衣笠駅発行 準常備連続乗車券

見本券になりますが、横須賀線衣笠駅に設備された準常備連続乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のC型大人専用券で、東京印刷場で調製されたものです。

準常備連続乗車券は「準連」と言われ、連続乗車券を発行する際に使用されていましたが、全区間を任意の区間で発行することのできる補充連続乗車券に対し、「(甲の1)」と呼ばれる発駅から折返しとなる特定都区市内入口駅までの区間が固定され、それ以後の区間について任意の区間で発行することのできる様式になっていました。
そのため、折り返し駅までの片道乗車券と折返し以降の補充片道乗車券が合わさった体裁をしています。


御紹介の券の場合、横須賀線の衣笠駅から特定都区市内である「横浜市内 川崎・鶴見線内」の入口駅である東海道本線戸塚駅までの乗車券を「(甲の1)」片とし、横浜市内 川崎・鶴見線内の運賃計算上の発着駅(中心駅)である横浜駅から名古屋方面の片道の営業キロが200kmを超える駅との相互間ゆきの乗車券を「(甲の2)」片として発行します。「(甲の1)」には「(甲の2)」の乗車券の有効期間に1日を加えた有効日数を記入し、「(甲の2)」には着駅と、経由欄に乗車経路、「(甲の1)」と同じ有効日数および横浜駅から着駅までの運賃を記入します。
縦に引かれている点線より右側の片は売上報告用の控え片となるため、上から着駅・経由・「(甲の2)」片の発売額を記入のうえ、点線から切り取って保管し、左側の部分を旅客に渡します。


   

裏面です。「(甲の1)」には券番が片方だけ打たれている他、下車前途無効の文言と発売駅名が印刷され、「(甲の2)」には券番2か所と、衣笠駅から戸塚駅までの経路・「横浜市内 川崎・鶴見線内途中下車禁止」の文言と発売駅が印刷されています。
券番が3か所しかないのは、発売前の状態が「(甲の1)」と「(甲の2)」が繋がっているため、四隅にあると見間違いを起こす可能性があることが理由です。


C型券は縦60mm×横57.5mmというA型券を2枚並べたのと同一サイズの硬券でほぼ正方形であり、印刷過程での断裁作業において一部の原紙が何かの拍子で回転してしまう事が発生したようです。しかしながら、ほぼ正方形の60mm×57.5mmですと縦か横かの区別が付きにくくなるため、印刷現場では作業効率が悪くなることからだんだん敬遠され、準常備連続乗車券が国鉄時代の末期に様式廃止されたのち、通常券としてのC型券は使用されることなく民営化を迎えています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

隼人駅発行 西鹿児島ゆき片道乗車券

1974(昭和49)年9月に日豊本線隼人駅で発行された、西鹿児島(現・鹿児島中央)ゆきの片道乗車券です。


   

青色こくてつ地紋のB型一般式大人・小児用券で、門司印刷場で調製されたものです。
同区間は営業キロ31.1kmの区間で、有効1日の近距離乗車券になりますが、当時の門司印刷場では近距離乗車券を青色地紋の券紙で調製しており、このような体裁になっていましたが、昭和50年代になると近距離(有効1日)の乗車券は桃色地紋という暗黙の了解のようなものがあり、次第に桃色地紋に切替えられて行きます。


ところで、着駅の西鹿児島駅ですが、印刷場で活字を拾っているうちに取っ散らかってしまったのでしょうか、「西島鹿児」となってしまっています。駅では気づかれずにずっと売られ続けていたのかどうかは定かではありませんが、これを手にした旅客のほうも、今のように電車の中でスマホを見ている時代ではありませんでしたから、他にやることがないと手元のきっぷをまじまじと見たりして、結構気づいちゃったケースも多かったのではないかと思います。


   

区間は違いますが鹿児島駅発行の西鹿児島ゆき片道乗車券です。本来なら着駅はこのように印刷されなければいけません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西武鉄道 昭和50年代の券売機券(矢印式券)

前回および前々回エントリーで西武鉄道で昭和50年代のに発行された金額式券売機券を御紹介いたしましたが、高額(長距離)区間になりますと、矢印式が使用されることもありました。


   

1975(昭和50)年3月に秩父線西武秩父駅で発行された370円区間ゆきの片道乗車券です。黄色せいぶていどう自社地紋となっています。
左半分の部分は同社初期の金額式券とほぼ同一となっていますが、矢印から右側半分は金額区間ではなく、着駅が記載されています。この券の場合の着駅は、池袋線練馬駅・新宿線井荻駅および本川越駅・拝島線拝島駅となっており、それぞれ当該区間の最遠駅が記載されています。
発売額は着駅の下に小さく記載されています。


この様式はあまり頻繁に乗車するような区間ではないためにいつ頃まで存在したか不明ですが、昭和50年代の初頭には消滅したような気がします。
また、他の各駅でもこのような様式が存在したか、確認はできておりません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西武鉄道 昭和50年代の券売機券(金額式券)~その2

