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「ゴールデンカムイ」の“隠れ聖地” 企業城下町にアイヌの宝物 

2021-02-15 | アイヌ民族関連
sankeibiz 2021.2.15 06:02
 アニメにもなった人気コミック「ゴールデンカムイ」(集英社)に北海道・苫小牧市美術博物館が所蔵するアイヌのたばこ入れや矢毒入れが登場し、「聖地巡礼」とみられるファンが同館を訪れている。同館は知る人ぞ知るアイヌ関係コレクションの宝庫だが、巡礼のモデルコースともいえる公的機関主催のスタンプラリーに採用されていない“隠れ聖地”。所蔵品のコミック登場を機に、聖地入りはかなうのか。

 作者の色紙も
 「ゴールデンカムイ」は、日露戦争後の北海道を舞台に元兵士らがアイヌの金塊争奪戦を繰り広げる人気コミック。狩猟や料理といったアイヌの習俗・文化も描かれ、克明に描写された道具類が物語の世界にリアリティーを与えている。
 たばこ入れは昭和56年に同館が購入した。コミックの22巻で砂金堀り師が身に着け、物語が展開する上でのキーアイテムとして23巻にも登場。鮭を担いで歩くヒグマが彫られ、印象的なデザインだ。
 「新型コロナウイルスの影響で今は下火になっているが、たばこ入れが作品に登場したことが伝わった昨年夏から、毎日のように本州から来館者が訪れた」。同館の学芸員がこう話す。
 作者直筆の色紙とともに常設展示され、入館時に申請すれば撮影もできる。同館によると、申請書にたばこ入れを記入する例が本州からの来館者に多くみられた。北海道の“空の玄関口”新千歳空港から、昨年夏に開業した国立アイヌ文化復興拠点ウポポイ(白老町)へ向かう途中に立ち寄る来館者が目立ったという。
 充実展示2つの理由
 別の区画に展示されている矢毒入れも木製で、コミックではアイヌの少女が狩りの準備をする場面でクローズアップされている。
 「実際に使われ、毒が残っている。アイヌ関連資料を数多く展示しているので、『ウポポイのついでに来たが、2時間じっくり見た』などの感想が寄せられている」と学芸員。
 交易などに使われたアイヌの丸木舟が5艘もまとめて見られるのは同館だけ。河川用と海用が並び、迫力満点だ。女性が儀礼で身に着ける首飾り(タマサイ)は質、量とも国内有数のコレクションで、世代を超えて受け継がれた宝物(イコロ)の繊細な輝きが存在感を放っている。
 アイヌ関連資料の充実ぶりには、歴史的な理由がある。丸木舟は昭和41年に市内で発掘され、放射性炭素年代測定の結果から鎌倉末期から室町初期のものと推定されている。近代の苫小牧市は企業城下町として発展したが、かつては太平洋岸から川をさかのぼり、一部陸路を経て日本海側に至る交通路の起点だったからだ。
 充実している理由はもう一つある。アイヌ関連資料の購入時期だ。同館によると、苫小牧市では昭和20年代後半から30年代初頭にかけ、博物館建造を目指して多くのアイヌ資料を収集していた。明治時代から外国人や古美術商の収集対象となっており、まとまって購入できた最後の時代だったという。
 “聖地”入りへ働きかけ
 北海道では、自治体や観光関係団体でつくる北海道観光振興機構が平成30年度から毎年度、アニメ「ゴールデンカムイ」ゆかりの地を巡るスタンプラリーを実施。「博物館 網走監獄」(網走市)や「北海道開拓の村」(札幌市)など道内各地の博物館をチェックポイントとしている。
 たばこ入れなどがコミックに登場して間もない苫小牧市美術博物館は、ラリーに含まれていない。このため、同館は機構に採用を働きかけている。だが、新型コロナの感染状況が落ち着かない中、機構が次年度もラリーを実施できるかは未定。コロナ禍の先行きは不透明だ。(寺田理恵)
https://www.sankeibiz.jp/econome/news/210215/ece2102150602001-n1.htm

