趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
松尾鉱業鉄道 東八幡平駅発行大更ゆき片道乗車券
昭和37年7月に松尾鉱業鉄道の東八幡平駅で発行された、大更ゆきの片道乗車券です。
地紋が分かりづらいですが、青色の「じどうしゃ・てつどう・こうつう」と読める地紋のB型一般式大人・小児用券となっています。
地紋部分の拡大です。薄っすらと「じどうしゃ・てつどう・こうつう」と読めますが、あと一つが分かりません。地紋の中心円の中には錨のような絵が模様がありますので、推測すると「せんぱく」でしょうか。
発駅の東八幡平(ひがしはちまんたい)駅は昭和37年1月に屋敷台(やしきだい)駅から改称されており、この券は改称前に設備されたものを訂正のうえ使用しています。
裏面です。
無效(効)印で隠れてしまっていますが、券番の他に「松尾鉱業」と社名が印刷されています。
拡大してみると多少は解り易いかと思います。
松尾鉱業鉄道は、岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市)にあった東八幡平駅と、岩手県岩手郡西根町(現・八幡平市)にある国鉄(JR)花輪線の大更駅との間を結んでいた営業キロ12.2kmの路線で、松尾村にあった松尾鉱山から産出された硫黄鉱石を花輪線大更駅まで運ぶ目的で敷設されています。開業時には手押しトロッコでの運転であったようですが、戦後の昭和26年に直流1500Vに電化されています。
松尾村に住む鉱山従業員や家族のため、戦前の名車である阪和電気鉄道モヨ100形電車を出自とした買収国電であるモハ20形電車を投入して旅客輸送もおこなわれていましたが、昭和43年に松尾鉱山の閉山によって松尾鉱業は会社更生法を申請し、昭和44年3月に会社更生法の適用を受けた後、同年12月には全列車の運転が休止され、その後昭和45年2月に貨物列車の運転が再開されたものの、昭和47年10月に全線廃線となってしまっています。
モハ20形電車は弘南鉄道に引き取られ、晩年は制御車化されていましたが、旧国鉄17m級車両と連結されて昭和50年代後半まで活躍し、貨物列車を牽引していたED50形電気機関車2両は秩父鉄道に引き取られ、デキ100形107と108として現在でも活躍しています。
その他、ED25形電気機関車が八幡平市松尾歴史民俗資料館に保存されていますが、残された車両群は解体費用の節約と木造家屋延焼実験を兼ねて、消防庁消防研究所の大規模火災を想定した延焼実験により、全て焼失してしまっていると聞いたことがあります。