前回エントリーで西武鉄道で発行された昭和50年代の金額式券売機券を御紹介いたしましたが、国分寺線国分寺駅にはちょっと変わった様式がありました。

同駅の南口は出改札業務の一切が国鉄によって行われており、南口から西武線に乗車するには国鉄の改札を入場し、構内を横断する必要がありました。そのため、西武鉄道の乗車券は国鉄が発売を受託しており、国鉄の券売機と並んで暗めのオレンジ色の西武鉄道の券売機が2台設備されていました。そして、なぜが1台が多能式でしたが、1台は単能式という状態でした。


    (多能式券売機券)

    (単能式券売機券)

上の1枚目が多能式券売機で発行されたもので、下の2枚目が単能式券売機で発行されたものです。

多能式券は1980(昭和55)年11月に発行されたものになります。西武鉄道本体で発行されたものとは異なり、国鉄の券売機が使用されていたために券紙の規格が合わなかったためと思われますが、桃色PJRてつどう地紋の汎用券紙が使用されており、国鉄のメンテナンスに合わせていたのだと思われますが、キレート式券になっていました。


   

加工してもわかりづらいですが、PJRてつどうの汎用券紙が使用されていることが判ります。


単能式券は1982(昭和57)年3月に発行されたものになります。こちらも西武鉄道本体で発行されたものとは異なり、国鉄の券売機が使用されていたためか桃色PJRてつどう地紋の汎用券紙が使用されており、キレート式券になっていました。


   

加工すると、PJRてつどうの汎用券紙が使用されていることが判ります。


これらの券は国鉄西鉄道管理局が発売を受託していたため、他の駅の例のように同局管内の駅で発行されたことを示す「〇西」の符号が付けられていました。
符号部分を拡大してみました。


   

多能式券の符号です。券売機番号を示す「自(151)」の前に印字が潰れてしまっていますが「〇西」の符号が確認できます。


   

こちらは単能式券の符号です。券売機で発行されたことを示す「自」の後に「〇西」の符号が確認できます。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

西武鉄道 昭和50年代の券売機券(金額式券)

前回エントリーで西武鉄道で発行された昭和40年代に池袋駅で発行された券売機券を御紹介いたしましたので、今回は昭和50年代に同社で発行された金額式券売機券を御紹介致しましょう。


まずは1枚目です。


   

1977(昭和52)年10月に多摩湖線一橋学園駅で発行された、自社完結の金額式券です。黄色せいぶてつどう自社地紋の券紙が使用されています。この様式は同社の印版式による金額式券では最もポピュラーなもので、同社の券売機が設備されている駅であればどこにでもあったもので、昭和40年代からありました。
ただし、仔細に見てみますと、昭和40年代のものと比べ、「発売当日限り有効 下車前途無効」および「自(23)」という券売機番号、小児運賃の文字が小さく改版されています。


   

再掲しますが、昭和40年代の券と比較すると、文字が小さくなったことが判ります。
また、昭和40年代はスミインクが使用されており、発行された直後に触ると指にインクがついてしまうようなものもありましたが、昭和50年代になるとそれが改良され、水性のような色目の薄いインクに変更されています。


2枚目の券になります。


   

こちらは1980(昭和55)年4月に国分寺線鷹の台駅で発行された自社完結の金額式券です。
様式的には1枚目のものと同一ですが、券紙の色が異なります。これは連絡乗車券も発売できる券売機で発行されたもので、連絡乗車券を桃色地紋の券紙で発行する必要があったことから、券紙を1種類しかセットできない関係から自社完結券についても連絡券用の券紙を使用して発行されたものです。
当時の券売機は、自社のみ発売している券売機は黄色い券売機で、連絡乗車券も発売している券売機は桃色の券売機でした。そして、桃色の券売機で発行される券は、桃色の券紙が使用されていました。
券売機の台数のある駅では黄色と桃色の2種類の券売機が設備されていましたが、多摩川線の駅のように小規模で券売機が2台程度しかなく、また連絡乗車券の需要の多い駅では桃色の券売機しかない駅も存在し、そのような駅では黄色い乗車券の発売はありませんでした。


3枚目の券になります。


   

2枚目の券と同じ鷹の台駅で発行されたもので、発行された日は2枚目の券の前日となっています。黄色せいぶてつどう自社地紋の券紙が使用されています。
この様式は単能式(ひとつの口座しか発売できない機器)券売機で発行されたものです。単能式券売機券は同社の金額式硬券乗車券に様式がよく似ています。

単能式券売機では1口座(ここでは70円区間)だけしか発売できず、また小児用券も発売できませんでした。同駅は国鉄中央本線国分寺駅から最短区間の駅で、なおかつ国分寺駅までの需要が圧倒的に多いため、単能式券売機が比較的末期まで残されていましたが、あまり需要の多くない口座を単能式券売機に収納すると稼働率が悪くなり、最悪の場合、乗車券の購入者で混在していても単能式券売機だけ行列ができないという欠点が多く、旅客が求める任意の口座をボタンを押すことで選択できる多能式券売機が主流となっており、単能式券売機は殆ど姿を消してしまっておりましたので、この様式は比較的レアでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »