭は、それが支援であれ妨害であれ、愛情であれ憎悪であれ、つまるところ自分からの逃避の一手段である。奇妙なことに、他者との競争--他人に先んじようとする息もつがせぬ競争は、基本的に自己からの逃走なのである。
202
われわれはおそらく自分を支持してくれる者より、自分が支持する者により大きな愛情を抱くだろう。われわれにとっては、自己利益よりも虚栄心のほうがはるかに重要なのだ。
206
死は、それが1ヵ月後であろうと1週間後であろうと、たとえ1日後であろうと、明日でないかぎり、恐怖をもたらさない。なぜなら、死の恐怖とはただひとつ、明日がないということだからだ。
212
謙遜とは、プライドの放棄ではなく、別のプライドによる置き換えにすぎない。
217
われわれが最も大きな仮面を必要とするのは、内面に息づく邪悪さや醜悪さを隠すためではなく、内面の空虚さを隠すためである。存在しないものほど、隠しづらいものはない。
231
「何者かでありつづけている」ことへの不安から、何者にもなれない人たちがいる。
233
平衡感覚がなければ、よい趣味も、真の知性も、おそらく道徳的誠実さもありえない。
234
他人を見て何をすべきかを知る者もいれば、何をすべきでないかを知る者もいる。
235
人生の秘訣で最善のものは、優雅に年をとる方法を知ることである。
243
われわれは一緒に憎むことによっても、一緒に憎まれることによっても結束する。
260
プロパガンダが人をだますことはない。人が自分をだますのを助けるだけである。
275
他人を愛する最大の理由は、彼らがまだわれわれを愛しているということである。
280
幸福を探し求めることは、不幸の主要な原因のひとつである。
【出典】エリック・ホッファー(中本嘉彦訳)『魂の錬金術 -全アフォリズム集-』(作品社、2003)