都心往復お徳用乗車券

昭和56年12月に三鷹駅で発行された、都心往復お徳用乗車券です。

 

   


東京印刷場調製の青色国鉄地紋のD型券です。前回エントリーの新宿往復お徳用乗車券の拡大版と言えるもので、発売駅は新宿往復お徳用乗車券と同じです。また、券の様式も同じですが、こちらは目的駅が新橋~上野間の各駅となっているため、往路片の着駅および復路片の発駅は2段書きになっています。

新橋~上野間の各駅で下車および乗車ができますが、区間内でのフリー乗降はできません。

 

   


裏面には注意書きが印刷されており、途中下車ができない旨が書かれています。


この券もそこそこ需要がありましたが、いつの間にか廃止されてしまっています。

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新宿往復お徳用乗車券

昭和56年4月に三鷹駅で発行された、新宿往復お徳用乗車券です。

 

   


東京印刷場調製の青色国鉄地紋のD型券で、特殊な往復乗車券のため、有効期間は1日(発売当日限り)となっており、途中下車はできません。

右側が往路用・左側が復路用となっており、区間の表示は矢印式となっています。そして、各片共に発駅は明朝体・着駅はゴシック体の活字が使用されています。


確か、中央線の三鷹以西の国電区間各駅で発売されており、そこそこ需要があった記憶があります。同線に並行して走る京王帝都電鉄に対抗して誕生した割引乗車券でしたがいつの間にか廃止されており、現在はこれに似た割引乗車券はありません。

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江ノ島鎌倉観光 稲村ケ崎から東京山手線内ゆき乗車券

昭和50年8月に江ノ島鎌倉観光(現・江ノ島電鉄)稲村ケ崎駅で発行された、東京山手線内ゆき連絡乗車券です。

 

   


同社は藤沢から江ノ島を経由して鎌倉まで走る路線で、一般に「江ノ電」と呼ばれている大変人気があります。


券は山口証券印刷調製と思われる青色JPRてつどう地紋のB型券で、大人・小児用の相互式券となっています。国鉄線とは横須賀線鎌倉駅で接続する設定となっており、当時の稲村ケ崎~鎌倉間の60円と、鎌倉~東京山手線内間290円を合算した350円となっています。


同線はしばしば鉄道線か路面電車かが議論されますが、開業当初は軌道条例(軌道法)による路面電車として開業していますが、戦後の昭和20年11月に軌道法から地方鉄道法に変更され、現在は普通鉄道となっているようです。(同社HP

そのため、車両は50mを超える長い列車が走っていたり、路面電車の必須アイテムである排障網が車両に付けられていなかったりと、普通鉄道の車両のような車両になっています。


逆に、軌道線時代の名残として現在の鉄道事業法では原則として禁止されている併用軌道区間がありますが、これは鉄道営業法施行前の地方鉄道法時代に変更になったため、特例として認められているそうです。

同じような例として熊本電気鉄道にも併用軌道区間がありますが、道路脇に線路がある熊本の例とはちがい、堂々と道路の中心を走行している路線が現存している普通鉄道路線は全国でもここだけです。

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JRバス関東 回数定期乗車券

JRバス関東の回数定期乗車券です。

 

   


緑色JRB地紋の定期券サイズの券で、定期券と言えども、乗車できる回数に制限のある、定期券と回数券の合の子のような存在です。


記名式で区間および有効期間が限定され、期間中に指定された回数まで乗車することができます。この券は大門中組停留所から丸子実高(旧・丸子実業高校、現・長野県丸子修学館高等学校」までの区間であることから、小諸支店管内にて発行されたものであることがわかります。

 

   


裏面です。

パウチの上に確認用のシールが貼られているのが特徴です。
乗車の都度(後ろ乗りのために降車時)にドライバーによる確認がなされ、確認のしるしとして1番から54番までのマスにチェックが入れられます。


通学で1日に2回乗車すると考えて、1か月を31日で考えますと日曜日の4日を差し引いた27日間学校へ通うこととなり、54回乗車することとなります。この券が54回まで乗車できるということは毎日通学することで満額使用できるわけですが、小の月(1か月が31日ない月)や祝日のある月の場合、すべて使い切らないで終了してしまうことになります。

それでも、通常の定期券を購入するより、こちらの方が割安なのでしょう。

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小田急電鉄・京浜急行電鉄 日付器試検用紙

一般に旅客の手にに渡るものではないものですが、硬券が現役であったころ、小田急電鉄の各駅に設備されていた日付器試検用紙です。当時、駅員氏の御厚意で戴いたものです。

 

   


B型硬券の大きさであるこの用紙は、硬券と同じ用紙が使用されております。
その名も「日付器試検用紙」というもので、文字通り日付器の印字状態を見るためのものです。ダッチング(日付器または日付印字機)を回した時、きちんと印字されているかを確認するためにこの「用紙」で試し印字をするもので、各駅の硬券券箱には、この用紙を差し込んだ専用ホルダーが口座のように存在していました。


当時、国鉄や私鉄各社でダッチングの試し印字をする際には、厚紙を硬券の大きさに切って作成されたものや着札を使用していたのが一般的であり、わざわざこのようなものを作成している同社は、学生時代の私にとって、大変偉大な会社に見えたものです。


その後、平成10年代になってですが、京浜急行電鉄の羽田空港駅でも似たようなものが使用されていることに気付きました。こちらも、駅員氏の御厚意で戴きました。

 

  


これが同社のものです。

小田急電鉄のものと同じく硬券用紙をB型券大にしたものですが、同社のものは両面が印刷されていない「のっぺらぼう」の券となっていました。


硬券が一般的でなくなってしまった現在、このような「ぜいたく品」とも言える用紙を作成しているような会社はもはや存在していないのではないでしょうか?


