ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.8 幻のお誕生日

2011-07-08 20:14:45 | 日記
 今日は7月8日。先月亡くなったあけぼの会のTさんが生きておられたら、56回目のお誕生日である。私の誕生日とちょうど3週間違い。
 去年、「お誕生日おめでとうございます!」のメールを差し上げた時のお返事が、「55歳になりました。家族も増え、いろんな経験をしながらすばらしい毎日を過ごせることに感謝です。」であった。それにしても去年の今日、一体、誰がTさんは今年のお誕生日を迎えられなくなる、などと思っただろう。
 人の命とはなんと儚いことか。3週間経っても何かいまだに信じられない自分がいる。ふと、会のイベントに出かければ、また元気に声をかけて頂けそうな気がする。そう信じたい自分がいる。

 思えば3年前のこの時期、再発治療として開始したホルモン薬(フェマーラとナサニール点鼻薬)だけでは力不足ということで、七夕の日にハーセプチンの治療を開始した。
 以後、奏功する限り、毎週1回通院しなければならないということが確定した時期だ。(先月から3週に1回の3倍量となったが)月曜日午前中の仕事を終え、その足で病院へ駆けつけ2泊3日、入院した。アトリウムの七夕飾りが綺麗だったのを覚えている。

 健康な日々を送っている人たちは、自分が来年の誕生日を迎えられない等とは決して思わないだろう。至極当然のことだ。そして、「また齢を取っちゃった、あ~あ、もうそうそう嬉しい齢じゃないな~」などと思うかもしれない。(現に私もそうだった。) けれど、私たち再発患者は、たとえ今現在、薬が奏功して元気そうに見えても、一体いつまで小康状態が続いてくれるのか、いったん悪い細胞が暴れ出したらいつどうなるかわからない、という漠とした不安にいつも苛まれている。

 そんなふうに、嬉しい齢なんかじゃない・・・などと思うことは、生かされている身としてどれほど傲慢なことなのか、と改めて思う。生きたいと思ってもそれが叶わない人が沢山いるのだから。誰しも必ず死ぬ。生まれてきたからには死んでいくのだ。だからこそ、こうして日々生きていることは、ある意味小さな奇跡の積み重ねのように思う。

 昨日は、週明けの数日間に比べ涼しかったのと、あまりの暑さに体調を崩す職員が出てきたことにより、事務室のエアコンの設定温度を少し低くしてもらえて快適なはずだった。だが、午後からの会議で会議室の扇風機(首降りはしていたけれど)のごく近くに3時間ほど張り付いていたせいか、会議が終わって自席に戻った時に、やけにだるさを感じた。帰宅途中歩きながらどんどん調子が悪くなった。(困ったなあ、でもとにかく帰ったら食事の支度だけして横にならせてもらおう、簡単な夕食は・・・)と独りごちながら。

 自転車置き場で息子の自転車は確認したが、夫の自転車には気付かなかった。が、郵便ポストを開けると空っぽ。息子はポストの中身を取って家に入るということはないので、夫がもう帰っているのか、と驚いた。

 夫は出張先から直帰だったそうで、既に夕飯の支度を始めていた。それを見た途端、「悪いけど、具合悪いから横にならせてもらう。」とベッドに直行。結局、せっかく作ってくれた夕食に手をつけられずじまい。先月、息子が受験した漢検の合格がわかった、と昼に連絡しておいたので、そのお祝いにとケーキを買ってきてくれたのだが、それもご相伴出来ず。投薬週でもないのに、どちらを向いても気持ちが悪く、だるく、身の置き場がなかった。これこそいわゆる夏バテか。

 今朝も全く力が出ない。食事をしていないからか、と頑張って朝食をとったら、今度はいきなりお腹を壊してしまった。哀しいかな、お腹空っぽのはずなのに一日中お手洗いを往復している。
 今日、職場では朝から網戸の設置工事があった。今までは網戸がなかった(夏場には空調が入ることが前提で窓を開けて涼を取ることは想定外だった。)から、暑さのため全開にしている窓から虫が沢山入り込んで大変だった。(私はこのところ虫よけスプレーを常備している。)これで、とりあえず空調が入らなくても窓を安心して開けられるようになった。まあ、空調なしで網戸が活躍することはあまり考えたくないのけれど・・・。

コメント (2)
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