(1)食料品 ~輸入規制~
日本における食料品価格は、国際的にみて著しく高い。多くのものについて、米国の2倍以上だ。肉類にいたっては4倍以上する。シンガポールや英国のような工業国と比較しても高い【注1】。
このため、日本の家計支出では、食料品に対する支出が著しく高くなる。米国の家計の1.4~1.7倍である。家計支出中、米国が9%であるのに対し、日本では18%と倍になっている【注2】。
年間の民間消費支出は、2005年現在285兆円である。仮に食料品価格が米国なみになり、家計支出中の比率が18%から9%に低下するならば、それだけで消費支出は26兆円減少する。
換言すれば、これだけの支出を家計が余計に負担することで、食料品の生産・加工・流通にかかわる人々の所得を保障しているわけだ。つまり、彼らに対する実質的な社会保障制度である。26兆円という数字は、一般会計の社会保障関係費総額約20兆円よりも大きい。
高い食料品価格の原因は、輸入規制と非効率な流通機構だ。
輸入規制は、国内物価を上昇させるだけではない。対象産業は、保護に甘えて改革と進歩のための努力を怠り、生産性がさらに下がる。そして、輸入制限だけでは足らず、政府からの直接の補助金を求めるようになる。農業は、こうした経緯をたどって衰退し、もやは再生の可能性すら見いだせなくなった産業の典型例だ(風紋注:本書刊行時点では存在しなかった戸別所得補償制度を予言している)。
【注1】総務省統計局『世界の統計』の主要食料品の小売価格(2003年)に基づく。
【注2】総務省統計局『世界の統計』の一人当たり家計最終消費支出(1999年/2001年)に基づく。
(2)散髪代 ~競争制限~
東京における散髪代は4,000円程度だが、米国におけるヘアカットの価格は18ドルだ。東京の散髪代は、米国の2倍以上である。
米国の理髪店が提供しているのは散髪だけだが、日本ではそれに加えて洗髪や髭剃りなどもする。自分でもできることだから「過剰サービス」である。仮に散髪のみで半分の価格になれば、2,000円節約できる。年間15回理髪店に行くなら、3万円になる。
つまり、消費者はこれだけの額を毎年余計に支出して、理髪店関係者の生活を支えているわけだ。これも、広義の社会保障制度である。
(3)ガソリン価格 ~競争制限~
2003年の米国全体の平均価格は、1ガロン当たり1.56ドル(リットル当たり45.3円)だった。高めにみて1ガロン当たり2ドル(リットル当たり55円)としよう。これに対して、日本では120円程度で、米国の2倍だ。
価格差の理由は、第一に税がある。ガソリン税・石油税は、米国で11円、日本で53.1円だ。よって、税抜き価格は、米国44円、日本64円だ。
原油価格と精製コストは、それぞれ24円と11円で、国際的に共通である。これらを除くと米国9円、日本29円だ。日本は米国の3倍以上である。
理髪店と同じく、日本の価格は米国の2~3倍という構造が浮かびあがる。
米国と日本の差は、ガソリンの供給にかかわる人件費やマージンなどだ。米国のガソリンスタンドのほとんどはセルフサービスで、従業員は通常1人しかいない。日本では常時2~3人いて、窓ふき、吸い殻清掃、道路へ出る際の案内を行う。理髪店の場合と同じく「過剰サービス」である。
日本にもセルフサービスの店は、あることはあるが数が少ない。出店規制があるからだ。人件費や流通コストが国なみになれば、リットル当たり20円は安くなる。1回の給油量が40リットルであれば、800円も「過剰サービス」に支払っていることになる。頻繁に乗用車を使っている人なら、年間数十万円になるだろう。
(4)小売業一般 ~競争制限~
理髪店やガソリンスタンドには特別の規制がある。
小売業一般については「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律」があり、同様の機能をはたしている(2000年廃止、代わって「大規模小売店舗立地法」が2000年に施行)。
大店法は、零細商店の発展的な成長を促すことにはならなかった。これらの商店は大店法があるから、という安心感に安住し、時代の流れに取り残されていった。農業の場合と同じ結果だ。日本の流通機構の基本構造は、1960年代から基本的に変わっていない。
(5)内外価格差の是正は政治的に困難
貿易財の輸入制限とサービスの競争制限が、日本の高価格体質の原因である。
どちらも、(1)(2)(3)のような産業に従事する人々の所得を保障している。そして、日本の流通業やサービス産業の生産性は、著しく低い。
