先住民族関連ニュース

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<時感景感>5神居古潭 表情豊か 神がいる場所

2021-02-05 | アイヌ民族関連
北海道新聞 02/05 05:00
 石狩川の流れが悠久の時を刻んで生み出した旭川市の渓谷「神居古潭」。紅葉が美しい景勝地は今、モノクロの銀世界だ。夏の緑一色から、秋の錦絵を経て表情を変えてきた。観光客のにぎやかな声は聞かれず、静けさに包まれている。
 神居古潭の魅力は自然の造形美だ。水流で回転した小石が川底の岩盤をえぐった「おう穴」や、地下の熱と圧力の作用で変質した「変成岩」。ともに学術的価値があり、変成岩は「日本の地質百選」に選ばれるほど。約1億年前に起きた地下のプレート同士のぶつかり合いを今に伝えている。
 先住民アイヌ民族の人々はこの特異な場所を神聖視した。アイヌ語で神居古潭は神様がいる場所という意味。「おう穴は英雄神サマイクルに追われた魔神ニッネカムイの足跡なんですよ」。旭川市教委ジオパーク専門員の岩出昌(いわでしょう)さん(34)がアイヌ民族の言い伝えを教えてくれた。「想像豊かに観察すれば数々の奇岩が興味深く見えてくるはず」
 深い雪に覆われてじっと春を待つ河畔の木々や岩肌。雪解けとともに風景に色が戻り、「魔神」も現れてくるかのようだ。時空を超えた旅を楽しめる絶好のスポットだ。(西野正史)
=おわり=
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/508342

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台湾の天才IT大臣が「先住民タイヤル族」から学んだ大事なこと オードリー・タン

