趣味で蒐集した「きっぷ」を見て考えたこと、とか…
JR直営の印刷場名は国鉄時代の印刷場名を使用します。
古紙蒐集雑記帖
大山観光電鉄 追分から下社ゆき片道乗車券
前回エントリーで大山観光電鉄の大山ケーブル駅から阿夫利神社駅ゆきの軟券千切り式の片道乗車券を御紹介いたしましたが、かつては硬券の乗車券が使用されていました。
昭和61年6月に追分駅で発行された、下社駅ゆきの片道乗車券です。灰色PJRてつどう地紋のB型矢印式大人専用券で、井口印刷で調製されたものです。
平成になると印刷場である井口印刷が廃業し、代わって山口証券印刷に印刷業務が引き継がれたようです。
平成9年に追分駅で発行された、下社駅ゆきの片道乗車券です。灰色PJRてつどう地紋のB型矢印式大人専用券で様式に変更はありませんが、活字が違っていますので、趣がかなり変わっています。
現在の大山観光電鉄は麓が大山ケーブル駅、交換駅が大山寺駅、中腹が阿夫利神社駅となっていますが、当時は麓が追分駅、交換駅が不動前駅、中腹が下社駅という駅で、平成20年に駅名が改称されました。当時、一つの会社線の全駅の駅名が一斉に改称されるということは大変珍しいということで話題になった記憶があります。
大山ケーブル駅は同駅と小田急線伊勢原駅を結んでいる神奈川中央交通バスの乗換停留所が「大山ケーブル」という名称になっているために合わせたのかも知れません。
終着の阿夫利神社駅は阿夫利神社の下社(しもしゃ)最寄りの駅ですが、山頂の本社(本殿)までは徒歩で1時間以上の登山が必要な位置にあるものの、分かりやすいように敢えてこのような駅名にしたものでしょう。
交換駅の大山寺駅は駅名となっている大山寺の御本尊様が大山不動尊なので不動前駅であったわけですが、そんなややこしくせずに寺の名前を駅名にして改称されたものと思われますが、敢えて改称した意味がイマイチ解りません。
大山観光電鉄 大山ケーブルから阿夫利神社ゆき片道乗車券
平成27年5月に大山観光電鉄(大山ケーブル)大山ケーブル駅で発行された、阿夫利神社ゆきの片道乗車券です。
桃色無地紋の矢印式千切り軟券で、ゴム印で発行日を捺印して発券します。
同社路線は麓の大山ケーブル駅を基点として途中交換駅の大山寺駅と中腹の阿夫利神社駅の3駅となっており、無人駅である大山寺駅以外の駅では各区間の片道乗車券や往復乗車券を大人専用券と小児専用券で設備しており、それぞれの券の券紙の色が異なっています。
同区間の往復乗車券です。矢印が片矢印から両矢印になり、ヘッダーが「片道乗車券」から「往復乗車券」と異なっており、有効期間が当日限りから2日間となっています。
区間が異なりますが、小児専用券になりますと、薄赤い「小」の文字が入ります。
すべての券を見ますと右上に丸い印刷があることに気づきます。恐らく日付印を捺印する場所を表していると思われますが、明らかに印刷された「丸」の大きさと日付印の大きさが異なっています。関西の千切り券にもこのような「丸」の日付印欄が印刷されている券がありますが、「丸」と日付印の大きさはだいたい同じ大きさです。
なぜこのような「丸」を印刷しようと思ったのか、謎に包まれた券ですね。
JR東日本 弘前から津軽鉄道津軽飯詰ゆき連絡乗車券
平成27年10月に弘前駅で発行された、津軽鉄道津軽飯詰ゆき連絡乗車券です。
青色JRE地紋の120mm券で、額入で発券されています。
JR東日本では津軽鉄道への連絡乗車券を発売することができますが、拙ブログ2015年12月28日エントリーの「津軽鉄道 金木駅発行 陸奥鶴田ゆき連絡乗車券」で御紹介いたしましたように津軽鉄道側からJRへの発売区間に制限がありますが、JR側から発売する場合も、上記発売区間を発駅とするものに限られ、さらに普通乗車券については、着駅が津軽飯詰・嘉瀬・金木・芦野公園・大沢内・津軽中里の各駅となるものに限るとされています。
弘前駅では津軽飯詰駅が連絡乗車券を発行できるかどうかを「赤表紙」と呼ばれるファイルで確認し、発券作業に取り掛かっていました。
実際にこの乗車券を使用して五能線や津軽鉄道の乗車し、着駅の津軽飯詰駅は平成16年に無人化された駅のため、機関士(同社では気動車運転士のことを機関士と呼んでいます)さんが集札業務をすることになります。
