JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
東急なのに東急じゃない!?
横浜高速鉄道こどもの国線は、横浜高速鉄道が第三種鉄道事業者として施設と車輌を保有し、東京急行電鉄(東急電鉄)が第二種鉄道事業者として運行をしています。
この路線はちょっと変わった経歴を持つ路線で、そのルーツは鉄道省長津田駅からの旧大日本帝国陸軍田奈弾薬庫への引込み線から始まります。
敗戦後は旧弾薬庫とともに放置されていたとのことですが、昭和34(1959)年皇太子明仁親王(現在の天皇陛下)のご成婚を記念して昭和40(1965)年に旧日本軍弾薬庫跡地に開園したこどもの国へのアクセス線として昭和42(1967)年4月28日、長津田駅=こどもの国駅間が開業しました。
当初は途中駅の無い全線単線のスタフ閉塞方式で、社会福祉法人こどもの国協会が施設を保有し、東急に運行を委託する形態で運行されていましたが、昭和61(1986)年12月4日公布、昭和62(1987)年4月1日に施行された鉄道事業法に基づき、こどもの国協会が第三種鉄道事業者、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者となりました。
その後、沿線の宅地化が進むにつれ、こどもの国線を通勤路線に転換する要望が高まり、平成9(1997)年より通勤線への改良工事が開始されることになりました。
しかし、通勤線に転用するということは、社会福祉法人であるこどもの国協会の趣旨から逸脱してしまうため、協会は平成9(1997)年8月1日、横浜高速鉄道に第三種鉄道事業免許を譲渡し、運営から手を引いて現在に至っています。
これは横浜高速鉄道に譲渡される以前のこどもの国駅で発売されていた長津田までの乗車券です。あまり詳細に記憶していませんが、東急の金額式千切り半硬券が設備されていました。この券を見る限り、実際にはこどもの国協会の路線ではあるものの、事実上「東急線の一部」として扱われていたように感じます。
しかし、当時の運賃は大人100円の単一運賃となっており、長津田乗換で東急田園都市線に乗り継ぐ場合は、「100円プラス長津田からの東急線運賃の合計」という、「東急線でありながら東急線ではない」独自の運賃体系が採られており、運賃面から見れば、東急線とは全く別の路線であることがわかります。
特記すべきこととして、長津田乗換国鉄線への連絡運輸は実施されていませんでしたが、大小一口座づつのみ、連絡券もどきの口座がありました。
こどもの国線から田園都市線の青葉台駅~すずかけ台駅間相互に跨って乗車する場合に限り、20円の乗り継ぎ割引が実施されているため、このような券が存在していたわけです。
この券をよく見ると、同じ東急線なのに長津田で東急線に乗り換えるような表記になっており、東急線なんだかそうでないのか、ますますわからなくなってきてしまいます。
昭和55(1980)年頃までは赤と白と黄色を厚塗りした旧3000系電車が充当され、東急の中古車輌を走らせている地方の中小私鉄という独特な雰囲気を醸し出していましたが、車輌の老朽化によってステンレスカーが走るようになり、東急の一支線的な雰囲気に変わりました。
今や、横浜高速鉄道の新型電車が走り、当時の面影は全然ありません。