コロカル 2021/02/03 19:14コロカル
縁がつながって、美流渡にふたりがやってくることに
昨年末に岩見沢市の美流渡(みると)で小さな音楽会が開かれた。「アイヌの音と物語」というタイトルで、カラフトアイヌの伝統弦楽器トンコリの奏者であるOKIさんと、アイヌ伝承歌の歌い手であるRekpoさんがやってきてくれた。
この音楽会が開かれるきっかけとなったのは、道内各地のアートプロジェクトなどでディレクターを務める木野哲也さんとの出会いによる。3年ほど前から私は仕事でお世話になっていて、今回「アイヌ音楽の子ども向けの公演を開こうと思っているので、美流渡でもやりませんか?」と声をかけてくれたのだった。
出演するおふたりの名前を聞いて私は心が踊る思いがした。常々公演に行ってみたいと思っていたおふたりで、これまでは子どもが小さかったり遠方だったりしてなかなか叶わなかったからだ。さっそく、会を開けるように会場の選定や地域の声掛けなどのサポートを行うこととなった。
会の当日、木野哲也さん(写真右)は、昨年、美流渡に移住した画家・MAYA MAXXさん(写真左)のアトリエに立ち寄った。木野さんは、芸術文化プロデューサーとして活躍しており、白老町で行われている飛生(とびう)芸術祭やウイマム文化芸術プロジェクトなど数々のディレクターを務めている。
この会の開催を決めたあと、新型コロナウイルスの感染者が市内でも確認されるなど、北海道全体の緊張感がより高まっていった時期ではあったが、なんとか開催できる方法を模索したいという気持ちがあった。
ちょうどその頃、子どもたちが通う小学校ではアイヌ文化を学ぶ取り組みが行われていて、学校に講師を招く予定が中止となり、とてもがっかりしている我が子の姿を見ていたからだ。
この公演は文化庁の採択事業で、道内の学校など5か所で開催されるツアーとなっていて、出演者は事前にPCR検査を受け、万全の感染対策をしながら行うというものだった。
受け入れるこちらも、100人以上収容できるスペースを借り、地域の20人ほどの親子だけに限定するという最小単位で行おうと考えた。手探りではあったが、それぞれの家族に参加してみたいか尋ねていったところ、思った以上にいい反応だった。OKIさん、Rekpoさんの大ファンだと言ってくれた友人もいて、私はとても勇気づけられた。
会場としたのは地域のコミュニティセンター。普段は地元主催のイベントで使用されている大広間を借りた。
ステージに釘づけになった子どもたち
公演が行われたのは12月12日。美流渡は雪が多い場所だが、この日の天候は穏やかだった。スタート時間前から、音響機材のセッティングなどでスタッフのみなさんが集まってくれた。OKIさんはマイクで音色を確認し、その調整に細心の注意を払っていた。
1歳から中学生までさまざまな年齢の子どもたちとその家族が集まった。この事業は、文化庁の戦略的芸術文化創造推進事業の一環として行われた。
OKIさんは、アイヌの血を引くトンコリ奏者であり、音楽プロデューサーでもある。トンコリを持ったのは33歳。以前は、ニューヨークで暮らし、映画やCMの映像プロダクションの美術制作アーティストとして活動していた。その後、独学でこの楽器を習得したという。
Rekpoさんも、アイヌの血を引く歌い手でありムックリ奏者。アイヌの伝統歌「ウポポ」の再生と伝承をテーマに活動する女性ヴォーカルグループ〈マレウレウ〉のメンバーとして活動を行っている。
ふたりは、それぞれアイヌの伝統をベースにしつつも、独自の音楽スタイルを切り開いており、国内のみならず海外でもその活動が注目されている。
OKIさん、Rekpoさんは、古くから伝わる物語を子どもたちに話したあと、この話にまつわる歌を歌ったり、楽器を弾いたりしてくれた。その中にシマフクロウの物語があった。シマフクロウはアイヌ語で「コタンコルカムイ」。
「コタンコルカムイってどんな意味か知っている?」
OKIさんが語りかけると「村を守る神様!」
アイヌの文化について学んでいた子どもたちは、勢いよく答えていた。
そのほか子どもたちが参加して体を動かしながら歌う歌や竹製の楽器「ムックリ」の演奏などを披露してくれたあと「ちょう怖え〜、アイヌの話をしてあげよう」
