話を簡明にするため、ここでは次のように置き換える。
X:作者=大岡昇平
Y1:『俘虜記』の主人公=『俘虜記』の作中に登場する「私」=過去(俘虜時代)の大岡昇平
Y2:『野火』の主人公=『野火』の作中に登場する「私」=田村一等兵
なお、『野火』は、「文体」第3号(1948年12月刊)およびに「文体」第4号(1949年7月刊)に初出。。雑誌廃刊で中断。「文体」第3号掲載の冒頭の部分が削除されて、あらためて「展望」1951年1月号から8月号まで連載された。
(1)文体の魅力
『大岡昇平における私と神』は、「展望」掲載の『野火』をはじめて読んだときの「鮮やかな印象」から筆を起こしている。
「不思議な魅力を持った文体であった。時空を裁断する小気味のよい筆勢と粘着力のある文意の綾が私の眼を文章から離れ難くさせた。これは傑作になると思った。雑誌の毎号が待たれた」
それから20年近く経た1970年、この論文は「展望」9月号に掲載された。
本論文の冒頭で仮説を提出している。『野火』ではXと作中の分身Y2がXの資質に適合した形で成立している、と。このことは、作者が自己省察において何か独自なものを発見し、それをどのように表現したか、という問題に係わってくる、と加賀はいう。
以下、要旨を2回に分けて記す。
(2)『俘虜記』の私小説的特徴
『野火』は、疑いもなく小説である。
他方、『俘虜記』は完全には小説ではない。記録文学、私小説、紀行文または随想の部類に属する。その理由は、何よりも作者(X)と作中の「私」(Y1)との関係による。Y1はXと同じ名前を持ち、過去のXと同じ年齢で同じ日時に同じ行為をする。つまり、Y1は過去のXであって、作品はこの「私」という単一の窓から窺われた出来事の記録である。それ以上でもなく、それ以下でもない。
この場合、X=Y1である。両者の間に距離があることはある。Xは、Y1を対象化し、突きはなし、批判し、分析している。ただし、過去の自分を吟味するという記憶の濾過作用によって保たれている。この方法は、自分に対して分析を加える時に有効である。いわゆる知的な私小説の正統的手法である。XとY1との距離は遠いが、両者の関係は平行している。
『俘虜記』の場合、この平行関係が短編としての連作を可能にする。体験を年代的に区切って描写していけば、次々に短編が生まれ、短編と短編との間には縦に流れる時間による連携がある。類聚すれば全体として大きな長編になりうる。記憶という一方交通のいとなみが現実世界を照らしているため、一つの短編に描かれた世界の細部が次の短編の細部と齟齬せず、しかもそこで記憶によって定着された世界についてXが自由な考察を行いうるのだ。
記憶による制約が作品全体に統一を、考察の自由が作品に変化や厚みをもたらす。この私小説の開発した方法をXは最大限に利用している。
(3)『俘虜記』における作者と「私」の関係
もっとも、『俘虜記』を小説と呼ぶのは読者の勝手であって、X自身は「記録」を書こうとしたのである。
文章家としてのXは、紀行文、記録、私小説、考証といった嗜好が大きく、しかもこの方面で成功するだけの資質が備わっている。
この領域で注目するべきことは、くり返しになるが、XとY1との平行関係である。Y1以外にXの分身は現れない。そこではいつも単一の視点が設定されていて、自分をはじめ他者や環界が描写される。
この「私」の視点を吟味することは、Xという文章家の特質を考える上で大切である。
(4)『俘虜記』における「私」の視点
(a)「私」は静止している。
それは自分が一点に停って周囲の世界を観察する、といった視点である(物理的に静止していることを必ずしも意味しない)。他者の描写や地形が第一義であって、実際作中にはこうした描写にすぐれた文章が多い。その固定された視点から周囲に向けられる視線は感情に動かされず、非情なまでも描写的である。飢えや疲労によってY1の視線に曇りがこない。
(b)「私」は周囲の世界に解釈を加える。
作中の場面や状況に密着した解釈ばかりではない。ずっと後で行われたもの、作品を書いている現在に行われたものまで含む。解釈は一応知的で論理的な形をとっている。しかし、諸家のいうようにこの点を強調すると、Xの資質を見誤る。『俘虜記』の最初の短編『捉まるまで』で米兵を射たなかったわけに4つの解釈を呈出する。第一、自分のヒューマニティへの驚き。第二、射とうとは思わなかった気持ち。第三、射つ気が起こらなかったこと。第四、「内部の感覚」・・・・という心情的非論理的な現象が解釈の対象となっている。