2021-02-05 | 先住民族関連
幻冬舎 2021.2.5
こんな人材が日本にも欲しかった。オードリー・タン。2020年に全世界を襲った新型コロナウイルスの封じ込めに成功した台湾。その中心的な役割を担い、世界のメディアがいま、最も注目するデジタルテクノロジー界の異才が、コロナ対策成功の秘密、デジタルと民主主義、デジタルと教育、AIとイノベーション、そして日本へのメッセージを語る。本連載はオードリー・タン著『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』(プレジデント社)の一部を抜粋し、再編集したものです。
オードリー・タンはなぜ人の話に耳を傾けるか
他人の話を聞くことによって新たな視点が獲得できる
私は中学校を中退する前の時期に、烏来(台北南部にある山地)にあるタイヤル族の集落に滞在していたことがあります。タイヤル族は台湾の先住民ですが、彼らから見ると、平地に住む台湾人である私と一緒に実験学校を行っているようなものだったと思います。
タイヤル族は私に、「平地に住む人たちは、先住民にも教育が必要だと言うけれど、自然の資源を無節制に使っている彼らにこそ教育が必要なのではないか。それでこそより優れた成果が得られるのではないか」と言いました。私は彼らの考えから多くのことをインスパイアされました。これは実に貴重な体験でした。
オードリー・タン 台湾デジタル担当政務委員(閣僚)
同じように、ITを高齢者の身近なものにするためには、もっと高齢者に声をかけて議論する必要があると思います。私の事務所には、いつも額装書画普及研究会の友人たちが来ますが、みんな七十代、八十代、九十代の人たちです。彼らが私たちに教えてくれるのは、「エレベーターの速度を遅めにする」とか「車椅子や松葉杖、歩行器で歩道橋を上がる際の手すりの高さを考えなくてはいけない」といったようなことです。座って議論ばかりしていても見えないこと、わからないことをたくさん教えてもらいました。
彼らから「こうすればもっと使いやすくなる」と言われれば、私はその助言を受けてすぐにシステムを調整するようにしています。新型コロナウイルス対策の中でも、「視覚障がい者にはマスク購入の方法が難しい」という声があったので、即座に購入システムを改善したこともありました。
私は他の人の話を聞くことが好きです。それは純粋な興味からきています。2020年、亡くなった李登輝元総統が、台湾の黒毛和牛やヨーロッパの牛を分析して、台湾でどう育てていくのかについて関心を持っていたのと同じく、私が政治的問題とは離れた事柄に関心を寄せるのは、単純な興味から出てくるものです。
他人の話を聞くことへの興味は大きく二つあります。
一つは、「自分自身の生活という角度から物事を見る」という制限を取り払えることです。同じ世界であっても、異なる角度から見ることで、自分自身の視点の限界を超越することができます。
二つ目は、相手の個人的な経験や背景から述べられたことを通じて、「世界はこのような視点でも解釈できると理解できる」ことです。相手が経験したことが将来自分にも起きたとき、私は相手とはまた違う方法を選択するかもしれません。つまり、未来を学習することができるのです。相手の経験を知ることから自分の視点を学ぶことで、未来に同じようなことが起きたら、きっと自分なりの新しい話し方ができるでしょう。
主にこの二つの点が、私にとって他人の話を聞くことへの興味であり、面白く思う点です。
「青銀共創」がイノベーションを生む理由
年齢の壁を越えて若者と高齢者が共同でクリエイトする「青銀共創」
先ほど述べたような新たな視点の獲得がイノベーションへとつながります。たとえば、最近は高齢者や障がい者を対象にしたITを用いた機器が多く出てきています。歩行器のようなものもありますし、日本では高齢者用のパワードスーツまで登場したと聞いています。
「背中が曲がってしまって重いものを持ち歩けない」人が、パワードスーツのような製品を装着することによって、重いものを持ち運べるようになれば、非常に便利です。また、ベッドに寝ているときに睡眠が浅くて寝つけない人には、ITの活用で枕やベッドに睡眠状態を検知して角度を調整するなどの知能を持たせることもできるようになるでしょう。
そう考えると、ITは高齢者の日常生活の向上に大きく貢献していることになります。身体は衰えても知能や精神がまだしっかりしている人は、こうした機器を用いることで、引き続き社会に積極的に参加できるようになるでしょう。
私がいつも言っていることですが、高齢者でも社会に貢献できることは非常にたくさんあるのです。私は小さい頃、身体が弱かったので、自由にどこへも行くことができませんでした。私はその不便な障がいを手術で取り除くしかなかったのです。しかし、ITやデジタル技術の進んだ今なら、それらを利用することで、多少体の自由がきかなくなった高齢者でもまだまだ社会に貢献できると思うのです。
最近、日本のメディアから取材を受ける機会が非常に増えました。よく聞かれる質問としてあるのが「日本のIT大臣(注 2019年9月の第四次安倍第二次改造内閣で就任した竹本直一氏のこと)は七十八歳だけれども、どう思うか」です。七十八歳といえば、私の父と同世代ですが、年配のIT大臣は決して悪いものではないと思います。
現在(2020年10月現在)の行政院長の蘇貞昌氏も七十三歳と決して若くはありません。でも、彼に何かを説明したとき「もう一度言ってほしい」と聞き返されたことはありません。頭は非常にクリアです。そういう人を身近に知っているので、私は年齢がお互いのコミュニケーションを阻むとは考えていません。
専門的な能力を持った人が縦方向の仕事をすることは、理に適っていると思いますが、本来必要なのは、各年齢層の人間が、私が提供しているような横の連携とコミュニケーションを図る仕事をすることだからです。
台湾では「青銀共創」という試みが盛んです。これは青年(青)と年配者(銀)が共同でクリエイトしてイノベーションを行っていくものです。要は、年配者と若い人がお互いに学び合うのです。年配者は若者から、「今のデジタル社会と、どうコミュニケーションをとっていけばいいか」を学び、若者は年配者の知恵や経験を学びます。私のいるラボ(社会創新実験センター)にも、そうした活動を行っている団体が入っています。
政策立案、政策遂行で政府が行うべきこと
私の執務室に飾ってある額は、額装書画普及研究会のメンバーから寄贈されたものですが、この研究会ではだいたい八十代から九十代の人たちが若い人たちと一緒になって共同でイノベーションを行っています。
高齢者にできる仕事を、それまで彼らが行ってきたものとは違う職業に結びつける必要はないと思います。確かにシルバーの人々が得意なことと、社会が求めている仕事の間には差異があるかもしれません。それを埋めるために学び直しをしてもらう必要もあるかもしれません。しかし、その一方で、社会の側もシルバーの人たちの得意なことを生かそうとする視点を持つべきだと思うのです。
つまり、年配者の得意なことと社会のニーズの中間地点を作ることができないかについて考える必要があると思うのです。これは、新しい社会的役割や職業を生み出すことに等しいイノベーションであり、非常に重要なことです。
若者と年配者はそれぞれ異なる角度からの見方を持っています。その見方を結合させたやり方の一つが、最近コロナ渦の経済対策として台湾で発行された振興三倍券です。この施策を設計するとき、紙のチケットとして振興券がほしいのであれば紙でもらえばいいし、クレジットカードを使い慣れているならカードに情報を載せて使えるようにしました。実際、両者が選択された割合は半々ぐらいです。
この振興券を作るとき、若者と年配者が共同でアイデアを出す場がなければ、どちらか一方のやり方だけになって、残り半分は置き去りにされていたかもしれません。これは絶対に看過できないことです。
重要なのは、「どうすれば、各世代が一緒に政策を作っていくことができるか」を考えることです。政府はその上でまとまった意見を吸い上げればいいわけです。
オードリー・タン
台湾デジタル担当政務委員(閣僚)
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https://gentosha-go.com/articles/-/31732

