先日コメントを頂いた“ひよこさん”のブログに掲載された、主治医がパソコンに入力をしながらつぶやいた言葉「めんどくさい」が読み手のあいだで物議を醸している。もちろん悪気はなく、つい・・・の台詞だったのだろうし、ひよこさんご自身もそう信じたいと書いておられたけれど。(悪気があっての言葉だったら、とても許しがたい言葉である。)
何度も書いている通り、患者は哀しいけれど心に串が刺さっているので、ちょっとした言葉がその串の穴をぐりぐりと大きく広げてしまうこともあるし、うまくスーッと抜いてくれることもある。主治医の言葉は患者をして、まさしく天にも昇るほど安心させてくれるものであると同時に、いきなり奈落の底に突き落とすほどの力もある。まさに両刃の剣だ。
もちろん医療関係者の方たちの忙しさは、傍で見ていても気の毒なほどだし、彼らも私たちと同様家族を持ち、日々生活をし、いろいろな悩みやストレスを抱える人間なのだ。だから、神様のようなあり方を求めるのは酷だ、とも思う。
それでも「めんどくさい」・・・それを口に出して言っちゃあおしまいよ、と思う。
もちろん朝からひっきりなしに患者さんと向き合い、昼食をとる時間もないほどの忙しさの中、慣れない操作を何度も繰り返すことは「めんどくさい」ことに違いないのかもしれないけれど、勉強でも仕事でも「めんどくさい」そう言ってしまったらもはや前に進まなくなる。
私も仕事をしながら(うーん、めんどくさいな)と思うことは多々あるけれど、それでもそれをやるのが仕事、だからこそ頂ける給与だと思っている。そして、それを口に出すようになってしまったら仕事を辞めなければならない時期がきているのだろうな、とも思っている。
長く患者をやっていれば、医療関係者から言われた言葉がいつまでも心に突き刺さっていることもあるだろう。検査を受ける時など、自分は尊厳をもった一人の人間であるという気持ちを捨てて、一個の検体にすぎないのだと思わないとやっていられないこともある。
私は今のところ、幸いなことに長く診て頂いている主治医等からそうした言葉は投げかけられていない。1ヶ月間、毎日通った放射線の治療の時にも丁寧に扱って頂けたと思う。
が、今でもふと思い出す忘れられない言葉は、やはりある。
サードオピニオンを頂いた先生の言葉である。説明は理路整然としてとてもわかりやすかったけれど、ある一言が、私がその病院を選ばなかったことの理由の一端を担っているのは事実だ。ハーセプチンを始めた場合の予後のお話を聞いたとき、「ハーセプチンは効いている人は何年も続けてやっていますよ、でもお金が大変だよね~」・・・この一言だった。先生はこれから長い治療になるだろう私の懐を心配してくださっただけで、何の悪気もなかったのだ、とはわかってはいる。なぜ?そんなことが?うがった見方ではないか、と思われるかもしれない。
その時「そうですね・・・・、何年も投与して頂くことで多大な負担を皆さんにかけ続けることになるのですものね。」と言うのがやっとだった。分子標的治療薬ハーセプチンは1回の投与で3割負担でも2万円ほど。1回分7万円もするのだ。それを毎週、仮に5年間続ければいったいどれほどの金額になるか。月30万、年間360万、5年で1800万円だ。本人負担は500万ほどだが、私の命は健康保険組合の皆さんにそれほどの負担を課すだけの価値があるものなのか、と思ってしまったのだ。
あれから3年以上が経つ。そしてその年の7月から開始したハーセプチンの投与も130回を超えている。1000万円近いお金だ。自己負担300万、組合負担700万。ハーセプチンが奏功している限り、この医療費負担はエンドレスに続くことになる。このお金が高いか安いか。・・・あの忘れられない言葉がリフレインする。そして、この負担額が私の命にふさわしいものかどうか、ふと考え込んでしまうことがある。
昨夜遅くの地震も大きく長かった。忙しい1日だったので疲れてちょうど寝入りばなだった。ベッドの中でどんどん大きくなる揺れに今起きだそうかどうしようか、と迷いながら息を殺して待った。これまでで最大の余震・・・宮城県では震度6強。ショックで亡くなった高齢者もおられたという。