この解釈に終わりはない。「一つの」あるいは「ありうべき」解釈なのだ。
『俘虜記』のなかの『タクロバンの雨』においても、解釈のいきづまりから「私」は自分の行為を規定している自分以外のものの力、「神の摂理」に想到する。これはすでに一つの思想である。『野火』の世界に一歩足を踏みいれている。
行為を心情的に解釈しようとするが、解釈によっては行為はきっぱりと切断しきれない。その先に神がある。「神の摂理」が、行為のかなり後になって、俘虜収容所のなかで考察されていることに注目したい。『野火』において神が早くから作品の中に現れ、全編の結論になっていることと大きな相違である。
(5)『野火』と『俘虜記』(ことに『捉まるまで』)との比較 ~叙述~
一見似かよった状況を描く作者の筆は、根本的に異なっている。
まず表面的な叙述の比較を行ってみる。
細部において共通する出来事は意外に少ない。物語として似ている点は、比島敗軍の一補充兵を主人公とすること、米軍とゲリラに追われながら逃亡すること、ついに米軍に捕らえられること、米軍の砲撃を受けたとき主人公一人のみが丘にのぼって逃げること、逃亡の途中で銃を捨てること・・・・だ。
肺結核、人肉食、狂気などY2に起きたことは、Y1には起こらなかったことである。そして、『俘虜記』に登場する敗兵には起きたことだった。つまり、Y2に起きたことは、『俘虜記』において多くの兵隊が遭遇した出来事を選択して蒐集したものなのだ。
要するに、Y2はXと平行関係になく、Xよりもっと拡張された敗兵一般を代表しているのだ。
そればかりではない。Y2の行動には、他の小説から受けた影響も推測される。敗走する軍隊のなかを一人あてもなくさまよううちにヴェテランの伍長の一隊に会う場面など、『パルムの僧院』のワーテルローの場面を髣髴させる。また、『野火』の人肉食も全体の構成も、ポーの『ゴードン・ピム』から借りている(大岡昇平『作家の日記』)。
作者の読書体験は、時には本人も意識しないほど深く影響しているのである。
(6)私小説の「私」よりも作者に近い小説の主人公
前述のとおり、第一にY2はY1のようには作者と平行関係にない。第二にXの読書体験によってY2の行動や性格が補強されている。
だからといって、Y2がXと無関係であるわけではない。あえて言えば、『野火』の主人公はXその人なのだ。もっと言えば、Y2はY1よりも大岡昇平なる作者の真の体験を形象化している。
Y1は十全にXではない。Y2に比べるとむしろXからぬ面が多い。『俘虜記』を私小説と呼びながら、こう言うのは矛盾しているかもしれないが、この逆説にこそ大岡昇平の私小説の特色があるのだ。
(7)『俘虜記』と『野火』における作者の位置の相違
『俘虜記』は告白体をとっている。しかし、この告白には、小説を書いている現在のXにとって不愉快なこと、不都合なことは省略されている。自分の過去の「私」に愛着を持ち、行為を正当化しようとする。換言すれば、明快で簡潔な『俘虜記』の文体は、書かれた事実を紙上に定着するとともに、書かれなかった(書けなかった)事実を切り捨ててしまう。
小説を書いている作者は全能者を気取らねばならず、過去の「私」を全能者の高みから見下ろさねばならない。ところで見下ろされた「私」もまた全能者の分身であるからには、その全能性を継承しなくてはならない。これは『俘虜記』の方法からくる制約である。
ところが『野火』にはそういった不自由さや強張りや窮屈さはない。XがY2の背後に隠れてしまったからだ。Xは体験のすべてをY2に仮託しうる。Y2がXその人であり、Xの真の体験を形象化しているというのは、そのような意味においてである。
しかしながら、XがY2を描く前にY1を造型したことを忘れてはならない。『俘虜記』で行った自己省察は当然、後の作品に生かされている。『武蔵野夫人』ではスタンダリアン秋山、その妻、復員者の勉が作者の自己省察を分有する。そして、これらの分身はY2へと凝集していく。
(8)『武蔵野夫人』にみる大岡昇平の資質
『俘虜記』でXと平行関係を保っていたY1の代わりに、Xの分身としてスタンダリアンの秋山、その妻の道子、復員者の勉が登場する。といっても、この3人にはY1のような視点としての役割は与えられていない。
Xは、分身の背後に身を隠す代わりに、いきなり全能者として姿を現す。作中人物すべてを動かす力は、Xがにぎっている。
