語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【震災】原発>日本で自然エネルギー発電が進まなかった原因

2012年03月05日 | 震災・原発事故
 日本で自然エネルギー発電が進まなかった原因は、
 (a)最大の原因は、電力会社の独占体制だ。電力会社は、その独占体制が見直されないよう、政治や国民の考え方の汚染を進めてきた。
 (b)経産省も、大規模集中型の電力で日本のエネルギーを賄っていくという方針に立つ。
 (c)その周りを御用学者が取り巻いている。日本の御用学者はろくに勉強していないから、本当の意味での知性ではなく、電力会社や国に対してタイコ持ちをするための、あざとい知性しか持っていない。
 (d)しかも、それを伝えるメディアも、電力会社の潤沢な広告費によって汚染されている。電力会社は、メディアを通して、「原発は安全・安心・クリーン」だと、国民をどんよりした不透明な空気で覆ってきた。

 今回の原発事故で、原子力安全委員会や原子力安全・保安院の中に、原発の安全性を真剣に考えていた専門家がいなかったことが証明された。
 彼らの中に、原発の安全性を科学的・合理的に評価する人がある程度存在していたら、状況は違っていたはずだ。原子力の推進や将来についてきちんと考えていたのなら、一度深刻な事故が起きれば日本の原子力立国路線は致命的な打撃をうける、というところまで想像が及ぶはずだ。ところが、その思考力すら失われていた。研究者の独立した意志に基づいて、安全性を第一として必要な検証・措置をする、その行動すら抑えつける重苦しい空気というものがあるのだ。

 こうした機関の外部でも、日本には「政策知の進化」が起きなかった。
 北欧諸国では、政策知の進化と積み重ねがしっかりある。
 スウェーデンでは、スリーマイル島の原発事故(1979年)を契機として、当時の与党、社会民主党が長らく拒否していた原発国民投票にゴーサインが出て、1980年、ついに国民投票が行われた。この国民投票には、結果よりプロセスにかなり意味があった。当時の18歳以上の成人が、1年間にわたて原子力とエネルギーと環境、また自分たちの社会の未来について徹底的に考え抜いて1票を投じた。選択肢として、イエスかノーではなくて、全面的推進・部分的推進・撤退の3つがあった。投票の結果は、全面的推進が20%以下、その他2つがほぼ同数だった。全面的・部分的推進をとれば原発推進がマジョリティで、部分的推進・撤退をとれば消極派がマジョリティになるという、非常に議論の余地のある結果になった。ただ、そのプロセスがスウェーデン国民のある種のカタルシスとなり、彼らはその結果を受け入れた。
 当時、スウェーデンでは6基の原発が動いていて、6基が建設中だった。当座はその6基を建設するが、2010年までにはすべてを廃止する、という矛盾の塊のような結論になった。そうした矛盾を含めて、スウェーデンの政治文化は、ある種ステージアップした。
 スウェーデンのエネルギー政策においては、1970年代は原発推進か反対かの二項対立だった。二項対立は、ディベートで論破すればよい、勝つか負けるかの政治文化だ。そうした政治モードから、マルチステークスホルダーが協力して問題を解決していこう、という実務的な政治文化へと変化していった。原子力の安全性を高めるのも、核廃棄物の扱いについても、自然エネルギーを生み出すにしても、ディベートして相手の穴を見つけたところで結論は出ない。具体的にどう改善していくのか、という知恵に結びつけていくための政治に変わった。政治面でのエコロジー的近代化だ。
 原発反対のデモ行進が、そういう知の進化を生んでいった。

 それがベースとなって、スウェーデンでは1980年代から、地方自治体ベースで、熱利用でバイオマスを膨らませる取り組みが始まった。
 デンマークでは、風力発電協同組合という形で、風力発電を普及させる最初の試みが始まった。
 それが、1990年代のドイツのフィードインタリフ(エネルギーの固定価格買い取り制度)や電力自由化、環境税という政策に繋がっていった。
 国際社会では、これまでトップダウン的体制のもとで進められていた環境政策が次々に改められているのに、日本は、とにかく見直しを求める議論を徹頭徹尾、異論として退けてきた。そして、排除する側は、中身がからっぽだから、何も生み出さない。壮大なる空洞と、外側から異論を入れさせない鉄壁の守りという構造が、ずっと続いてきた。

