JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
10年以上前に御紹介した券も再度御紹介しようかと思います。
古紙蒐集雑記帖
小児断線の中の小児運賃表示 (大阪印刷場編)
拙ブログ4月8日エントリーの「天王寺駅のC型準常備往復券」の記事に対し、(4-タ)様より次のようなコメントを頂戴いたしました。
>片道の話になってしまいますが、営団末期に銀座や東京にあった硬券の乗車券は東京駅の小児断片の乙片には小児運賃である100の記載、銀座駅では大人運賃そのまま160と記載してありました。
印刷所というよりも駅がこのような乙片の表記を決めていたのでしょうか。
このコメントを受け、国鉄時代の大阪印刷場および広島印刷場の一般式長距離乗車券において同様の事象に気づきましたのでご紹介いたします。
まず、今回は大阪印刷場の券について見てみましょう。
これは新大阪駅発行の大阪市内から東京都区内ゆき乗車券です。
大人運賃2,810円に対し、小児断線のなかの数字は大人運賃と小児運賃の差額である「1410」と記載されています。
これは売上計上する時、小児運賃のみを計上する場合に売上金額から1,410円を差引けば帳簿をつけることができます。
ところが、鶴橋駅発行の大阪市内から東京都区内ゆきの、同じ2,810円時代の券を見てみますと、小児断線の中の数字は大人運賃と同額の「2810」と記載されています。
これでは売上計上の際に小児運賃分のみを計上して帳簿につけるとき、「ひと作業」しなければなりませんね。
この現象は国鉄の末期からJR化後にも続いたようです。
これは国鉄末期の昭和61年、三ノ宮駅発行の神戸市内から東京都区内ゆき乗車券です。
小児断片の表記方法が従来の「発駅→着駅」の表示から「着駅のみ」の表示に様式変更されていますが、大人運賃8,100円に対し、断片の中の数字は大人運賃と小児運賃の差額である「4050」と記載されています。
次の例はJR化後のものです。
これは嵯峨駅発行の京都市内から東京都区内ゆき乗車券です。
小児断片の中の数字は、大人運賃の7,830円と同額の「7830」と記載されています。
どうやら、小児断線の中の数字の表記は、「大人運賃」を表示するのか「大人運賃と小児運賃の差額」を表示するのかは、印刷場で決められているわけではなさそうですし、時代によって違いがあるわけでもなさそうです。
もしかすると、(4-タ)様の仰せの通り、駅単位で表記方法を選択しているのかもしれません。
天王寺駅のC型準常備往復券
天王寺駅には、大阪環状線福島駅までのC型準常備往復乗車券が設備されていました。
当時、このようなC型準常備往復乗車券は高崎・新潟地区には比較的多く存在していたようであり、特に犀潟駅には、国鉄最後のC型準常備往復乗車券として昭和59年ころまで設備されていたことが知られています。
これは昭和51年ごろのものです。
当時、A型往復乗車券は復路券の地紋が通常と反転しているものが使用されており、C型準常備券も同じく反転地紋が使用されていました。
しかし、昭和53年ごろ、やはり当時の往復乗車券の復路券の地紋が通常の地紋に変更された時、やはりC型準常備券も同じく反転地紋から通常の地紋に変更になりました。
この券の特徴的な点として、右側に小さな活字で数字が印刷されている点が挙げられます。
たとえば、昭和51年の券についてみて見ますと、福島駅まで発行されれば往復運賃は100円となりますが、大正駅までの往復として発行すると、往復運賃は80円となります。
大正駅往復として発行された場合、上の写真に赤線を引いた、福島駅と大正駅の境目で切断します。この時、右側の数字が役立つのです。
上の写真を例にとってみますと、大正駅往復として赤線部分で切断されたとき、発売額は100円から20円を差し引いた80円にて発売されます。
右側の数字は最遠区間である100円と発売額の差額を表した数字となっており、これを見れば売上集計の時に100円から20円を差し引いた80円が営業収入であるというように集計することができます。
また、53年の券は大正駅と福島駅双方とも運賃が200円となっていますので、大正駅往復として発売されても最遠区間との差額は0円となりますので、右側の数字は0となっています。
参考として、東京印刷場製のC型準常備往復券の見本券をご紹介いたします。
東京印刷場の場合、右側の欄はあくまでも1段上(安い)運賃が印刷されており、大阪印刷場とは明らかに考え方が異なっているようです。
回数券を買うとオマケがついてくる!!