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アイヌ絵を読み解く(4)五十嵐聡美

2021-02-05 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2021年02月04日

平澤屏山『種痘図』(1868〈明治元〉年)=ロシア・オムスク造形美術館蔵
●五十嵐聡美 道立三岸好太郎美術館副館長
■種痘図が語る和人との歴史
 大広間にひしめきあう人々。入り口近くには、母子の一群がざっと50人。子どもたちは、これからどんな楽しいことが始まるのかと目をキラキラさせている。
 一方、肩を寄せ合っているのは、受付前に座る男たちだ。後ろ姿しか見えないが、恐怖に凍りついていたかもしれない。目の前で天然痘のワクチン接種、種痘が行われているのだ。
 絵の中央では、剃髪(ていはつ)の医師が両腕に種痘針を刺している。隣では、母親に抱きかかえられた子どもが接種を受けるところ。助手がなだめようと菓子を見せるが、火がついたように泣くばかり。
     *
 安政4(1857)年、蝦夷地では、約6400人の種痘が行われたと記録される。箱館奉行の村垣淡路守(画中、壇上中央)が、度重なる天然痘の流行によってアイヌ民族に甚大な被害が出ていることを知り、幕府に緊急の対策として集団種痘を願い出たのだ。
 種痘に奔走したのは、ベテラン種痘医の桑田立斎。一生涯10万人の種痘を心に誓い、7万人に施して種痘針を握ったまま、58歳で急逝したと伝えられる。
 もう一人は、函館出身で、江戸で医学を学んだ若き俊才、深瀬洋春である。痘苗(とうびょう)(ワクチン)の製造も長期保管も不可能だった時代に、2人は、人から人へと牛痘苗を植えつけながら、蝦夷(えぞ)地全域での種痘を成し遂げたのであった。
 思ったより痛くなかったと、接種を終えた人々が、囲炉裏の周りでくつろいでいる。緊張と安堵(あんど)が交錯する群像劇を描いたのは、幕末から明治にかけて、函館で活躍した平澤屏山(びょうざん)(1822~76)。岩手生まれ。兄弟で函館に移住し、はじめは絵馬を描き、のち十勝でアイヌの暮らしを取材してアイヌ絵を描いた。
 大の酒好きで、気が乗らないと筆を執らないが、一度、絵に向かえば迫真のアイヌ絵を描き、函館の外国人で屏山の絵を求めなかったものはいなかったという。
 ロシア領事も、明治元(1868)年、屏山に絵を依頼したが、いつまでたっても納品しないため「厳談して筆を執らしむ」と伝えられる。
     *
 この絵は、イギリス製の洋紙に、舶来の絵の具が使われており、近年、ロシアで発見された。美術品として見るなら、繊細な心理描写が冴(さ)える屏山渾身(こんしん)の作であり、ロシアに渡ったという来歴も興味がつきない。しかし、そこに和人とアイヌの歴史が語られているとすれば、両者の力関係や本当の目的は何だったのかと考えさせられる。
 天然痘は、和人経営の漁場で働くアイヌの人々を繰り返し襲い、その度に多くの犠牲者を出した。安政4年の集団種痘によって多くの命が守られたのは確かだが、桑田立斎はじめ、日本各地の蘭方(らんぽう)医が、懸命に種痘の普及に取り組んでいた時期であり、一般への強制種痘は始まっていない。全国に先駆けて、公費による集団種痘がアイヌ民族に対して行われたのだ。
 それをどう評価するか。
 絵には、さまざまな扉がある。どの扉を開くのかで見える世界が違ってくる。
 (完)
http://digital.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20210204010860001.html?ref=comkiji_txt_end_s_kjid_MTW20210204010860001

