ある退職教師のつれづれなるままに

38年間の教職26.3.31退職
4月1日再任用。自分の目でみたこと感じた事など
つれづれなるままに記します。

2025-34 白色の確定申告

2025年02月16日 | 日記
2月になって最も寒い日々が続きます。来週も大寒波。
もうすぐ春が近いはずが真冬に逆戻り。・・・

来週から1か月確定申告期間。一足早く、金曜日に確定申告。
申告前の数日間、税務署の相談日があり数日前にハガキでそのお知らせ。
会計士に相談し、今までは世帯主へだったが今回は自分で農業の白色申告を決意。
その前に税務署に来年青色申告をする申請と個人事業の開業届を提出。
ついに自立への一歩を踏み出す。簿記は岩手大学のアグリで1年学んだがまだまだ未完成。
貸借対照表とか勘定項目等々、何とも心もとない。
これまでは売り上げを記載していたが、これからは支出も毎日記載せねばならない。
家計簿を付ける気分でやれるだけやってみよう・・・

今までの領収書を区分けごとに整理。自家用車も減価償却費に分類。
勿論、ガソリン代も動力光熱費に。まとめてみると苗代や肥料代が結構多い。
マルチ代、ポリ代は諸材料費等々。農業に関係する本や雑誌は雑費へ。
知らなかった自営業の世界に踏み込んだ気分。

とにかく封筒に小分けして、何とか確定申告会場で提出。
担当の方々から丁寧に教えて頂き、無事終了。
それにしても長く、疲れた2時間。
今回の確定申告で分かったこと。
今年度限り、一人3万円所得税の減税。住民税は来年、一人1万円あるとのこと。
そういえば、岸田前総理が国会で答弁して野党が「減税が遅過ぎる。」といっていた事が
これだったのかと改めて気がついた次第・・・





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2025-33 肩の痛み

2025年02月13日 | 日記
先週からの大寒波。まだ続き今日も雪模様。

最近というより慢性的に痛みが残っている右肩。
原因は水泳。毎日のように練習していたのを1日間隔をあけて泳ぎ
肩を直そうとしているのだが相変わらず捻ると痛みが走る。
水泳仲間でも慢性的な痛みをかかえ頑張っている人もいる。
その一人になったかと思っていた。

コーチに話したら、痛みのある泳ぎはすぐやめる事と、駄目出し。
クロール、バックでの入水から水をキャッチする時の姿勢が問題だと。
捻らず真っ直ぐ入れて水を押せばよい。捻ることが肩を痛める原因。
入水時、伸ばして前に掻けばいいのだが、ローリングしてひねってしまっていたのだ。
もう一回、点検しながら練習だ。

キックの仕方。キックが弱い。そして呼吸で一時止まっていると。
リズミカルに打つ練習。
片足キック。2ビート。6ビート。
これに手を加える。
水面を打つので力強いキックで前より速さが出てきた。
キックは疲れるので苦手だった。
この練習の仕方で頑張る意欲が少し湧いてきた。





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2025-32 消えゆく農民・・時給10円

2025年02月11日 | 日記
山形放送制作、「時給10円という現実」消えゆく農民を見て
何とも怒りが湧いてきた。
朝日連峰を望む長井西根地区。語るのは菅野さん夫婦。75歳
若い頃の成田闘争経験者だ。
地元で農業に従事して50年。
その間に1970年減反政策、農業の集団経営等々。
かつてもてはやされたこの集団経営も今では青息吐息。10人の給与が払えない。
余程の効率化で儲けないと・・・。実現不可能。
その典型が鶏のケージ飼い。鶏にとって世界1過酷な地獄である環境。
押し込められ運動も出来ず食べて卵を産むだけ。欧米では虐待として禁止条項。

農林水産業省の統計ではかつて時給200円が2022年統計では
農業粗収益378万 経営費377万 農業所得1万円。労働時間1,003時間で時給10円。の資料。
この実態なんで放置しているのだろう。
農業従事者、現在50万人 15年後7,5万人と減少。なぜか。高齢化70代以上が60% 60歳以下10%なのだ。
農業は消える産業なのだ。対策は決まって規模拡大。
しかし、これも苦しい実態。機械が1000万と高い。大規模になるほど多額な借金を背負う。
経営に行きづまり廃業。小規模、家族主体の零細でも機械のネジが1本なくなり廃業に追い込まれる。
集団経営企業ではやめさせられ、くびになり農家がいまくなる。
いずれ、水田はなくなり、農村の維持が出来なくなる。

