北海道新聞 02/05 10:58
釧路市の阿寒湖アイヌコタンで生きる人々を描いた映画「アイヌモシリ」が、昨秋の公開以来、全国に上映を広げている。アイデンティティーに揺れる14歳の少年の物語。主要キャストを本人が演じるなど「アイヌ民族がアイヌ役を演じる映画」にこだわり、海外でも高い評価を得ている。伊達市出身で、米国で映像制作に携わりながら、5年以上をかけて本作に取り組んだ福永壮志監督(38)=東京在住=に、作品づくりの姿勢を聞いた。(東京報道 大沢祥子)
■イオマンテは神様送る行為 どうしたら伝わるか悩んだ
――コロナ禍が映画業界にも影を落とす中、公開3カ月余りで約1万5千人を動員するなど、口コミで支持を広げています。
「出演者、アイヌの皆さんに好評なのが一番うれしい。アイヌ民族が映画などできちんと描かれてこなかったのを変えたくて取りかかった作品。知らない人に理解してほしいのはもちろんですが、彼らに間違った描き方だと思われたら失敗でしたから」
――アイヌ民族の映画を撮りたいと思った動機は何でしたか。
「米国で映像制作を学んだ20代前半ごろ、周囲に先住民族の問題に関心の高い人が多い中で、生まれ育った場所の先住民族を全く知らないことにはっと気付いて学びたいと思ったのが最初です。故郷にいたときはタブーのように感じていて、知る機会のないまま北海道を出てしまった。これまでの劇映画の多くはアイヌ役をそうではない人が演じていたり、民族像を過剰に美化していたりで、もう少し現実に寄り添った作品が作れるのではないかと思いました」
――「監督の情熱に、この人だったら手伝おうと思った」と阿寒の出演者が話していました。どう交渉したのでしょうか。
「ただ一人で行き、まっすぐに向き合って、なぜ撮りたいかや自分がどういう人間かを説明しただけです。阿寒を選んだのは“役者がそろっていた”ことが大きいですが、話して関係性をつくることができなければ、作品はできません。自分のスタイルとかではなく、それ以外方法が無い。一歩一歩できることからやるタイプです」
――伝統儀式「イオマンテ(クマの霊送り)」の復活という繊細な題材を物語の核にしています。
「いろんな方の話を聞き、慎重に進めました。アイヌ文化や精神世界の集大成とされる一方で、阿寒の中でも賛否があり、現代のアイヌ民族の多様性や葛藤が凝縮している。イオマンテが反感を買う恐れもあり、クマを殺すというより神様を送る行為だということがどうしたら伝わるか、すごく考え、悩みました。結果として、国内外の観客が神様の話だと理解して見てくれたのではないでしょうか」
――アイヌ民族ではない監督がコタンの内側の視点で描くにあたり、どんな工夫をしましたか。
「脚本を書く段階から意見を聞いたり、せりふを暗記せずに自分の言葉でしゃべるようお願いしたりと、つくる過程に皆さんの声を反映させることで、僕では書けなかった言葉がたくさん出ました。例えば、森で雨宿りをしながら『こんな雨にも理由があって降っている』と言うのは『天から役割なく降ろされたものはない』という意味で、アイヌの考え方の核心を突いたものです。すでにあるものに映画を近づけていくというか、それを生かしてつくる。と同時に、客観的な視点だから見えること、伝えられることもあると思う」
――米映画界では白人による黒人の描き方に論争もあります。
「自分の出身の話しか語れないとなると、世界中の物語が無くなってしまう。マイノリティーを尊重する意識は強く持つべきだが、一方で芸術は芸術であり、常に葛藤しながら、意見交換してバランスを見つけなければなりません」
「さまざまな人種や文化の人々が集まるニューヨークで、互いに敬意を持って接することの大切さを学んだ。必要なのは、完全には理解できないことを認めた上で歩み寄ること。映画づくりとは、言い方を変えれば、映像を通じた不特定多数との対話です。今の時代にこの作品を出す意味はあるかと考え、あると思えるから頑張れる。だから僕は、どこの人を撮ろうが同じ姿勢で向き合います」
――主人公の少年カントを演じた中学生(当時)、下倉幹人さんの強いまなざしが印象的でした。
「彼の豊かな心がまなざしに表れているのだと思う。今回のカメラマンはそれをとても印象的に映像にしてくれたし、僕もせりふだけではなくて、表情やまなざしで伝えるように意識しました。けれど一番は彼自身が持つ魅力です」