 以上、インタビュイー:飯田哲也(NPO法人環境エネルギー政策研究所長)/インタビュアー:川辺美希「原子力発電というのは、国際社会ではもう終わっているものなんですね」(『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』、ロッキング・オン、2011)に拠る。ます」(『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』、ロッキング・オン、2011)に拠る。
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【震災】原発>世界で拡大する自然エネルギー

2012年03月04日 | 震災・原発事故
 日本を除く世界では、自然エネルギーの推進派、人類史における農業革命、産業革命、IT革命に続く第4の革命と言われる。2010年の暮れ、風力・太陽光・バイオマス発電の設備容量は原発の設備容量を超えた。
 原子力による発電量は、今では減少している。米国はスリーマイル島原発事故意向にできた原発は1基もないし、世界では原発の廃止が相次いでいる。原発は、国際社会ではもう終わっている。
 それに対し、風力・太陽光発電の世界マーケットは、昇り龍のように拡大している。
 日本は、10年近く前には世界最大の太陽光発電の市場だったが、政策の力によってドイツに一気に抜かれた。2010年に自民党政権が導入した太陽光発電の固定価格買い取り制度で少し持ち直したが、市場は縮小している。
 ドイツは、太陽光発電の市場が、毎年倍くらいのペースで拡大している。2010年はなんと1年間で740万kWの規模になった。原発7基分の設備容量に相当する。ドイツは、2000年当時6%だった自然エネルギー発電の割合が、2010年には17%まで拡大した。日本では毎年23兆円分も輸入している化石燃料を、2010年には3,000億円分節約しているし、二酸化炭素の排出量は1.2億トン削減した。ドイツにおける自然エネルギーの経済効果は5兆円と言われ、37万人の雇用を生み出している。
 自然エネルギーは地域の人たちが所有しているため、この産業の発展により、地域の経済がどんどん豊かになている。

 自然エネルギーは、世界で非常に大きなお金の流れも生んでいる。10年前、全世界で自然エネルギー産業への投資金額は1兆円にも満たなかったが、どんどん拡大して、2010年は2,430億ドル、22兆円がこの産業に投資されている。うち、ドイツが5兆円、中国が5兆円、米国が3兆円を占めるが、日本への投資額はわずか3,000億円しかない。
 ミクロ経済でも、世界の株式時価総額のランキング上位に、世界の自然エネルギー企業が次々に入ってきている。その企業は、欧米のさまざまな国や中国・印度といった新興大陸に拡がっているが、日本企業は上位に一つもない。この大きな経済構造変革期に、日本企業はほとんど存在感がない。
 日本は、太陽光発電については2006年には世界で半分のシェアを持っていたが、世界のマーケットの拡大が速すぎて、相対的に日本のシェアがどんどん小さくなり、2009年には12%にまで落ち込んだ。
 2020年までの自然エネルギー電力の割合(目標)は、フランス27%、ドイツ39%、イタリア26%、スペイン40%、スコットランド100%。菅元首相は2020年代までに20%という目標を表明したが、これは非常に消極的な目標だ。

 以上、インタビュイー:飯田哲也(NPO法人環境エネルギー政策研究所長)/インタビュアー:川辺美希「原子力発電というのは、国際社会ではもう終わっているものなんですね」(『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』、ロッキング・オン、2011)に拠る。
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【震災】原発>経産省と電力会社の関係 ~古賀茂明~

2012年03月03日 | 震災・原発事故
●日本の役所に根づく途上国体質
 原発の危険性は、他のものと比べて、程度ではなくて、質的な違いがある。ひとたび何かあったとき、取り返しのつかない大きな被害がでる。これを織り込んだうえでビジネスにするのは、本当は非常に難しい。
 欧米では原発の規制がどんどん厳しくなり、原発のコストは高い、ということになってきている。日本では、まだ安い、と言われているが、それはちゃんとした規制が行われていないからだ。廃棄物を全部処理することを含めて、絶対安全という基準を作ったら、民間ではペイしないものになる可能性が高い。
 東電国有化論が出ているが、国は一番ガバナンスが働きにくい組織だ。民間企業で安全にできないものは、国ではまずできない。
 原発の安全性を高めるための考え得る最高レベルの規制を作らずに、民間にやらせてきた。この仕組み信じきっているところに、そもそも問題があった。
 欧米の記者の最大の疑問は、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院がなぜ国民のほうへ向いていないか、だ。賄賂によって抑え込まれているなら、まだわかりやすい。しかし、日本の統治機構がそういう仕組みになっている。深い構造的な問題があって、世界に通用する普遍的な言葉で説明できない。
 日本では、役所がまだ途上国体質なのだ。日本の政治には、殖産興業をずっとやって根づいた体質が、今も非常に色濃く残っている。規制しても、企業が成長するための規制をする。殖産興業の哲学では、電力は基本中の基本だ。国民の安全よりも国家経済の振興が先だ、という感じだ。

