金額式以外の集中印刷券 ~その2

前回エントリーで国鉄東京印刷場で調製されておりました金額式以外の集中印刷券として相互式券を御紹介いたしましたが、同印刷場では地図式券についても集中印刷方式をしていた時代の券がございますので、今回はそちらを御紹介致しましょう。


   

1961(昭和36)年7月に新宿駅で発行された10円区間ゆきの片道乗車券です。青色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、東京印刷場で調製されたものになります。


   

表面を見ても集中印刷方式であったかどうかを判別しづらいですが、裏面を見ますと、券番が片方だけにあることから集中印刷方式で調製されたことが分かります。


   

こちらは日付が薄いですが、1964(昭和39)年5月に同じく新宿駅で発行された10円区間ゆきの片道乗車券です。桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、赤刷り券になります。相互式券のところでも触れましたが、国鉄はキセルなどの不正乗車対策の「心理作戦」として初乗り区間の乗車券のみを赤刷りとした時代のものになります。
1枚目の券と比べると分かりますが図版については黒刷りの時代のものをそのまま流用しているように見えます。


   

裏面を見ますと、すべてが赤刷りとなっています。
以上の券は硬券式券売機で発券されたもので裏面に「〇自」の符号が印刷されていますが、この時代はダッチングで予め印字したものをセットして発売していたため、窓口発売との区別が付きづらいです。


   

初乗り区間が20円となった、1966(昭和41)年11月に田町駅で発行されたものになります。桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、この頃になると赤刷りによる心理作戦は功を奏さなかったのでしょうか、初乗り区間から通常の印刷に戻されています。
この券は硬券式券売機で発券されたもので、日付がダッチングではなく券売機の日付印字機能によって印字されており、それまでの予めダッチングで日付を印字したものを券売機にセットするものから発売都度日付が印字されるものになり、券売機が実用性のあるものに進化したことが窺えます。


   

裏面です。券番が片方だけにあり、集中印刷方式であったことが分かります。


   

モノクラス化後の1970(昭和45)年6月に国分寺駅で発行された120円区間ゆきの片道乗車券です。桃色こくてつ地紋のB型地図式大人専用券で、比較的距離のある高額式券になります。


   

裏面です。券番が片方だけにあり、集中印刷方式であったことが分かります。「〇自」の符号がない、窓口発売の券になります。


相互式券もそうでしたが、昭和40年代になると券売機が発達し、40年代中頃には軟券式の多能型券売機が登場し、それまで1台で1口座しか発売できなかったものが多口座発売することが可能になり、昭和50年代になると50kmまでの乗車券は券売機による発券が主流となり、硬券の需要が減っていきます。
それによって需要の多くない窓口用の高額券については大量印刷をする必要性がなくなり、昭和40年代後半には地図式が、昭和50年代初頭には相互式の集中印刷方式は行われなくなってしまっており、需要の多い近距離の金額式券に特化していったようです。
しかしながら、近距離の硬券は池袋駅などの常時窓口で発売されていた駅を除くと非常用という要素が大きくなり、昭和60年代初頭に在庫券が使用されていた例はありますが、印刷業務は昭和50年代後半ごろには終了してしまっているようです。

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