ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2023-73 百の診療所より1本の用水路を

2023年03月30日 | 日記
医師、故中村哲さんが亡くなって3年と4か月、
今日、その35年の現地活動の軌跡のドキュメンタリー映画
「荒野に希望の灯をともす」の上映会があった。
1,946年生まれ、1984年にパキスタンとアフガニスタン国境沿いの
ペシャワールに赴任。
始めはハンセン病患者の治療が主であった。訪れる患者は数年、自宅で療養、
どうにもならなくなり駆けつける重症患者。
食糧支援をしながら無医村の地区に診療所建設。ペシャワール会を設立。
しかし、2000年ぐらいからアフガンは酷い干ばつに見舞われ、食料不足に陥る。
医師の中村さんは独学で土木技術を学び
そこで2003年から用水路の整備や農地の再生に取り組む。

これまでにかんがいが行われた地域は1万6000ha。
岩手県の水田の10分の1の広さなのだ。
その間、アフガン戦争があった。
当時、中村医師は国会で証言したのは武器や自衛隊はいらない。
何より人道支援だ。と訴えた。
彼は次男を10歳で難病の病気で亡くしていた。
その間も日本各地で支援を訴え続けていたのだった。
そして多くのアフガン人を救ったのだ。救った命65万人。

しかし、干ばつの備えを何故アフガンでは国として対策をとらなかっただろう。
多くの国民が苦しんでいるのだ。大々的に工事を進めれば、最も効率的に出来るのではないか
と疑問がわいてきた。飢えに苦しんでいるは多くの国民なのだから。

爆撃機が空を飛んでいるのをみながら用水路建設。
「彼らは殺すために空を飛び、我々はいきるために地面を掘る。」と。
享年73歳。実に大事な方を失ってしまった。
人類にとって、いつまでも最も生きていて欲しい方を失ってしまったのだ。






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