乗車記念に頂きましたが、機関士さん曰く、「JRからの連絡乗車券は殆ど見かけない」とのことでした。
大抵の旅客は、津軽五所川原駅で待ち合わせ時間に乗車券を購入するか、車内や着駅での精算をするようです。
富士山麓電気鉄道 河口湖から大月ゆき片道乗車券
昭和34年8月に富士山麓電気鉄道(現・富士急行)河口湖駅で発行された、大月ゆきの片道乗車券です。
桃色PJRてつだう地紋のB型一般式大人・小児用券です。
発行駅である河口湖駅は富士五湖のひとつである河口湖の最寄り駅で、夏場の観光シーズンには大勢の観光客でにぎわう駅ですが、意外にも歴史は浅く、この券が発行された9年前の昭和25年8月の開業です。
当時は全線乗車して100円ということでしたが、現在では1,140円かかりますので、発行から57年の間に11.4倍に跳ね上がったことになります。
この券が発行された9か月後の昭和35年5月には、社名が富士山麓電気鉄道から富士急行に変更されていますので、恐らく1年以内には新社名の記載された新券に切り替えられたのではないかと思われます。
JR北海道 〇簡 石狩太美駅発行 あいの里教育大・釡谷臼間ゆき片道乗車券
平成3年1月に札沼線石狩太美駅で発行された、あいの里教育大・釜谷臼間ゆきの片道乗車券です。
桃色JR北地紋のB型一般式大人専用券です。
発行駅である石狩太美駅は昭和9年に札沼南線の駅として開業した駅で、国鉄時代の昭和59年に無人・簡易委託化され、JR化後の平成11年に完全無人化されています。そのため、発行箇所名の先頭には簡易委託駅であることを示す「〇簡」の符号が冠されています。
「あいの里教育大」は7文字で釜谷臼と同じ長さには入りきれないため、特活は使用せず、ポイント数の小さい活字を組んであります。
この券の最遠着駅とされる釜谷臼駅は現在のあいの里公園駅で、平成7年に駅名改称されています。
ここで、札沼線の交流電化区間の駅を順に確認してみましょう。
桑園・八軒・新川・新琴似・太平・百合が原・篠路・拓北・あいの里教育大・あいの里公園(旧・釜谷臼)・石狩太美・石狩当別・北海道医療大学、という順になります。すると、ご紹介の券は何か不自然なことがあることがわかります。
駅順からして「石狩太美からあいの里教育大・釜谷臼間ゆき」というのはあり得ないことで、しかも、釜谷臼駅とあいの里教育大駅の間には駅が存在しないことから、「石狩太美から釜谷臼・あいの里教育大ゆき」とするか、「石狩太美からあいの里教育大ゆき」とするのが正当であるミス券であるということになります。
ミスがあることに気づかれているのかいないのかわかりませんが、ミス券のまま、普通に使用されていたようです。
西荻窪駅発行 山梨市・竜王・甲斐住吉間ゆき片道乗車券
昭和58年11月、中央本線西荻窪駅で発行された、山梨市・竜王・甲斐住吉間ゆきの片道乗車券です。
青色こくてつ地紋のA型一般式大人・小児用券で、東京印刷場で調製されたものです。
以前のエントリーで1,500エントリーを迎えました際、「1500円や1500番の乗車券が手元にあるか」と探しておりましたところ、この時代の101~120km帯の国鉄運賃が1500円であったため、比較的多くの枚数があることがわかりました。今回御紹介いたしますのはその中の1枚です。
昭和58年頃になりますと首都圏(特に国電区間)の主要駅には「軟券化」の波が押し寄せ、硬券乗車券を取り扱う駅は数えるほどになっていたような気がします。
この券は所用で甲府に行く際、自宅から一番近い硬券取り扱い駅であった西荻窪駅から乗車したもので、途中下車印がありませんが、甲府駅で途中下車を申告して手元に残したものです。
今ではマルス端末によって着駅のみが表示されるので、途中下車が可能な乗車券であれば記載の着駅より手前の駅で途中下車が可能なことが明白ですが、当時は着駅が券面表示の区間内であれ、最遠の駅でなければ途中下車できましたので、このようにして長距離券を手元に残すことがよくありました。
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