――今作は日米中の国際共同制作。撮影部スタッフや編集などのポストプロダクションは米国チームでしたが、なぜでしょう。
「目指す作品を考えたとき、自然とそうなりました。特に撮影は、先入観や偏見が無い人にお願いしたかった。被写体との距離感や遠慮は、演技に影響するし、映像に出る。カメラマンは顔の寄り(クローズアップ)が得意で、出演者の人間味を曇り無く映し出してくれた。先入観はいろいろな形で伝わって現場の空気に影響します」
――映画を撮って、アイヌ民族へのイメージは変わりましたか。
「自分にも先入観や理解できていない部分があったことに気付かされた。僕は彼らの文化や工芸の美しさにひかれ、伝統を受け継ぐのは素晴らしいことだと思っていましたが、それは固まったイメージを押しつけることにもなりかねない。映画を1本撮ったからといって全てを理解したつもりはありません。知った気にならずに、葛藤を続けながら、知ろうとする努力を続けることが大事だと考えています」
――日本の映画界に思うことはありますか。
「海外は芸術への支援が手厚く学びの機会もあるが、日本にはあまり無い。今回の企画も海外の支援があって実現できました。自分はまだ新人ですが、良い映画が世に出ることの価値を信じている。自分にできることをしたくて昨年、国の支援を受けるNPO法人『映像産業振興機構』の事業として新人監督の脚本づくりを支援する5カ年のプログラムを立ち上げ、全面的に関わっています」
――今後はどんな作品を撮っていきますか。
「次回作は東北が舞台で、日本の精神性などがテーマの構想です。社会的、普遍的テーマに取り組みながらも、自分を枠にはめず、その時その時にちゃんと作品に向き合って、何作か撮った後で振り返った時に、それらがつながる何かしらの線が見えたらいいなと思います」
◇
■映画「アイヌモシリ」 あらすじ
14歳のカント(下倉幹人)は、民芸品店を営む母エミ(下倉絵美)と阿寒湖アイヌコタンで暮らす。父の死後、アイヌの活動から遠ざかり、中学卒業後は町を離れるつもりだ。父の友人だったデボ(秋辺デボ)はカントを森に連れ出し、アイヌの精神や文化を教える。ひそかに子グマの世話を任されたカントだが、デボはイオマンテの復活のために子グマを飼育していた―。道内の上映はほぼ終了し、11日から稚内で上映。問い合わせは太秦(うずまさ)(電)03・5367・6073へ。
<略歴>ふくなが・たけし 1982年、伊達市生まれ。伊達緑丘高を卒業後、2003年渡米。07年ニューヨーク市立大学ブルックリン校映画学部を卒業。15年、米国で生きるアフリカ系移民の苦悩を描いた初の長編「リベリアの白い血」をベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品、同作でロサンゼルス映画祭最高賞を受賞するなど高く評価された。長編2作目となる本作は、ニューヨークのトライベッカ映画祭インターナショナル・ナラティブ・コンペティション部門で邦画初の審査員特別賞を受賞。19年から東京を拠点に活動する。
<ことば>イオマンテ アイヌ民族にとって重要な儀式の一つで、飼育したクマを殺すことによってクマに姿を変えたカムイ(神)を神の国へ送り返して再来を願う。道は、1955年に「野蛮な行為」だとしてイオマンテを通達で禁じたが、民族の重要儀式として復活を探る動きが各地で続き、2007年には環境省が「動物を利用した祭礼儀式」との見解を示したことから、通達を廃止した。今回、映画を監修、出演もした阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男(デボ)さんによると、釧路市阿寒町では1975年に実施されたという。
<後記> 「この映画をきっかけにアイヌ民族への偏見や誤解が少しでも無くなってほしい」と福永さん。今、アイヌ民族は法律に「先住民族」と明記され、文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業、マンガや小説でも取り上げられる。だが一方では、存在や文化を否定する差別的な言説にさらされ続けているのも現実だ。本作は劇映画ではあるが、描かれている思いや葛藤はリアルだと出演者も話していた。観光地で踊りを見るだけでは知ることのできない、彼らの心に触れられる84分だ。
◆「アイヌモシリ」の「リ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/508457
