語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『私はどこから来たのか -母と娘のユダヤ物語-』

2010年10月13日 | ノンフィクション
 ユダヤ人には、旧約「エステル記」にあるように「わが家系の記録」を記録し、朗読する習慣がある。
 本書は、名も無き女性による「わが家系の記録」である。
 ただし、原題『彼女はどこから来たのか:ある娘によるその母の経歴の探索』のとおり、母フランシスに焦点があてられている。
 次の二点に注目したい。

 第一、母子関係。
 著者は母の、そのまた母つまり著者の祖母ヨゼフィン(ペピ)まで家系を遡る。祖母と母の母子関係が浮き彫りにされる。それは自分とb母との母子関係と重なるのであった。
 すなわち、本書には三代にわたる二つの母子関係が描かれる。
 娘ヘレンは「あらゆるものを母の目と心を通して見てきた」と漏らすが、母フランシスもまた、祖母ペピが経営する職場で育ち、同じ職業ドレス・メーカーの道を歩んだ人であった。

 第二、チェコ・ユダヤ人のアイデンティティ。
 祖父母には、自分たちがユダヤ人であるという意識は乏しかったらしい。ことに豪商の祖父は、自らの帰属集団をプラハのドイツ貴族社会に置き、ユダヤ・コミュニティとはまったく交わらなかった。ハプスブルグ帝国内のユダヤ人集団は、二極に分化していた。
 母は、産まれるやいなやカトリック教会で受洗させられた。
 子ども時代の母は、通ったフランス系の学校で、ユダヤ人に対するいじめが起きるといじめる側に加担している。
 だが、本人の自意識に頓着なく、ナチス・ドイツは祖父母も母もユダヤ人と同定し、強制収容所へ送った。
 迫害される立場を同じくすることで、母はいやおうなくユダヤ人社会に組みこまれていった。同胞の相互支援の輪の中に入ることで生き延びたのだ。

 ところで、祖母ペピにせよ、母フランシスにせよ、特別な業績を世に残した人ではない。個性的ではあるが、古今東西、どこにでもいる一人である。生活のために働き、無力感から自殺を念慮し、服の創造という喜びを知ったがゆえに不実な夫に耐えることができた・・・・。
 こうした立場に立つ女性なら、それまでに数多くいたし、これからも数多く登場するにちがいない。
 だが、生きる条件が共通する無名の人たちには、それぞれ、その人固有の、他に代えがたい人生が存在した。
 厚みはあっても、ありふれているがゆえに、通常、時とともに忘却される人生が、たまたまその娘(孫)がたまたまジャーナリストであったがゆえに、米国やユダヤ人社会はもとより、極東の読者にも知られることになった。

 無名人名語録・・・・いや、これは永六輔の本のタイトルだ。それに、気の利いたセリフはとくに登場していない。
 かといって、無名人名人生などと名づけても、ちっとも人口に膾炙しないだろう。しかし、本書を読むと、流行らなくてもよいから、そう呼んでみたい気がする。

□ヘレン・エプスタイン(森丘道訳)『私はどこから来たのか -母と娘のユダヤ物語-』(河出書房新社、2000)
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コメント (2)
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