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アイヌ絵を読み解く(3)五十嵐聡美

2021-02-05 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2021年01月28日
●五十嵐聡美 道立三岸好太郎美術館副館長

■12枚の肖像の裏に渦巻く策略
 江戸時代に描かれたアイヌ民族12枚の肖像画。題名を『夷酋(いしゅう)列像』という。美術ファンの間では、異色の江戸絵画として知られるが、ミステリー小説さながらの仕掛けや陰謀が渦巻く絵画でもある。
 肖像画は、特注の屏風(びょうぶ)の両面に貼り込まれたと考えられている。広げれば、12人の首長がずらりと姿を現す仕組みだ。ただし屏風といっても小型で、近づかなければ、見ることができない。肖像画1枚の大きさがA3判ぐらいなのだ。頭を近づけると見えてくるのは、顕微鏡を覗(のぞ)いたような細密描写。髭(ひげ)の一本一本までが微細に描かれている。最高級の絵の具が使われているから色彩も鮮やかだ。
 例えば、厚岸バラサンの首長、イニンカリの肖像。豪華な衣装を身につけ、長槍を持ち、2頭のヒグマを連れている。しかも1頭は、幻獣というべき白毛のヒグマ(近年、クナシリと知床で生息が確認され、話題になった)。なんと、こちらを見返している。ここでぐっと絵の世界に引き寄せられる。
     *
 一体、この異なる人々や動物は、何なのか。
 すると絵が答えてくれる。屏風には序文が貼り付けてあり、描かれている人物を解説した冊子『夷酋列像附録』が添付されているのだ。
 序文によると、この絵は、東蝦夷地(北海道東部)で勃発した「クナシリ・メナシの戦い」(1789年)で松前藩に味方し、勲功があったアイヌの指導者や武将らを描いたものという。彼らの善い行いをアイヌの民に知らしめるべく、家臣の蠣崎波響(かきざきはきょう)(1764~1826)に筆を執らせたと松前藩の家老、松前広長が語る。
 しかし藩は、アイヌ民族に見せることなく、屏風を京都に運び、時の天皇や文化人にお披露目した。さらに将軍家や諸藩の大名に公開し、各地で模写制作が行われるのだが、情報拡散のための松前藩の策略だったと思いたくなる。
 というのも、このころ松前藩は、幕府から北方警備能力を疑われ、目をつけられていた。起死回生のためには、強い民族を従えて広大な蝦夷地を支配していると、アピールできるような秘策が求められていたのだ。『夷酋列像』は、松前藩のプロパガンダであり、イメージ戦略のツールだったのではないだろうか。
     *
 今の研究では、この12人の肖像画を描くために、蠣崎波響は、中国の仙人の絵を引用し、コンピューターグラフィックスのように、画像をコピー、反転、切り貼りして12人の姿を作り上げたことがわかっている。この絵に求められていたのは、ありのままのアイヌの風貌(ふうぼう)ではなく、財力と武力を兼ね備えた豪傑であり、鬼神をにらみすえる十二神将のような姿だったのではあるまいか。
 当時のアイヌの首長たちは、まさか自分たちの名前を使った肖像画が出回っているなど、思いもよらなかったであろう。そもそもアイヌは、伝統的に絵は描かない。いたずらに目鼻を描くと、そこに霊が宿り、悪さをするからという。
 「アイヌ絵」とは、描く側も和人、見る側もすべて和人だったのである。
http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20210128010860002.html