今でも年齢が高くても農業従事をしている高齢者。
家族主体の零細を国連は推奨している。
今こそ小規模農業の良さを見直してほしいものだ。













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2025-31 新劇の歩み100年

2025年02月08日 | 日記
今週末まで今季最大の大寒波。今朝はマイナス10度。
この間、スイムをガッツリ。こんな寒い日にと傍目に思うがもしれないのですが。
プールの水温は何時もより高めに設定され、以外と快適に泳げるのです。

先日、県民会館にて演劇鑑賞会向けに東演劇団の方の講演。
演劇の100年の歩み
1906年 文芸協会 坪内逍遥、島村抱月。発足 滝沢修、杉村春子生まれ
1909年 演劇研究所~13年解散
1913年 芸術座 島村抱月 松井須磨子 発足 下村正夫 園井恵子(岩手 八幡平) 生まれ
1914年 宇野重吉、木下順二 生まれ 1923年 関東大震災
1924年 6月 築地小劇場開場  
1925年 25才男子普通選挙 治安維持法
1931年 満州事変 日中15年戦争 ~
1933年 小林多喜二 拷問死
1937年 文学座 発足
1940年 8月 劇団強制解散 100名以上検挙。大政翼賛会
1941年 日本移動演劇連盟発足
1942年 苦楽座す結成 丸山定夫 園井恵子ら 文化座結成
1944年 俳優座結成
1945年 苦楽座 移動演劇連盟に参加 6月広島に「桜隊」と改称
1945年 8,6  爆心地から750mの宿舎で被爆 9人のうち5人は即死。 
    4人は放射能に苦しみ全員亡くなる。園井恵子 8月21日亡くなる 32歳

 歴史の流れにそって当時の出来事を解説して下さった。注目したのは地元の園井恵子だった。
宝塚に入団した後女優に。時代に翻弄され若くして原爆で犠牲になったが、生きていればどんな人生があったのだろう。
杉村春子、宇野重吉などと匹敵するくらいの存在感があった才能溢れた女優だったに違いないと推測される。
晩年、杉村春子は文化勲章が贈られることへ丁寧にお断りし、辞退したと。
戦前、多くの仲間が検挙され、苦しみ辛い日々を過ごしたことが脳裏を離れないことの表れだったといえる。


 




 
 






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2025-30 奥の深い舟越保武作品・・・県立美術館にて

2025年02月06日 | 日記
この美術館の目玉である舟越保武の作品について、具体的に展示をみながらガイドして頂いた。
女性を柔らかい表情で繊細に表現している幾多の像の作品。
完璧主義を求めていたと。それが1つ、萩原朔太郎の遺族の依頼で作成したが何度も駄目出し。
まだ途中でこれでいいのでは、とこの作品を見せたら遺族は満足したと。
やり過ぎて削りすぎることに気づいたとの1つの作品。
代表作、長崎の26殉教者記念像。
秀吉の禁教令により26人の外国人神父と日本人教徒 (6人の宣教師と信徒20人)
が京都から長崎まで1か月歩き長崎の西坂で処刑される。1,597年。
高山右近は石田三成により、除命される。
その一部の4人のレプリカが展示。
歩いて服もボロボロになっていたろうがきちんとした正装。
足がいすれもつま先立ち。いわゆる昇天している姿を表現している。
手や足が1本1本違う。1体ずつ時間をかけて丁寧に仕上げたといわれる。
代表作 原の城
島原の乱で3万7000人死亡。その中で地底から湧き上がる絶望的は鬨の声
保武の作品には実像と虚像の世界を兵士の姿に表している。
一見、埴輪のようにみえる眼がくりぬかれ亡霊の兵士を表現していると。
代表作 ダミアン神父 1975年作品。八年ぐらいかかったと。
ハンセン病患者を前かにして看病して1年後罹患。
ようやくライ患者と同じで目線で語れるようになった、と話していた神父。
その気高さをどう表現できるのか。思い悩みながら表す、血節、血種を顔や手に表す。
生き様が見える「ゴルゴダ」一九九三年、八一歳
保武さんは七六歳で病気で右手が使えなくなる。
その後左手で創作活動に打ち込む。石は硬い大理石からブロンズ像へ
初期の繊細な女性像から晩年の荒々しいそして胸を打つ作品だ。
子の桂氏がこの最後の作品を見て
「これを造るために今まで彫刻をやってきた。」と語ったといわれる。

生き様がダミアン神父と重なって見えた。

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