JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
「消え去る」きっぷ
鹿島鉄道が廃止される4月1日まで、残すところあと40日となりました。
鹿島鉄道はもともと鹿島参宮鉄道という会社でしたが、1965年6月、常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鉾田線となりましたが、1979年4月、再び関東鉄道から分離され、鹿島鉄道となっています。この日はちょうど、廃止される30年前の日でした。
1979年4月の分離の時、鹿島鉄道と運命を共にしたのは、関東鉄道筑波線であった筑波鉄道です。
筑波鉄道を取り巻く環境はかなり厳しく、鹿島鉄道の航空自衛隊百里基地への航空燃料輸送などという大黒柱になるような収入源は無く、1981年8月には細々と営業していた貨物輸送が廃止されてしまいます。その後、1984年11月には沿線自治体へ事業廃止が申し入れされ、ついには1987年4月1日、国鉄の解体劇の影でひっそりと消え去っていきました。皮肉にも、鹿島鉄道が廃止される、ちょうど20年前の日の出来事でした。
これは、筑波鉄道筑波駅で発行された券売機券です。機械の調子が悪いのか、印字がぶれていますが、水性インクを使用しているため、20年経っても保存状況は良好です。
次は、関東鉄道時代の筑波駅で発行された券売機券です。筑波駅には券売機は1台しかありませんでしたから、恐らく同じ機械による発行と思われます。
しかし、当時はキレート式インクを使用しており、一旦は真っ白に退色してしまいました。この時は大変あせりましたが、国鉄券売機末期に都内のある駅にて分けて戴いたキレート剤をスプレーし、なんとか復活させております。
これは、1番目の券と同じ日に購入した、国鉄土浦駅発行の筑波鉄道乗車券です。
土浦駅は国鉄管理駅となっており、筑波鉄道オリジナルの乗車券類の発売はありませんでした。
やはり、22年も経過しますと、感熱式券は思いっきり退色します。ましてや、当時の感熱式券は現在のものより印字が細く、「持ち」もあまり良くなかったようです。
今は購入してすぐスキャンすれば感熱式券の長期記録が可能ですが、当時はそんな芸当は無く、鉄道の記憶と共に、きっぷまで消え去ってしまうと言うのは大変悲しいことです
実は1番目のきっぷには「オチ」がありまして、よくよく見ると、土浦駅発行のものと発行日が1ヶ月違っています。当時、単純な設定ミスと思われますが、筑波駅の券売機は1ヶ月日付がずれていました。もし、そのまま廃止時まで気づかれずにずれていたとしたら、廃止後の日付の乗車券が発行されてしまうことになり、それはそれで興味が尽きません。
いったい、このあと、いつまで1ヶ月ずれたままの日付の券が発売されたのでしょうか?