『俘虜記』において解釈や説明の限界を自覚し、X以外の全能者、神を望みみたはずのXは、ここでは自分を神に擬している。そして、多くの可能な解釈のうちの一つを読者に押しつけようとする。
この欠点にもかかわらず、『武蔵野夫人』は面白い。救いは自然描写のすばらしさにある。『俘虜記』以来のXの視点の特徴、視点の静止と解釈癖のうち、前者がここで後者を凌駕するのだ。静止した地点から自然を観察し描写する才能の冴えは、ラディゲ風の解釈に飽いた読者の目を引きつけ、小説のなかに誘いこむ。
受動的に自然を描写すること、積極的に物事を解釈すること。一見相反するこの二つの傾向は、元来Xの資質としては同じ一つの傾向、静止した地点から観察し見る性格から発している。こうしたXの資質は、おそらく生得のものであって、Xが小説家よりも評論家として出発したのもそのためだろう。
Xが見るという生得の資質を小説家の有力な武器として用いるためには、ミンドロ島における血みどろの敗戦体験が必要であった。見ることから創ることへの転換には、見たものを描写し解釈することが面白いと思うこと、つまり見たものを読者の前に提供することが意義があるという自覚がなくてはならない。
Xは、敗戦体験を記録しようとした。この記録は、日本では小説とみなされ、小説として成功した。評論家、スタンダール研究家の閲歴をもつXは、西欧的本格小説をつくりたいと思ったであろう。しかし、その場合、『俘虜記』が成立した重要な基礎、静的視点と解釈を捨て去ることはできなかった。Xは、やはり全能者の道を選んだ。
『武蔵野夫人』には自然描写とラディゲ風の解釈が相反せずに融和している箇所がある。しかし、全体として、『武蔵野夫人』の登場人物はXの意のままに動かされている傀儡にすぎない。『俘虜記』で進められた自己省察は、容易なところで秋山と勉と道子に分割されてしまった。
【参考】加賀乙彦『大岡昇平における私と神 -『野火』をめぐって-』(『文学と狂気』、筑摩書房、1971、所収)
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【BC書評】
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X:作者=大岡昇平
Y1:『俘虜記』の主人公=『俘虜記』の作中に登場する「私」=過去(俘虜時代)の大岡昇平
Y2:『野火』の主人公=『野火』の作中に登場する「私」=田村一等兵
なお、『野火』は、「文体」第3号(1948年12月刊)およびに「文体」第4号(1949年7月刊)に初出。。雑誌廃刊で中断。「文体」第3号掲載の冒頭の部分が削除されて、あらためて「展望」1951年1月号から8月号まで連載された。
(1)文体の魅力
『大岡昇平における私と神』は、「展望」掲載の『野火』をはじめて読んだときの「鮮やかな印象」から筆を起こしている。
「不思議な魅力を持った文体であった。時空を裁断する小気味のよい筆勢と粘着力のある文意の綾が私の眼を文章から離れ難くさせた。これは傑作になると思った。雑誌の毎号が待たれた」
それから20年近く経た1970年、この論文は「展望」9月号に掲載された。
本論文の冒頭で仮説を提出している。『野火』ではXと作中の分身Y2がXの資質に適合した形で成立している、と。このことは、作者が自己省察において何か独自なものを発見し、それをどのように表現したか、という問題に係わってくる、と加賀はいう。
以下、要旨を2回に分けて記す。
(2)『俘虜記』の私小説的特徴
『野火』は、疑いもなく小説である。
他方、『俘虜記』は完全には小説ではない。記録文学、私小説、紀行文または随想の部類に属する。その理由は、何よりも作者(X)と作中の「私」(Y1)との関係による。Y1はXと同じ名前を持ち、過去のXと同じ年齢で同じ日時に同じ行為をする。つまり、Y1は過去のXであって、作品はこの「私」という単一の窓から窺われた出来事の記録である。それ以上でもなく、それ以下でもない。
この場合、X=Y1である。両者の間に距離があることはある。Xは、Y1を対象化し、突きはなし、批判し、分析している。ただし、過去の自分を吟味するという記憶の濾過作用によって保たれている。この方法は、自分に対して分析を加える時に有効である。いわゆる知的な私小説の正統的手法である。XとY1との距離は遠いが、両者の関係は平行している。
