若かりし頃、小遣いを握りしめて買ったアルバムは、それこそ何度も繰り返し聴いたものだ。
毎日のように、歌詞カードを眺めながらであったり、勉強しながらであったり、いろんなシチュエーションにおいて買ったアルバムは全て曲順はもちろん、歌詞までも覚えたものである。
確かにあの頃に聴いていたものは今でも覚えた歌詞は自然に出てくるし、自分自身の音楽趣向にも大きな影響を与えていたのは間違いない。それが今の自分の骨を形作り、血となり肉となっていることを自身でも感じることがある。おそらくプロのミュージシャンの方々においても同じようなことがあるのではないだろうか。
それが今は…確かに聴く時間も限られているし、CDも当時に比べれば安くなったものである、購入する枚数も下手すりゃ十倍もの量になった。もちろん年を重ねるとともにその蓄積は増える一方。だけれども新しい音楽への欲求はとどまるところを知らない。それぞれのアルバムを聴きこむ時間って、本当に限られるようになってしまった。録音したMDの1曲目を聴いたその場では誰の、何のアルバムだったかが瞬間的に判別できないこともままあって…。そんな意味で、それぞれの音楽に対する思い入れが当時に比べて薄くなってはいまいか。単に音楽をモノとして、コレクションとして消費しているだけになってるのではないのか…。
…なんてね~。
でもここんとこ最後のMDプレーヤーの調子が相変わらず悪いんで、もう限界が見えてきてるものでして。このままデジタルに移行したとしても、初心を忘れず気に入った曲だけを繰り返し聴くのではなく、アルバムはアルバムという一つの作品として大事にしていきたいなと改めて思った次第なのです。
毎日のように、歌詞カードを眺めながらであったり、勉強しながらであったり、いろんなシチュエーションにおいて買ったアルバムは全て曲順はもちろん、歌詞までも覚えたものである。
確かにあの頃に聴いていたものは今でも覚えた歌詞は自然に出てくるし、自分自身の音楽趣向にも大きな影響を与えていたのは間違いない。それが今の自分の骨を形作り、血となり肉となっていることを自身でも感じることがある。おそらくプロのミュージシャンの方々においても同じようなことがあるのではないだろうか。
それが今は…確かに聴く時間も限られているし、CDも当時に比べれば安くなったものである、購入する枚数も下手すりゃ十倍もの量になった。もちろん年を重ねるとともにその蓄積は増える一方。だけれども新しい音楽への欲求はとどまるところを知らない。それぞれのアルバムを聴きこむ時間って、本当に限られるようになってしまった。録音したMDの1曲目を聴いたその場では誰の、何のアルバムだったかが瞬間的に判別できないこともままあって…。そんな意味で、それぞれの音楽に対する思い入れが当時に比べて薄くなってはいまいか。単に音楽をモノとして、コレクションとして消費しているだけになってるのではないのか…。
…なんてね~。
でもここんとこ最後のMDプレーヤーの調子が相変わらず悪いんで、もう限界が見えてきてるものでして。このままデジタルに移行したとしても、初心を忘れず気に入った曲だけを繰り返し聴くのではなく、アルバムはアルバムという一つの作品として大事にしていきたいなと改めて思った次第なのです。