釧路市の阿寒湖アイヌコタンで生きる人々を描いた映画「アイヌモシリ」が、昨秋の公開以来、全国に上映を広げている。アイデンティティーに揺れる14歳の少年の物語。主要キャストを本人が演じるなど「アイヌ民族がアイヌ役を演じる映画」にこだわり、海外でも高い評価を得ている。伊達市出身で、米国で映像制作に携わりながら、5年以上をかけて本作に取り組んだ福永壮志監督(38)=東京在住=に、作品づくりの姿勢を聞いた。(東京報道 大沢祥子)
■イオマンテは神様送る行為 どうしたら伝わるか悩んだ
――コロナ禍が映画業界にも影を落とす中、公開3カ月余りで約1万5千人を動員するなど、口コミで支持を広げています。
「出演者、アイヌの皆さんに好評なのが一番うれしい。アイヌ民族が映画などできちんと描かれてこなかったのを変えたくて取りかかった作品。知らない人に理解してほしいのはもちろんですが、彼らに間違った描き方だと思われたら失敗でしたから」
――アイヌ民族の映画を撮りたいと思った動機は何でしたか。
「米国で映像制作を学んだ20代前半ごろ、周囲に先住民族の問題に関心の高い人が多い中で、生まれ育った場所の先住民族を全く知らないことにはっと気付いて学びたいと思ったのが最初です。故郷にいたときはタブーのように感じていて、知る機会のないまま北海道を出てしまった。これまでの劇映画の多くはアイヌ役をそうではない人が演じていたり、民族像を過剰に美化していたりで、もう少し現実に寄り添った作品が作れるのではないかと思いました」
――「監督の情熱に、この人だったら手伝おうと思った」と阿寒の出演者が話していました。どう交渉したのでしょうか。
「ただ一人で行き、まっすぐに向き合って、なぜ撮りたいかや自分がどういう人間かを説明しただけです。阿寒を選んだのは“役者がそろっていた”ことが大きいですが、話して関係性をつくることができなければ、作品はできません。自分のスタイルとかではなく、それ以外方法が無い。一歩一歩できることからやるタイプです」
――伝統儀式「イオマンテ(クマの霊送り)」の復活という繊細な題材を物語の核にしています。
「いろんな方の話を聞き、慎重に進めました。アイヌ文化や精神世界の集大成とされる一方で、阿寒の中でも賛否があり、現代のアイヌ民族の多様性や葛藤が凝縮している。イオマンテが反感を買う恐れもあり、クマを殺すというより神様を送る行為だということがどうしたら伝わるか、すごく考え、悩みました。結果として、国内外の観客が神様の話だと理解して見てくれたのではないでしょうか」
――アイヌ民族ではない監督がコタンの内側の視点で描くにあたり、どんな工夫をしましたか。
「脚本を書く段階から意見を聞いたり、せりふを暗記せずに自分の言葉でしゃべるようお願いしたりと、つくる過程に皆さんの声を反映させることで、僕では書けなかった言葉がたくさん出ました。例えば、森で雨宿りをしながら『こんな雨にも理由があって降っている』と言うのは『天から役割なく降ろされたものはない』という意味で、アイヌの考え方の核心を突いたものです。すでにあるものに映画を近づけていくというか、それを生かしてつくる。と同時に、客観的な視点だから見えること、伝えられることもあると思う」
――米映画界では白人による黒人の描き方に論争もあります。
「自分の出身の話しか語れないとなると、世界中の物語が無くなってしまう。マイノリティーを尊重する意識は強く持つべきだが、一方で芸術は芸術であり、常に葛藤しながら、意見交換してバランスを見つけなければなりません」
「さまざまな人種や文化の人々が集まるニューヨークで、互いに敬意を持って接することの大切さを学んだ。必要なのは、完全には理解できないことを認めた上で歩み寄ること。映画づくりとは、言い方を変えれば、映像を通じた不特定多数との対話です。今の時代にこの作品を出す意味はあるかと考え、あると思えるから頑張れる。だから僕は、どこの人を撮ろうが同じ姿勢で向き合います」
――主人公の少年カントを演じた中学生(当時)、下倉幹人さんの強いまなざしが印象的でした。
「彼の豊かな心がまなざしに表れているのだと思う。今回のカメラマンはそれをとても印象的に映像にしてくれたし、僕もせりふだけではなくて、表情やまなざしで伝えるように意識しました。けれど一番は彼自身が持つ魅力です」
