ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.6 最大の苦痛とは

2011-07-06 19:15:08 | 日記
 昨日(2011年7月5日)の東京新聞夕刊のコラム「紙つぶて」で唸った記事があるので、下記に転載させて頂く。

※  ※  ※ (転載開始)

70代の大学院生

 大学院の夜の授業を受ける70代の男性がいた。「なぜ勉強しているのですか?」と聞かれたAさんは、「高齢者の生きがい」を研究している若い学生の前では「楽しいから」と答えた。
 腸のポリープ除去や、目の手術を繰り返し、一方の耳が難聴といった状況下で、とっぷりと暗い冬の夜の授業に通いきれるかどうか。論文も書いたことがなくて大学院にやってきた人である。
 帰宅してみると、Aさんからメールが届いていた。「午後10時に帰宅できました。疲れましたが、今後も継続できそうです」と。ひと安心していると、その後に、授業では語られなかった本音が書かれ、私のこころをくぎ付けにした。
 「私の“学習を楽しむ”について説明させてください。健康喪失、配偶者喪失、単身生活での学習は楽しみではなく苦しみです。学習進度は遅々としていますが、中止はできません。辞めれば残るのは“時間の空白”という最大の苦痛です。ゼミの席で話すことではないので書きました。笑い飛ばしてください。今後もよろしく」
 妻はなく、息子家族も外国で暮らす。自宅では、何かしなければ座ったままの一日が過ぎて行く。かつては家族がいつもそばにいて、毎日やることがあった。それらすべてをなくしたAさんの、孤高の挑戦が始まった。そして苦労の末、修士論文を書き上げた。
 核家族の最晩年の姿は「独居」。今人々は必死でこの時期を生き抜こうとしている。(井上 治代=東洋大教授)

(転載終了)※  ※  ※

 「最大の苦痛は“時間の空白”」に深く頷いた。
 闘病中なのだから少しゆとりをもってとか、せっかくだからのんびりと家にいれば・・・などと思わなくはない。けれど、どうも性に合わない。平日のスケジュールが全くない生活、平日の日中をいつも一人で過ごす生活が考えられない。ひねもすのたりのたりとして、いつまでもつだろうか・・・。
 日々働いているからこそオフの日が嬉しい。「毎日が日曜日」の生活はまだいかにも早いように感じる。
 もちろん、健康だった時に比べて、仕事上は決してハードなスケジュールではないから、恵まれているといえば本当に恵まれているのだけれど。忙しすぎるのは体が悲鳴を上げる。けれど、暇がありすぎることは心が悲鳴を上げる。「仕事がない」ということは一体どれほどの苦痛であるのか想像するにあまりある。
 たとえ今仕事を辞めて家に居ることにしても、決してAさんのように座ったままの一日とはいかず、家族の世話を焼きながら家事をもっとマメにすれば、フルタイムで仕事をしているよりもよほど大変だろうと思う。けれど、どうも私にはそれは向かない、というのは自分が一番よくわかっている。

 そして、ふと、Aさんの姿が夫に重なってしまった。これから何年先になるかわからないけれど、私亡き後、息子が家を巣立ち、夫はAさんのように一人で生き抜くために何か新しいことを始めるのだろうか、と。苦しいとわかっていても、あえて空白の時間を埋めるための選択をするのだろうか。趣味がある人だから大丈夫といえば大丈夫だろうけれど、やはりどうにも気になって仕方がない。
 核家族の最晩年を一人必死で行き抜くために、夫は何に挑戦するのだろうか。

 今日は午後になっても細々と冷気が出て、机上の温度計は29度どまりだった。昨日までのように30度を超えて汗で書類が波打つような状況はなかった。28度でなくとも、30度を割ればちゃんと我慢できるのだ。なんとかこのペースでやり過ごせますように、と思う。
 ちなみに28度設定の根拠だが、労働安全衛生法の規定に基づき、同法を実施するため定められた基準によるものだそうだ。・・・本来なら、とりあえず30度を割れば我慢出来そう、と言っている場合ではなさそうである。

事務所衛生基準規則(昭和47年9月30日労働省令第43号)
(空気調和設備等による調整)
第5条第3項  事業者は、空気調和設備(注)を設けている場合は、室の気温が17度以上28度以下及び相対湿度が40パーセント以上70パーセント以下になるように努めなければならない。
 (注)いわゆるエアコンのこと。



コメント (5)
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