3.11の巨大地震から今日で4週間。いったいいつになったら地の神の怒りは収まるのだろうと思う。被災地の方たちの繰り返される恐怖を思うと本当に胸がつぶれる思いだ。
何度も書いている通り、患者は哀しいけれど心に串が刺さっているので、ちょっとした言葉がその串の穴をぐりぐりと大きく広げてしまうこともあるし、うまくスーッと抜いてくれることもある。主治医の言葉は患者をして、まさしく天にも昇るほど安心させてくれるものであると同時に、いきなり奈落の底に突き落とすほどの力もある。まさに両刃の剣だ。
もちろん医療関係者の方たちの忙しさは、傍で見ていても気の毒なほどだし、彼らも私たちと同様家族を持ち、日々生活をし、いろいろな悩みやストレスを抱える人間なのだ。だから、神様のようなあり方を求めるのは酷だ、とも思う。
それでも「めんどくさい」・・・それを口に出して言っちゃあおしまいよ、と思う。
もちろん朝からひっきりなしに患者さんと向き合い、昼食をとる時間もないほどの忙しさの中、慣れない操作を何度も繰り返すことは「めんどくさい」ことに違いないのかもしれないけれど、勉強でも仕事でも「めんどくさい」そう言ってしまったらもはや前に進まなくなる。
私も仕事をしながら(うーん、めんどくさいな)と思うことは多々あるけれど、それでもそれをやるのが仕事、だからこそ頂ける給与だと思っている。そして、それを口に出すようになってしまったら仕事を辞めなければならない時期がきているのだろうな、とも思っている。
長く患者をやっていれば、医療関係者から言われた言葉がいつまでも心に突き刺さっていることもあるだろう。検査を受ける時など、自分は尊厳をもった一人の人間であるという気持ちを捨てて、一個の検体にすぎないのだと思わないとやっていられないこともある。
私は今のところ、幸いなことに長く診て頂いている主治医等からそうした言葉は投げかけられていない。1ヶ月間、毎日通った放射線の治療の時にも丁寧に扱って頂けたと思う。
が、今でもふと思い出す忘れられない言葉は、やはりある。
サードオピニオンを頂いた先生の言葉である。説明は理路整然としてとてもわかりやすかったけれど、ある一言が、私がその病院を選ばなかったことの理由の一端を担っているのは事実だ。ハーセプチンを始めた場合の予後のお話を聞いたとき、「ハーセプチンは効いている人は何年も続けてやっていますよ、でもお金が大変だよね~」・・・この一言だった。先生はこれから長い治療になるだろう私の懐を心配してくださっただけで、何の悪気もなかったのだ、とはわかってはいる。なぜ?そんなことが?うがった見方ではないか、と思われるかもしれない。
その時「そうですね・・・・、何年も投与して頂くことで多大な負担を皆さんにかけ続けることになるのですものね。」と言うのがやっとだった。分子標的治療薬ハーセプチンは1回の投与で3割負担でも2万円ほど。1回分7万円もするのだ。それを毎週、仮に5年間続ければいったいどれほどの金額になるか。月30万、年間360万、5年で1800万円だ。本人負担は500万ほどだが、私の命は健康保険組合の皆さんにそれほどの負担を課すだけの価値があるものなのか、と思ってしまったのだ。
あれから3年以上が経つ。そしてその年の7月から開始したハーセプチンの投与も130回を超えている。1000万円近いお金だ。自己負担300万、組合負担700万。ハーセプチンが奏功している限り、この医療費負担はエンドレスに続くことになる。このお金が高いか安いか。・・・あの忘れられない言葉がリフレインする。そして、この負担額が私の命にふさわしいものかどうか、ふと考え込んでしまうことがある。
昨夜遅くの地震も大きく長かった。忙しい1日だったので疲れてちょうど寝入りばなだった。ベッドの中でどんどん大きくなる揺れに今起きだそうかどうしようか、と迷いながら息を殺して待った。これまでで最大の余震・・・宮城県では震度6強。ショックで亡くなった高齢者もおられたという。
3.11の巨大地震から今日で4週間。いったいいつになったら地の神の怒りは収まるのだろうと思う。被災地の方たちの繰り返される恐怖を思うと本当に胸がつぶれる思いだ。