語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』

2010年10月07日 | 社会
 8人の青春が素描される。それぞれの年齢は必ずしも明かではないが、20歳前から30歳代前半と推定される男性たちである。彼らに共通するのは、働くことに意味を見出せないか、就いた仕事になじめなかった経験を有する点である。
 3人は就労経験がない。たとえば、前島康史。1年間の留年をはさんで大学の最終学年になるが、まったく就職活動を行わなかった。働くとは「本来は生きる情熱によるものだ」が、「実際は単に生きるためだけに働いている」と洞察するくらいの知性は持つ。だが、きわめて受動的なのだ。「彼は待っている。いつかやってくる何かを待っている。/でも、その『いつか』はいつやってくるのだろう・・・・。」だから、「うん、って言えるような説教をされたい」などと行動の指針を他に求めるのだ。
 あるいは、長澤貫行。高校を1年生のとき退学してから30歳になるまで、社会的引きこもりの人であった。不登校児の施設ではプライバシーのない共同生活に耐えられず、かといっては単身上京してアパートで一人暮らすと孤独に苛まれて奈良の実家へ長距離電話をかけまくった。要するに、自我が未成熟なのである。
 就労経験のある5人も、就いた仕事やその職場に適応していない。
 たとえば、トヨタカローラの営業マン武田明弘の場合、外まわりが性に合わず、当然ながら営業成績は不振をきわめた。加えて職場の独特の人間関係に疲れはて、毎日「辞めたい」と思いながら通勤した。
 実際にサラリーマンを辞めてしまったのは萩川喜和(仮名)。高校卒業後の進路としてスキー用品店を選択しながら、スキーに情熱を持たず、勉強もせず、売り上げは低迷。店長の励ましで発奮して懸命に働くが、やはり仕事に誇りを持てなかった。しかし、高齢者福祉に自分の進むべき道を見つけて、老人ホームの支援員へ転身した。
 社会経験を積むうちに志に適う仕事を発見した萩川喜和は、幸福な例と言える。河村雄太もそうだ。集中もっとも興味深い人物で、その生育歴の記述は巧まずして学校の管理教育に対する批判となっている。要するに、河村雄太は学校や商売に不適応を繰り返した後、石垣島で海人(うみんちゅ)、すなわち漁師となった。ついに安住の地を見つけたのである。
 こうした幸福な出会いがない者は、フリーターになる。ゲームクリエーターを志して専門学校へ入り、その才能のないことを自覚してフリーターとなった大黒絢一がこのケースだ。本書によれば、1997年現在、全国のフリーターは約151万人、1982年の3倍に達っすると言う。
 社会とは何か、大人になるとは何か。これが本書の主題である。
 立花隆『青春放浪』(スコラ、1985、後に講談社文庫、1988)も類似の問題意識に貫かれている。しかし、取り上げられた人物11人はいずれも手づくりナイフ職人など一級のプロと認知されている点で、まだ「途上」にある人物を取り上げた本書とはやや事情が異なる。さらに、立花隆の簡潔にして犀利な文体はこうしたプロの横顔を彫り深く描くが、本書の文章は若書きの粗さが目立つ。
 しかしながら、著者は登場人物と立場(高校中退者)や年代(著者は大学3年生のときに本書の取材をはじめた)をほぼ同じくしている故か、彼らの惑いと模索に対する共感が底ににじみ、この点が若い読者の注意を引きそうだ。
 ところで、本書にも『青春放浪』にも女性がまったく取り上げられていない。その理由は両著で異なるだろうが、男性には主婦という職業が・・・・まったくないわけではない(主夫もある)にせよ、ごく少数であることが一因ではなかろうか。

□稲泉連『僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由』(文藝春秋社、2001)
僕らが働く理由、働かない理由、働けない理由