『俘虜記』の場合、この平行関係が短編としての連作を可能にする。体験を年代的に区切って描写していけば、次々に短編が生まれ、短編と短編との間には縦に流れる時間による連携がある。類聚すれば全体として大きな長編になりうる。記憶という一方交通のいとなみが現実世界を照らしているため、一つの短編に描かれた世界の細部が次の短編の細部と齟齬せず、しかもそこで記憶によって定着された世界についてXが自由な考察を行いうるのだ。
記憶による制約が作品全体に統一を、考察の自由が作品に変化や厚みをもたらす。この私小説の開発した方法をXは最大限に利用している。
(3)『俘虜記』における作者と「私」の関係
もっとも、『俘虜記』を小説と呼ぶのは読者の勝手であって、X自身は「記録」を書こうとしたのである。
文章家としてのXは、紀行文、記録、私小説、考証といった嗜好が大きく、しかもこの方面で成功するだけの資質が備わっている。
この領域で注目するべきことは、くり返しになるが、XとY1との平行関係である。Y1以外にXの分身は現れない。そこではいつも単一の視点が設定されていて、自分をはじめ他者や環界が描写される。
この「私」の視点を吟味することは、Xという文章家の特質を考える上で大切である。
(4)『俘虜記』における「私」の視点
(a)「私」は静止している。
それは自分が一点に停って周囲の世界を観察する、といった視点である(物理的に静止していることを必ずしも意味しない)。他者の描写や地形が第一義であって、実際作中にはこうした描写にすぐれた文章が多い。その固定された視点から周囲に向けられる視線は感情に動かされず、非情なまでも描写的である。飢えや疲労によってY1の視線に曇りがこない。
(b)「私」は周囲の世界に解釈を加える。
作中の場面や状況に密着した解釈ばかりではない。ずっと後で行われたもの、作品を書いている現在に行われたものまで含む。解釈は一応知的で論理的な形をとっている。しかし、諸家のいうようにこの点を強調すると、Xの資質を見誤る。『俘虜記』の最初の短編『捉まるまで』で米兵を射たなかったわけに4つの解釈を呈出する。第一、自分のヒューマニティへの驚き。第二、射とうとは思わなかった気持ち。第三、射つ気が起こらなかったこと。第四、「内部の感覚」・・・・という心情的非論理的な現象が解釈の対象となっている。
この解釈に終わりはない。「一つの」あるいは「ありうべき」解釈なのだ。
『俘虜記』のなかの『タクロバンの雨』においても、解釈のいきづまりから「私」は自分の行為を規定している自分以外のものの力、「神の摂理」に想到する。これはすでに一つの思想である。『野火』の世界に一歩足を踏みいれている。
行為を心情的に解釈しようとするが、解釈によっては行為はきっぱりと切断しきれない。その先に神がある。「神の摂理」が、行為のかなり後になって、俘虜収容所のなかで考察されていることに注目したい。『野火』において神が早くから作品の中に現れ、全編の結論になっていることと大きな相違である。
(5)『野火』と『俘虜記』(ことに『捉まるまで』)との比較 ~叙述~
一見似かよった状況を描く作者の筆は、根本的に異なっている。
まず表面的な叙述の比較を行ってみる。
細部において共通する出来事は意外に少ない。物語として似ている点は、比島敗軍の一補充兵を主人公とすること、米軍とゲリラに追われながら逃亡すること、ついに米軍に捕らえられること、米軍の砲撃を受けたとき主人公一人のみが丘にのぼって逃げること、逃亡の途中で銃を捨てること・・・・だ。
肺結核、人肉食、狂気などY2に起きたことは、Y1には起こらなかったことである。そして、『俘虜記』に登場する敗兵には起きたことだった。つまり、Y2に起きたことは、『俘虜記』において多くの兵隊が遭遇した出来事を選択して蒐集したものなのだ。
要するに、Y2はXと平行関係になく、Xよりもっと拡張された敗兵一般を代表しているのだ。
そればかりではない。Y2の行動には、他の小説から受けた影響も推測される。敗走する軍隊のなかを一人あてもなくさまよううちにヴェテランの伍長の一隊に会う場面など、『パルムの僧院』のワーテルローの場面を髣髴させる。また、『野火』の人肉食も全体の構成も、ポーの『ゴードン・ピム』から借りている(大岡昇平『作家の日記』)。
作者の読書体験は、時には本人も意識しないほど深く影響しているのである。
(6)私小説の「私」よりも作者に近い小説の主人公
