長野原から、太子・川原湯ゆき乗車券

吾妻線長野原駅発行の、太子・川原湯駅ゆき矢印式乗車券です。

   

長野原駅は平成3年12月に長野原草津口駅と改称され、同日、川原湯駅も川原湯温泉駅と改称されています。
反対側には、あまり馴染みのない、「太子」という駅名があります。太子駅は「おおし」駅と読みます。

もともと吾妻線は、群馬鉄山がら採掘される鉄鉱石の運搬を目的として、昭和20年1月に長野原線という貨物線として渋川駅~長野原駅間が開業し、同時に現在のJFEエンジニアリングの前身である日本鋼管群馬鉄山専用線が長野原駅~太子駅間が開業しました。

その後、同年8月には渋川駅~中之条駅間の旅客営業が開始され、11月には岩島駅、翌年4月には長野原駅までの旅客営業が開始されました。
その後、昭和27年10月には日本鋼管専用線が国鉄に移管され、昭和29年6月には太子駅までの旅客営業が開始されます。

しかし、昭和38年に群馬鉄山が閉山されると貨物列車の運行が廃止され、長野原駅~太子駅間は長野原線電化から除外されたまま、昭和45年11月に休止されてしまいます。
そして、昭和46年3月には長野原駅~大前駅間の開業と同時に吾妻線と改称され、同年5月、長野原駅~太子駅間は廃止されてしまいました。


この券が発行された昭和35年はまだ鉄山が操業されていたころで、まだ太子駅周辺は賑わっていたという話を聞いたことがあります。現在の太子駅は鉄鉱石積み出し用の施設の残る公園となっているようです。


今では近距離用の矢印式硬券乗車券が通常用として発売されることはありませんが、もし今でも発行されているとしたら、太子駅ではなく、羽根尾駅という表記になっていることでしょう。

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