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アイヌ絵を読み解く(2)五十嵐聡美

2021-02-05 | アイヌ民族関連
朝日新聞 2021年01月21日
●五十嵐聡美 道立三岸好太郎美術館副館長

■蝦夷の宝を運ぶ宗谷の豪傑
 ここに掲げた図版は『アイヌ盛装図』(部分)である。一見すると、豪華ないでたちをしたアイヌ民族の長老と女性の絵だ。でもよく見てほしい。だんだんと奇妙な描写が目についてくるはずだ。
 例えば、長老のヒゲ。あまりに長すぎやしないだろうか。左手でヒゲをたくしあげているが、そのまま垂らせば、軽く地面に届く。
 長老の衣装。このまま現代に蘇(よみがえ)ったら、二度見するほどの派手な柄だ。漆黒の空に五色の雲や金雲が浮かぶなか、2頭の龍が飛翔(ひしょう)する。しかも裏地は、赤。
    ◇ ◆ ◇
 ここで気になるのが帯をしていないこと。隣の女性は、帯ひもを結んでいるから、描き忘れたということはないだろう。なぜ帯をしていないのか。腑(ふ)に落ちないこちらの視線に気づいてか、長老も弓を持つ右手でそっと前を押さえているように見えてくる。
 女性に目を移せば、白地で襟や袖に文様が入った着物を着ている。ここでも気になるのが、肩の上の子グマ。なんと女性は、ヒグマの子をおんぶしているのであった。
 アイヌ文化の研究者も、この絵について疑問を口にしている。2人の姿が、アイヌというより中国の風俗に見えるからだ。長老の被(かぶ)り物は、唐人笠に似ているし、龍文の衣装は、中国清朝の役人の官服(蝦夷〈えぞ〉錦)を思い出させる。女性の持つ籠は、中国の説話『霊照女図(れいしょうにょず)』に描かれる竹籠にそっくり。
 この絵の作者は、18世紀の中頃、松前で活躍した小玉貞良(ていりょう)である。何を見て描いたのか。きちんと取材したのか。それとも想像の産物なのか。この絵は、一体、何のために描かれたのか。
    ◇ ◆ ◇
 以下は、私の想像による制作裏話。
 松前で絵屋を営む小玉貞良に、ある男からお呼びがかかった。近江出身の雑貨商で、北前船で毎年、松前に出入りしている男だ。さっそく屋敷へ赴くと、蝦夷の宝がずらりと並んでいる。蝦夷錦(中国製の絹の服)、青玉(ガラス玉)、熊の毛皮、宝刀、弓、矢筒、笠、首飾りや耳飾り。みな宗谷で仕入れてきたものという。
 関西に帰って、蝦夷の宝を見せて回りたいから宗谷のチョウケンを描いてくれぬかと男。チョウケンがわからないというと、有名な宗谷アイヌの豪傑で、年は100歳に近い。ヒゲは膝(ひざ)より長く、手で巻き取るぐらいだという。
 蝦夷の宝の数々に圧倒された貞良だが、蝦夷錦は背模様しか見なかったし、一晩たったら、宝の記憶も薄くなるし、そもそも、アイヌの姿をどう描いてよいかわからない。秘蔵の手本集から狩野派の人物画など、それらしい絵を参考にしつつ完成させたのが、この掛け軸。チョウケンが蝦夷の宝を運んでくる図だ。
 この絵の前に座ると、絵の中からチョウケンが出てきて、羽織っている蝦夷錦をふわりと脱いで、目の前に置いてくれる。さらに女性が青玉を籠ごと差し出してくれる。アイヌの女性は、子グマを我が子のように養育すると聞いたので、描き入れてみた。京の都で評判になるといいなあと思い、サインは、「松前産貞良筆」とした。
 さて、あなたは、どうご覧になるか。http://www.asahi.com/area/hokkaido/articles/MTW20210121010860001.html

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