前述のとおり、第一にY2はY1のようには作者と平行関係にない。第二にXの読書体験によってY2の行動や性格が補強されている。
だからといって、Y2がXと無関係であるわけではない。あえて言えば、『野火』の主人公はXその人なのだ。もっと言えば、Y2はY1よりも大岡昇平なる作者の真の体験を形象化している。
Y1は十全にXではない。Y2に比べるとむしろXからぬ面が多い。『俘虜記』を私小説と呼びながら、こう言うのは矛盾しているかもしれないが、この逆説にこそ大岡昇平の私小説の特色があるのだ。
(7)『俘虜記』と『野火』における作者の位置の相違
『俘虜記』は告白体をとっている。しかし、この告白には、小説を書いている現在のXにとって不愉快なこと、不都合なことは省略されている。自分の過去の「私」に愛着を持ち、行為を正当化しようとする。換言すれば、明快で簡潔な『俘虜記』の文体は、書かれた事実を紙上に定着するとともに、書かれなかった(書けなかった)事実を切り捨ててしまう。
小説を書いている作者は全能者を気取らねばならず、過去の「私」を全能者の高みから見下ろさねばならない。ところで見下ろされた「私」もまた全能者の分身であるからには、その全能性を継承しなくてはならない。これは『俘虜記』の方法からくる制約である。
ところが『野火』にはそういった不自由さや強張りや窮屈さはない。XがY2の背後に隠れてしまったからだ。Xは体験のすべてをY2に仮託しうる。Y2がXその人であり、Xの真の体験を形象化しているというのは、そのような意味においてである。
しかしながら、XがY2を描く前にY1を造型したことを忘れてはならない。『俘虜記』で行った自己省察は当然、後の作品に生かされている。『武蔵野夫人』ではスタンダリアン秋山、その妻、復員者の勉が作者の自己省察を分有する。そして、これらの分身はY2へと凝集していく。
(8)『武蔵野夫人』にみる大岡昇平の資質
『俘虜記』でXと平行関係を保っていたY1の代わりに、Xの分身としてスタンダリアンの秋山、その妻の道子、復員者の勉が登場する。といっても、この3人にはY1のような視点としての役割は与えられていない。
Xは、分身の背後に身を隠す代わりに、いきなり全能者として姿を現す。作中人物すべてを動かす力は、Xがにぎっている。
『俘虜記』において解釈や説明の限界を自覚し、X以外の全能者、神を望みみたはずのXは、ここでは自分を神に擬している。そして、多くの可能な解釈のうちの一つを読者に押しつけようとする。
この欠点にもかかわらず、『武蔵野夫人』は面白い。救いは自然描写のすばらしさにある。『俘虜記』以来のXの視点の特徴、視点の静止と解釈癖のうち、前者がここで後者を凌駕するのだ。静止した地点から自然を観察し描写する才能の冴えは、ラディゲ風の解釈に飽いた読者の目を引きつけ、小説のなかに誘いこむ。
受動的に自然を描写すること、積極的に物事を解釈すること。一見相反するこの二つの傾向は、元来Xの資質としては同じ一つの傾向、静止した地点から観察し見る性格から発している。こうしたXの資質は、おそらく生得のものであって、Xが小説家よりも評論家として出発したのもそのためだろう。
Xが見るという生得の資質を小説家の有力な武器として用いるためには、ミンドロ島における血みどろの敗戦体験が必要であった。見ることから創ることへの転換には、見たものを描写し解釈することが面白いと思うこと、つまり見たものを読者の前に提供することが意義があるという自覚がなくてはならない。
Xは、敗戦体験を記録しようとした。この記録は、日本では小説とみなされ、小説として成功した。評論家、スタンダール研究家の閲歴をもつXは、西欧的本格小説をつくりたいと思ったであろう。しかし、その場合、『俘虜記』が成立した重要な基礎、静的視点と解釈を捨て去ることはできなかった。Xは、やはり全能者の道を選んだ。
『武蔵野夫人』には自然描写とラディゲ風の解釈が相反せずに融和している箇所がある。しかし、全体として、『武蔵野夫人』の登場人物はXの意のままに動かされている傀儡にすぎない。『俘虜記』で進められた自己省察は、容易なところで秋山と勉と道子に分割されてしまった。
【参考】加賀乙彦『大岡昇平における私と神 -『野火』をめぐって-』(『文学と狂気』、筑摩書房、1971、所収)
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