●電力会社を守る究極のモラルハザード
 電力会社は、何よりも安定供給が重要だから、無尽蔵に資源、コストをかけていく体質ができた。無駄を削るインセンティブがない。その最大の原因は、総括原価方式(かかったコストはすべて電気料金としてカウントできる)と公正報酬率(投資して保有する資産の3%くらいを利益として上乗せできる)という仕組みだ。利益を増やすためにはコストを増やしたほうがよい・・・・究極のモラルハザードだ。
 工事関係の発注とかパッケージで資材が入ったりして、中身がよく見えないものは異常に値段が高くなる。
 昔はキックバックもあったが、今は洗練されて、取引会社が天下りを受け入れたりする。
 ものを買ってもらう側からすれば、電力会社には足を向けて寝られない。大企業といえども、電力会社には文句を言えない。自家発電の設備を持っている大企業はたくさんあって、法律上はその電力を売れるが、電力会社に「売りたい」とは言えない。機嫌を損ねるから。ついこの間までは、スマートグリッドのスの字も言えない雰囲気があった。
 電力会社は地域の経済界を支配し、その影響は政治に及ぶ。各地の経済団体連合会のトップは電力会社だ。その経済界の支援を受けるには、電力会社と仲良くしなければならない。民主党も、電力総連とのつながりが強い。
 今、連合の関係の組合が、各地元で民主党員に踏み絵を迫っている。「あなたは原発廃止したいか?」
 野田首相も、原発をゼロにする、という言い方はしない。経済界にも政界にも、電力会社の意向に逆らえない、という雰囲気がまだある。
 
●フィクションとしての規制当局
 経産省も電力会社に逆らえない。
 電力料金にかかっている税金は、エネルギー対策特別会計の歳入になる。経産省は、この何千億円をばらまく権限を持つ。だから、電気料金を下げよ、などと市民の側に立つと、自分たちに火の粉が降りかかる。原発に使うカネも、電気料金でとった税金だ。それを使えなくなると、自分たちの権限がなくなる。
 電力関係は、関連団体も企業も星の数ほどある。そこに大量に天下りしているから、この大きな仕組みをがらっと変えるのは、経産省には不可能だ。
 経産省が本気で改革に向けて動き出したら、電力会社の強大な力に支配されている政治家が牙を剥いて襲いかかってくる。経産省の中の「改革派」はパージされる。過去、そういうことが何回も起きた。電力会社を規制する経産省は、電力会社より弱い。
 外から批判すべきマスコミにも同じような構造があって、電力会社の膨大な広告費に依存し、その結果、電力会社に支配されている。批判勢力が存在しない。
 原子力発電をやっている国は、基本的に軍が原子力に関わっている。純粋に民間だけがやっている国は少ない。米国のNRCには、軍で原子力に関わっていた人が多く、電力会社と癒着していない。
 日本では、原子力を管理したり安全を審査する能力がある人は、メーカーと電力会社にしかいない。政府側にそういう人を置こうとすれば、そこから連れてくるしかない。泥棒が泥棒を審査する構図だ。規制当局はフィクションだ。
 こんなシステムが今まで維持できたのは、たぶん、電力会社があんまり悪くなかったからだ。