OKIさんはそう言って、化け物に捕らえられていたふたりの娘を男が助け出す物語を話してくれた。
「娘のいた家には弦の張ってないトンコリがありました。よく見ると奥には死んだ人が山積になっていました。化け物がトンコリの音が嫌いだと聞いていた男は、死体の腕から血管を引き抜き、弦の代わりに血管をトンコリに張ってひと晩中弾き続けました」
OKIさんの迫真の語りに子どもたちは釘づけ。その後に演奏されたトンコリの音色にも、真剣な表情でじっと耳を傾けていた。
たった1時間だが、何本もの映画を見たかのような凝縮されたステージだった。何より印象的だったのは、子どもたちの様子。保育園や学校で顔を合わせるおなじみのメンバーということもあり、集中力が途切れると、おしゃべりしたり廊下で遊んだりするのだが、席を立つことなくステージに集中していた。
ステージを終えたふたりに、そんないつもと違う子どもたちの様子について伝えると……。
「子どもたちに静かにしなさい! なんて言ったってきかないよね。ワイルドに、一緒に悪ノリしようぜってふざけると、一緒についてくる。それに、子ども向けだからといって、おろそかにするとバレる。だから、音響も照明もしっかり入れて手を抜かない。アイヌってつまんないと子どもたちに思われたくない」
たしかにステージで昔話を語っていても、その語り口はフランク(不良少年みたいな感じ)。OKIさんの楽曲の中には、伝統的なアイヌ音楽をベースにしつつもそこにアレンジを加えたものもある。
これは単に現代的にするということではなく、これまでもさまざまな地域の文化がアイヌの文化と触れ合うことによって独自のスタイルが生まれていったように、アレンジを加えるという行為は、伝統の延長線上にあるのではないかとOKIさんは考えていた。
「アイヌ民族を“向こう側の人”と思っている人たちがいると思います。そしてアイヌ民族のほうも、メディアのリクエストに応えるような先住民族らしい振る舞いを演じている部分があるんじゃないかと思っています。でも、向こう側というスタンスで僕らがやってしまうと、向こう側のまま終わってしまう」
この向こう側では終わらせないというパッションは、子どもたちにしっかりと通じていたように思う。
小学1年生の娘は、帰り道、「べべへべ ヘロ」という、しゃがんだ姿勢で飛び跳ねながら手を叩く遊びの歌を歌いながら飛び跳ねて、「あ〜、楽しかった」と叫んでいた。小学4年生の息子は、最後の物語が「怖かった、怖かった」とつぶやいていた。学校で学んだアイヌ文化への興味が、このステージを見たことによって、グッとリアルになったんじゃないかと思えた。
「最近、熱心な学校の先生がアイヌ文化について取り上げてくれるようになって、以前とはアイヌに対する印象が変わってきたと思います。今日のステージもとてもやりやすかった。みんなワクワクしてくれているのが伝わってきました」
Rekpoさんも笑顔でそう語ってくれて、迎え入れた私も安堵した。人数をあえて制限したにしても、広い会場にたった6、7家族が参加するというとても小規模なもので、満員には程遠い会場で、公演してもらうのは忍びないような気持ちになっていたからだ。
会を終えて、私はじわじわと喜びが込み上げていた。東京にいた頃は、時間の許す限り、さまざまなイベントに顔を出していたが、美流渡に移ってからは、すっかりそうしたことから離れていた。さらにコロナ禍になって出歩く回数は極端に減っていた。
そんななかで気心の知れた仲間や子どもたちと、本物のステージを体感できるというのは夢のような出来事だった。アンプやスピーカーなど重い荷物を抱えて撤収してくれたスタッフのみなさんにも、「遠いところまで訪ねてくれて本当にありがとう」と、もう一度お礼を言いたい気持ちでいる。
僻地にいても、コロナ禍であっても、本物を味わえる機会に恵まれたことを、心からありがたいと思った。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/
https://news.goo.ne.jp/article/colocal/region/colocal-138968.html