――今作は日米中の国際共同制作。撮影部スタッフや編集などのポストプロダクションは米国チームでしたが、なぜでしょう。
「目指す作品を考えたとき、自然とそうなりました。特に撮影は、先入観や偏見が無い人にお願いしたかった。被写体との距離感や遠慮は、演技に影響するし、映像に出る。カメラマンは顔の寄り(クローズアップ)が得意で、出演者の人間味を曇り無く映し出してくれた。先入観はいろいろな形で伝わって現場の空気に影響します」
――映画を撮って、アイヌ民族へのイメージは変わりましたか。
「自分にも先入観や理解できていない部分があったことに気付かされた。僕は彼らの文化や工芸の美しさにひかれ、伝統を受け継ぐのは素晴らしいことだと思っていましたが、それは固まったイメージを押しつけることにもなりかねない。映画を1本撮ったからといって全てを理解したつもりはありません。知った気にならずに、葛藤を続けながら、知ろうとする努力を続けることが大事だと考えています」
――日本の映画界に思うことはありますか。
「海外は芸術への支援が手厚く学びの機会もあるが、日本にはあまり無い。今回の企画も海外の支援があって実現できました。自分はまだ新人ですが、良い映画が世に出ることの価値を信じている。自分にできることをしたくて昨年、国の支援を受けるNPO法人『映像産業振興機構』の事業として新人監督の脚本づくりを支援する5カ年のプログラムを立ち上げ、全面的に関わっています」
――今後はどんな作品を撮っていきますか。
「次回作は東北が舞台で、日本の精神性などがテーマの構想です。社会的、普遍的テーマに取り組みながらも、自分を枠にはめず、その時その時にちゃんと作品に向き合って、何作か撮った後で振り返った時に、それらがつながる何かしらの線が見えたらいいなと思います」
◇
■映画「アイヌモシリ」 あらすじ
14歳のカント(下倉幹人)は、民芸品店を営む母エミ(下倉絵美)と阿寒湖アイヌコタンで暮らす。父の死後、アイヌの活動から遠ざかり、中学卒業後は町を離れるつもりだ。父の友人だったデボ(秋辺デボ)はカントを森に連れ出し、アイヌの精神や文化を教える。ひそかに子グマの世話を任されたカントだが、デボはイオマンテの復活のために子グマを飼育していた―。道内の上映はほぼ終了し、11日から稚内で上映。問い合わせは太秦(うずまさ)(電)03・5367・6073へ。
<略歴>ふくなが・たけし 1982年、伊達市生まれ。伊達緑丘高を卒業後、2003年渡米。07年ニューヨーク市立大学ブルックリン校映画学部を卒業。15年、米国で生きるアフリカ系移民の苦悩を描いた初の長編「リベリアの白い血」をベルリン国際映画祭パノラマ部門に出品、同作でロサンゼルス映画祭最高賞を受賞するなど高く評価された。長編2作目となる本作は、ニューヨークのトライベッカ映画祭インターナショナル・ナラティブ・コンペティション部門で邦画初の審査員特別賞を受賞。19年から東京を拠点に活動する。
<ことば>イオマンテ アイヌ民族にとって重要な儀式の一つで、飼育したクマを殺すことによってクマに姿を変えたカムイ(神)を神の国へ送り返して再来を願う。道は、1955年に「野蛮な行為」だとしてイオマンテを通達で禁じたが、民族の重要儀式として復活を探る動きが各地で続き、2007年には環境省が「動物を利用した祭礼儀式」との見解を示したことから、通達を廃止した。今回、映画を監修、出演もした阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男(デボ)さんによると、釧路市阿寒町では1975年に実施されたという。
<後記> 「この映画をきっかけにアイヌ民族への偏見や誤解が少しでも無くなってほしい」と福永さん。今、アイヌ民族は法律に「先住民族」と明記され、文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業、マンガや小説でも取り上げられる。だが一方では、存在や文化を否定する差別的な言説にさらされ続けているのも現実だ。本作は劇映画ではあるが、描かれている思いや葛藤はリアルだと出演者も話していた。観光地で踊りを見るだけでは知ることのできない、彼らの心に触れられる84分だ。
◆「アイヌモシリ」の「リ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/508457