●中央集権のシステムがある限り何も変わらない
 再生可能エネルギー推進は、電源の分散につながる。インターネットを含めて、世界では電力も分散化の道に入っていて、スマートグリッドを含めた新しい電力システムの開発が進みつつある。圧倒的に遅れている日本でも、その技術を持っている会社はいくつかある。人口1億人の日本には、それなりに需要があるから、日本IBMやGEジャパンがずっと研究してきた。だが、もう動かないだろう、と本社が判断し、そのリソースがどんどん中国に送られている。そこに日本に大震災が起きた。今、日本IBMやGEがスマートグリッドの新しい大規模実験に取り組んでいる。東北復興の一環としてそれをできないか、と。仙台や石巻に入ってやっている。
 再生可能エネルギーの全量買い取り制度は、まやかしだ。全部電力会社が買うから、中央集権の仕組みが温存される。結局、電力会社がすべてを握る。発送電分離も小売りの自由化もしない中でやっても、限界がある。本当の意味での競争が起きない。
 今の日本の電力市場でも、大口の電力供給は自由化されている。電力の6割くらいは自由化されている。東京の会社が東北電力から電力を買ってもよいが、地域を越えた供給はまだ1件しかない。競争が起こらない。
 経産省の利権を守る体質は、ものすごく強い。

 以上、インタビュイー:古賀茂明/インタビュアー:渋谷陽一「経産省で偉くなる人は、いかに電力会社と手を打つかというところをうまくやってきたんですね」(『私たちは原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています。』、ロッキング・オン、2011)に拠る。
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【震災】原発>「安全値」の恣意的な操作と内部被曝

2012年03月02日 | 震災・原発事故
(1)「安全値」の恣意的な操作
 「安全神話」の根拠となった線量「安全値」は恣意的に操作されてきた。
 1966年、米国「オークリッジ国立研究所」は、広島・長崎両原発投下時の「放射線量」について、暫定的な計算値を発表した。それと人体被害を付き合わせたのがT65D(Tentative 65 dose=1965年につくられた暫定値)だ。現在使用されているICRPの「民間人1mSv/年」もこれに依拠する。
 ところが、T65Dの計算根拠は一切示されていない。この計算が誤っていれば、「権威ある国際基準値」は崩れさる。

 米国「ローレンス・リバモア研究所」を始め、T65Dの定説を覆すデータを次々に明らかにした。
 同研究所によれば、(a)広島・長崎での中性子量はT65Dの計算値よりはるかに少ない(広島1/10、長崎1/6以下)。(b)人体被害をもたらしたのは中性子よりγ線である。
 10倍多く見積もっていたのだから、導き出される安全値はT65Dの1/10量に下げなくてはならないはずだ。つまり、安全値は0.1mSv/年ということだ。

 ビッツバーグ大学教授(当時)の世界的な疫学者トーマス・マンクーゾは、米国原子力委員会の依頼を受け、1964年からハンフォード原子力施設(リッチモンド)労働者を調査し、1977年に報告した。
 マンクーゾ報告書によれば、原子力産業で働く労働者は、一般の労働者に比して10倍、20倍も癌になりやすい・・・・。
 米国は、ただちにもみ消しに走った。研究はオークリッジ研究所に交代させ、集めたデータは持ち去り、研究費を止めた。研究の不備を唱える反論キャンペーンを繰り返し、遂にマンクーゾは米国にとって「好ましからぬ人物」のレッテルが貼られた。米国は、「差し迫った危険はない There is no immediate danger」宣伝にやっきとなった。
 どこかで聞いた宣伝だ。「直ちに健康には影響しない・・・・」
 今使われている安全値の「線量体系」自体、「さしあたって」の目安なのだ。

(2)内部被曝 ~ペトカウ効果~
 運営費を原子力産業が出している国際放射線防護委員会(ICRP)は、「内部被曝」をずっと軽視し続けてきた。
 ICRPは、初めの2年を除き、内部被曝部門を廃止し、主に外部被曝を扱っている。広島・長崎の被曝認定も、原則、外部被曝(一次放射線)だけで判断してきた。
 しかし、現実には、広範囲の人たちが誘発放射線(二次放射線)を浴び、フォールアウトや黒い雨を浴び、外部・内部被曝を起こしていた【注1】。
 マンクーゾ報告書がショックを与えたのは、内部被曝の危険性を指摘したからだ。そして、フクシマの危険性も、外部被曝以上に内部被曝にある。

 A・ペトカウは、1972年、ホワイトシェル研究所(カナダ)で、まったくの偶然から大発見した。放射線による細胞膜破壊の実験中、誤って実験材料を放射性ナトリウムが混じった水の中に落とした。すると、15.6Svの放射線を58時間照射しなければ破壊できなかった細胞膜が、0.00001Svの放射線を12分浴びるだけで破壊されたのだ。実験を重ねた結果、「放射時間を延ばせば延ばすほど細胞破壊に必要な線量は少なくて済む」ことが確認された。つまり、体内に入った放射性物質は、微量であっても体内に留まれば簡単に細胞膜を破壊するのだ【注2】。

