嘘とは何か。
わざわざ辞書にあたらずとも、誰もみんな、過去をすこしばかり顧みれば、さほど困難を覚えることなく嘘を定義することができるだろう。
すなわち、「真実でないこと、またはその言葉」だ。
だが、著者は男女関係論及び精神身体医学を専門とする心理学者である。その専門的見地からすれば、真実と嘘とは相対的関係にあるのではない、と喝破する。
それどころか、相互に平行して走る2本のレールのように不即不離の関係にあるのだ。
だから、嘘の達人は、嘘にできるだけ多くの事実を取り込むのだ。
人はなぜ嘘をつくのか。
自分の目的を達成するため、あるいは自分の目の前の障害物を避けるため、である。
ここで著者は、善悪の価値判断はさて措いて、嘘をつく必要性がいつ生じ、どのように発展するかを理解することが重要だ、という。嘘は、無意識という心の深層部で不安や罪の意識の原因となっている葛藤を隠し、あるいは無視するところから生じるからだ。
こうした行動の可能性の範囲は無限だから、列挙も分類も完全なものにはならない。
そう断った上で、著者は、(1)発達期における「一時的な嘘」と(2)日常的に見られる「性格に関する嘘」を区別する。そして、それぞれ嘘の型を幾つか分類する。
(1)「一時的な嘘」には、次のものがある。
子どもの嘘
恋人たちの嘘
治療としての嘘
(2)「性格に関する嘘」には、次のものがある。
アイデンティティの嘘
中傷
弁解の嘘
人に好かれるための嘘
臆病から出る嘘
人を惑わせる嘘
人を試す嘘
非常時の嘘
人のための嘘
目的のない嘘
自分自身への嘘
読者は、本書を通じて嘘を見破る術を身につけることができるだろう。
だが、これは皮相的な効果にすぎない。
じつは、嘘をうみだす深層心理への接近のほうが重要なのだ。人がしばしばこころのうちに抱く葛藤の理解である。葛藤を理解することで、自分自身と折り合いをつけることができるし、人間関係の調整に寄与する。
本書のねらいはここにある。
こう書くと、何やらむずかしい議論に終始しているかのような印象を与えてしまうが、心理学的考察は巻末の解説で集中的に語られているだけだ。
全体の8割はミステリー・タッチの小説もどきなのである。読者はひたすら楽しめばよい。そして、じじつ楽しめる。それも当然だ。著者は、聴衆と批評家の絶賛をあびた(と著者紹介にある)劇作さえものしているのだ。
読者は、興にのって読み進めるうちに、嘘のさまざまな諸相をひととおり頭に入れることができる。その後は、読者各自の仕事である。
□ジャンナ・スケロット(リッカルド・アマデイ訳)『誰もがみんな嘘をついている』(青山出版社、2000)
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