一畑電鉄(現、一畑電車)に乗車して実際に乗車した乗車券を戴きたいと申し出たところ、手元にあった着札も分けていただきました。その中にちょっと変わった乗車券(?)が入っておりましたのでご紹介いたします。
その名は「一畑電鉄回数乗車券お買上げ特別サービス券」です。
詳しいことはわかりませんが、回数券を購入した際に貰える全線有効の片道乗車票のようです。
地紋等は全く無い黄色の上質紙にコピーした券で、一枚づつハサミで切断したような簡素なもので、形が大変いびつになっています。
発行する際に実際に購入した回数券の券番、有効期限および発行駅名が記入されます。
それにしても太っ腹な制度です。
回数券を購入するとこのサービス券がついてくるのであれば、単純に10枚分の運賃で12回乗車することができるわけです。また、実際に購入した回数乗車券が1駅分であったにせよ、この乗車票を使用すれば全線乗れることになり、かなりの割引相当になります。
一畑電車になった現在でもこの制度が残っているかわかりませんが、回数券を購入したからといって全線有効の乗車票をくれる鉄道って、他にありませんよね。
鹿島鉄道連絡の区間変更券
今回も鹿島鉄道関連の話題です。
ご紹介いたしますのは、東京駅から130円区間の乗車券を上野駅のみどりの窓口で区間変更して求めた鹿島鉄道鉾田ゆきの区間変更券です。
以前拙ブログ10月31日エントリーおよび11月1日エントリーの記事にてMV発行の区間変更券を数回に亘ってご紹介したことがありますが、マルス発券の区間変更券は、発行日の上に「原券発駅名」の記載がありません。
旅客制度上、連絡運輸にかかる区間変更の取り扱いが存在しないと言うわけではないのですが、意外と連絡運輸の区間変更券というものは見かけないものです。
ちなみに、「C制」の文字があるようにカード決済にて購入していますが、購入時に渡されるクレジットカードご利用票の「商品名」欄には「東京→鉾田」と記載されており、これはこれで結構興味深いものとなっています。
鹿島鉄道の補片・補往
前回に引き続き、今回は鹿島鉄道の補片および補往をご紹介いたします。
これは常陸小川駅発行の補片です。JPR青地紋で、紙質はかなりペラペラの薄いものです。
写真の券は発行日の年号がまだ昭和のままである券ですが、少し経つと「昭和」の券は売り払ってしまい、昨年の冬ごろから、年号が平成の券になったようです。
裏面の案内を見てみますと未だに「国鉄線」という表記があり、少なくとも20年以上前から設備されていたものの残党であることが伺えます。
写真ではわかりにくいですが、どちらも報告片である「乙片」との境界線には点線のような印刷がありますが実際ににはミシン目はついておらず、報告片はハサミを使用して切断します。
これは鉾田駅発行の補片です。発行日の年号が「平成」になってからのもので、裏面案内の中の国鉄線の表記が「旅客鉄道会社線」に改められています。
実際に私が乗車した券ですが、着駅の神田の「神」の字に「示申」という旧字体のスタンプが使用されていて、なかなか味わいのある仕上がり(?)となっています。
最後は常陸小川駅発行の補往です。日本交通印刷製のBJR地紋で、裏面には案内はまったく印刷されていません。紙質はかなり厚くしっかりとしています。
なぜか社名を表す「鹿島鉄道」の文字間隔のバランスが悪く「鹿 島 鉄 道」となっています。また、「往路(ゆき)用」の券にも運賃を記入する欄が存在する、ちょっと「不思議」な券になっています。
これらの補片・補往はJR東日本との連絡運輸設定駅から石岡駅で乗換え、JR線への連絡乗車券としか売れない規則があるようで、社線内完結としては発行不可となっていたようです。
このほか、出札補充券も存在し、こちらの方は社線内完結でも発行することができましたが、平成17年の秋ごろには本社に返納されてしまったようで、末期には存在していなかったようです。
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