 今日では、次のことはよく知られている。体内に入った放射性物質は活性水素を発生させることによって細胞膜を破壊し、遺伝子の二重螺旋構造の鎖を切り裂く。その結果、誤った遺伝情報の再合成が繰り返され、障害や癌が発生する。
 「切り裂き」は、細胞分裂の激しい器官(骨髄・腸粘膜・生殖器・甲状腺など)ほど深刻だ。子どもや妊婦が危ないのも同じ理由だ。

 【注1】「【震災】原発>米国の低線量内部被曝 ~ペトカウ効果~
 【注2】松井栄介『見えない恐怖--放射線内部被曝』、旬報社、2011

 以上、中澤正夫「原爆と原発 ~「フクシマ」が我々に突きつけたもの」(「障害者問題研究」No.4 vol.39 Feb.2012)のうち「5 核による汚染について ~その2 原発について~」に拠る。
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【震災】原発>自民党の自己批判 ~原発政策~

2012年03月01日 | 震災・原発事故
 2011年7月11日、自民党の「総合エネルギー政策特命委員会」第3回が開かれた。自民党が与党だった時代に進めてきた原子力政策が正しかったか、検証しようとする目的らしい。
 講師らは、口々に過去の自分を正当化した。
 (a)野田毅・元自治相・・・・「安定性とコストの面から考えれば、原子力しかなかった」
 (b)細田博之・元官房長官・・・・「過去を正当化する必要はないが、原発をすべてやめてしまえというのは感情的で適当ではない」
 (c)甘利明・元経済産業相・・・・「私が経産相の時には、できることはできる限りやった」

 河野太郎・衆議院議員が次のような質問を繰り出した。

 ①最終処分のための法律は、使用済み燃料を全量再処理することになっている。毎年出てくる1,000トンの使用済み燃料に対して、再処理工場の能力は800トンしかない。また、国内で再処理されて出てくるプルトニウムはもんじゅの燃料として使われることになっているが、もんじゅは動いていない。なぜ、つじつまが合わないのに自民党は、全量再処理の法律を制定させたのか。
 ②なぜ、自民党は、あれだけの反対の中、保安院を経産省の下に設置したのか。
 ③なぜ、自民党は、すべての環境法令について原発を適用除外にしたのか。
 ④なぜ、自民党は、処理できない使用済み燃料や高レベル放射性廃棄物を出す原発が、単に二酸化炭素を出さないというだけの理由でクリーンエネルギーと呼ばれるのを認めてきたのか。
 ⑤昭和47年に通産省と環境庁の間で結ばれた国立公園内の地熱発電の開発の凍結に関する覚書は今日現在でも有効なのか。もし有効だとしたら、なぜ、自民党はこの覚書を無効にしなかったのか。
 ⑥なぜ、これまで電力の質に関する議論が行われてこなかったのか。どこどこおn企業の製造する半導体関連のなんちゃらの部品は、日本の電力の品質がなければ製造できない等という発言が最近も自民党の会議のなかであったが、そのような電力を必要としているのは産業界でも極めて限定的であり、本来、それはその事業者が自ら調達すべきものであり、一部の限られた事業者のみが必要としている高品質の電力をすべての消費者に高価格で供給することはおかしいのではないかという議論に、なぜ、ならなかったのか。
 ⑦電力業界が一部、自由化されたという建前のせいで、総括原価の内容や原発のコストなど重要な情報が「企業秘密」ということになり、非公開になった。なぜ、自民党は、こんないい加減な電力自由化を認めたのか。なぜ、自由化を口実に必要な情報を隠すことを許してきたのか。

 <河野氏によれば、3・11以前は、こうした質問をしても、「ではこれで会議を終わります」と一方的に打ち切られたという。>
 
□たくき よしみつ(鐸木能光)『裸のフクシマ ~原発30km圏内で暮らす~』(講談社、2011)

 【参考】「【震災】原発>『裸のフクシマ ~原発30km圏内で暮らす~』
     「【震災】原発>30km圏内で暮らす人々の覚悟 ~裸のフクシマ・その2~
     「【震災】原発>川内村の「面白い人たち」 ~裸のフクシマ・その3~
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