小田急電鉄のものに「日付器試検用紙」とありますが、「試験」という言葉は存じていても、「試検」という言葉は他に見たことがありません。この漢字の並びには、きっと「検査」という意味があるのでしょう。


コメント欄に、相互リンクを貼らせていただいております「きっぷ展示館」のじゅん様から、千葉都市モノレールにも同じような硬券が存在することを御教示いただきました。同社は万年字の続く第3セクターですが、こんなことをしていて良いのか、些か心配になってしまいます。


この記事はじゅん様のブログ「きっぷ展示館」2011年1月27日エントリーの「千葉都市モノレール(2)」にトラックバックさせていただきました。

 

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東京競馬場前駅 営業最終日乗車券

昭和48年4月1日、東京外郭環状線を走る武蔵野線が開業し、その陰で、国分寺~東京競馬場前間を結ぶ中央本線の支線でありました「下河原線(通称)」が前日の31日の営業を以って廃止されました。

 

   


下河原線の終点である、東京競馬場前駅で、営業最終日である昭和48年3月31日に発行された硬券入場券です。

東京印刷場調製の無地紋B型券です。
昨年9月にJR八王子支社で発売された「想い出の中央線アルバム~中央線高架化完成記念入場券~」に添付されている同駅のレプリカ入場券は、まさしくこの様式が復刻されているようです。


かつて、国鉄の入場料金には小児料金が設定されておりませんでしたが、昭和44年11月より小児料金が設定され、入場券需要の多い大規模駅ではないところでは大人・小児用の券が設備されていることが多かったのですが、さほど需要が多いとは思えない同駅のものは大人専用券が設備されておりました。
当時、小児用の入場券まで確認するほどの知識もなかったために今は分からずじまいですが、もしかすると小児用の入場券も設備されていた可能性もあります。

 

   


同じく営業最終日に発行された、30円区間ゆきの乗車券です。

桃色国鉄地紋のB型金額式券で、東京印刷場調製の大人・小児用券です。
入場券と違い、また、東京競馬場の最寄り駅という性格上から大人用券の需要が殆どであったと思われる同駅でしたが、大人専用券での設備ではありませんでした。

 

   


こちらは、同じく最終日に発行された、30円区間ゆきの小児専用券です。

桃色国鉄地紋のB型金額式券で、東京印刷場による調製です。上記の大人・小児用の他に小児用の券も設備されておりました。

同駅はすべての券種が窓口対応の駅であったことから、小児用券の発券都度に断片を切断するという発券事務処理の簡略化のために、敢えて比較的近距離の口座については小児用券も設備していたものと思われます。

 

   

 

なお、「東京競馬場前」は漢字6文字の長い駅名でありましたため、発駅名だけでなく、発行箇所名の部分にも特活が用いられておりました。

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JR東日本 高田から長岡ゆき急行券一葉券

平成2年10月に信越本線高田駅で発行された、長岡ゆきの乗車券・急行券の一葉券です。



   



青色JRE地紋のA型券で、東京印刷場調製のものです。


平成になると急行列車そのものが減少してしまったために急行券を購入する機会が減り、硬券の急行券にお目にかかる機会も殆どなくなりましたが、この区間の需要が多かったのでしょうか、奇跡的に一葉券が残っていました。



高田~長岡間は営業キロ79.7kmであり、乗車券の有効日数は当日限りとなります。しかし、急行券は1回限りの有効ですが、有効日数は2日間であるため、1枚の券にまとめてしまうのは少々無理があるように思われます。
表面の表記も「1回限り 発売当日有効」となっており、あたかも急行券も当日限りのような錯覚に陥ります。なんとも投げやりな表記です。



   



裏面です。


「急行券は高田から100kmまで 発売日共2日間有効」となっており、ここを見ると急行券については2日間有効であることが分かります。
また、「ただし同一列車1回限り有効」となっていることから、急行列車間の乗継は認められていないことが追記されていることになります。



   



区間は違いますが、国鉄時代の東京印刷場調製による乗車券・急行券の一葉券です。急行列車がまだたくさん運転されていたころ、このような一葉券は主要線区の主要区間に設備されていました。



   



この券は営業キロが101km以上ありますので途中下車は可能なわけですが、急行券は1回限りしか使用できませんので、発売の際には途中下車をするかどうかを旅客に確認のうえで発売されたものと思われます。
もし旅客が途中下車をする予定であれば、乗車券の他に別途必要な区間までの急行券を発売する必要がありますので、一葉券での発売はしなかったはずです。


そのためでしょうか、この券には「ただし同一列車1回限り有効」の文言がありません。

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