消費財や生活関連サービスのみならず、産業活動に関連するサービス価格も、日本では高い。
高価格体質是正のための正統的な方法は、輸入自由化と規制撤廃を正面から進めることだ。実現すれば、生産性向上するだろう。日本の実質生活水準は格段に向上するだろう。
しかし、供給者からの強い反対がある。
「消費者のための経済政策」は掛け声としては言われるが、現実の経済政策に影響を及ぼすに至ってはいない。
克服の方法がまったくないわけではない。日本で所得を得て海外で生活すれば、為替レートどおりの円の購買力を実現できる。年金生活者は、実質生活水準を2倍にも3倍にもできる。ただ、陸続きの外国が近くにあるヨーロッパのような場合と違って、日本人は外国生活は容易ではない。
(6)1940年体制での実質的社会保障
以上のような経済体制は、じつは「1940年体制」の一環である。
銀行中心の金融システムと企業構造など経済の近代的部門のみならず、農業や流通のしくみも「1940年体制」の重要な一部分なのだ。
1942年制定の食糧管理法は、典型的な戦時立法である。
借地借家法は、1941年改正で借地・借家人の権利を保護した。徴兵のための基盤整備を目的とするものであった。農村が疲弊してはならないし、年の留守家族が安心して生活できる必要があったからだ。社会主義的性格をもつものだった。
このときに形成された制度的なしくみが戦後に生き残り、場合によっては強化された。
高度成長は、農業やサービス産業などの「弱者」が取り残される過程であった。この部分の就労機会を確保し、所得を保障することは、社会的安定を確保するために重要だった。税の特別措置、補助金、規制などによって政府は庇護した。「弱者」は、高度成長を補完する不可欠なしくみとして機能した。政府は、直接措置のみならず、輸入規制と各種規制も行った。消費者は、高いマージンを負担し、零細商店を存続させた。つまり、これは広義の社会保障制度なのである。
日本では社会主義政党が長期にわたって政権を握ることはなかったが、官僚制度が社会主義体制を確立し、それが社会主義国家消滅のあとまで継続しているのだ。
(7)高価格を通じる所得移転
(1)で食料費のみに関して過剰支払額を試算した。総額で26兆円、国民一人当たり20万円である。理髪店やガソリンスタンドに関して示した数字を加えれば、このしくみを維持するために日本人が負担している額は、年間一人当たり数十万円にのぼるだろう【注3】。
いま、家計消費支出の4分の1、年間総額で70兆円が、これらのセクターの人々に対する所得移転であると仮定しよう。
農業・漁業と卸売・小売業を含める広義のサービス業に従事する就業者は、2,000万人である。70兆円が彼らに所得移転されているとすると、就業者一人当たり年間350万円となる。他方で、卸売・小売り業、飲食店の労働者一人平均月間給与額は56万円である。これらを参照して、先の2,000万人の一人当たり年間所得700万円と考えれば、その半分が高価格による所得移転によることになる。
この試算が現実の姿を正確に記述しているかどうかは保証できない。しかし、いまの日本の経済構造の姿を象徴的に示す数字としては、大きな違いはないだろう。そして、これは驚くべき数字である。
かかるしくみを今後も維持するのは難しい。なぜか。第一、所得の伸びを期待できない。第二、労働力が減少する。
サービス産業の生産性向上は必須の課題である。
生産性向上によって、将来の労働力不足は解決されるだろう。
生産性向上によって、いまの一人当たり所得を維持したまま就業者を半分にできれば、家計の移転は必要なくなる。その結果、内外の物価格差はなくなり、家計には4分の1の余裕が発生するだろう。
これこそが、少子化社会に向かう最重要の政策課題なのだ。
【注3】「見えざる社会保障費」の推計額は、66億円(野口悠紀雄『日本経済は本当に復活したのか -根拠なき楽観論を斬る-』(ダイヤモンド社、2006)。
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以上、『日本経済改造論』第6章(貿易と内外価格差)の2(日本はなぜ高物価国なのか)による。
【参考】野口悠紀雄『日本経済改造論 -いかにして未來を切り開くか-』(東洋経済新聞社、2005)
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