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物欲から解放されるためには?本当の財産とは何か

2021-02-15 | 先住民族関連
あるじゃん 2/14
◆The more you know, the less you need.
「The more you know,the less you need.」
これはオーストラリアの先住民族のことわざだそうです。直訳すれば「知れば知るほど、必要な物は少なくなる」となります。皆さんは、この言葉から何を連想しますか?
私は、現代人が忘れつつある「豊かさ」の意味を思い出させてくれる言葉だと受け取りました。現代人が陥っているのは、自分という無形財産の可能性を忘れ、お金という二次的・外形的な表象を追求する風潮です。
◆お金がないと幸せになれない?
お金というのは、しょせん投影物に過ぎません。何の投影かというと、他人に与えた有用さ、作り出した快適さ、自分が発揮できるエネルギーの投影なのです。だから、お金持ちになる人は、商売がうまいのではなくて、自分自身を上手に使えたからお金が集まってきたのです。
しかし、現代ではすぐに結果を求められ、人と競争をさせられて、優劣の烙印をすぐに押されるようなせちがらい環境にさらされています。ですから、目先の結果を求め、明日のキャッシュを追いかけて、どんどん自分という資産をすり減らしているのです。
そんなはかない立場に置かれているから、形のあるお金、財産を持っていないと不幸になると人は思い込んでしまうのですね。しかし、彼らは、まったく異なる解釈をしていたと思います。
◆最大の財産は自分自身!
豊かさの根源にある価値、それは人のエネルギーであり、英知であり、生きる力です。それを備えている人は、いっときの貧乏や困窮も乗り越えることができます。その根源を支えているのは、お金などではなくて、自分自身という資産なのです。
物に頼る生活、外食に依存した健康、商品に左右される投資、外的環境に振り回されるビジネスといった悪循環から抜け出せた人は、きっと本当の自由を手に入れることができるのでしょう。
あなたの本当の価値を充実させれば、貯金が1円もなくても、ホームレスであっても、冷蔵庫に何も入っていなくても、あなたは幸せになれるはずです。それでも、お金はないよりはあったほうがいいと考えて、幸せになるための資産運用をガイドしています。
https://finance.yahoo.co.jp/news/detail/20210214-00028640-argent-column

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300年前の海賊の遺骨が発見される。伝説の海賊サミュエル・ベラミーの可能性も

2021-02-15 | 先住民族関連
ハフポスト 2/14(日)
アメリカ・マサチューセッツ州の沖で発見された難破船・ウィダー号から、新たに海賊と見られる6人の骨が見つかった。
ウィダー海賊博物館によると、遺骨は「伝説の海賊」と呼ばれるサミュエル・ベラミーの部下だと考えられているが、ベラミー自身の可能性もある。
伝説の海賊、サミュエル・ベラミー
ベラミーはイギリスのイングランド出身で、多くの船を襲って富を手に入れたことから、最も裕福な海賊と呼ばれてきた。
ベラミーは1717年、ウィダー号に乗船中にマサチューセッツ州のコッド岬沖で消息を絶った。
そのウィダー号は1984年に、探検家のバリー・クリフォード氏によって発見され、調査が進められている。
クリフォード氏は今回の6人の遺骨発見について、「最新のテクノロジーで、身元を明らかにしたいと思っています。そして存在している可能性のある子孫と引き合わせたい」とボストンTV局のWHDHなどに語った。
見つかった遺骨は、コンクリーションと呼ばれる鉱物の塊に覆われているという。
海のロビンフッド
ニューイングランドの歴史を発信する「ニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティ」によると、ベラミーは「海のロビンフッド」と名乗り、クルーを「ロビンフッドの部下」と呼んでいた。
また「ブラック・サム」というニックネームでも呼ばれた。当時流行だった髪粉をつけたかつらではなく、黒髪を生やしていたことに由来するという。
さらに「ベラミーは海賊船をとても民主的に運営しており、自分の部下である奴隷や先住民族や船乗りたちを平等に扱った。そして重要な決定は投票で決めた」とニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティは説明する。
ウィダー号自体も、ベラミーが奪った奴隷船だ。
「ウィダー号の乗組員の3分の1がアフリカ出身でした。ベラミーらが奴隷船であるウィダー号を奪ったということから(彼らの行動を)全く新たな観点から見ることができます。伝説的なブラック・サムことサミュエル・ベラミーとその乗組員は、いわゆる文明社会より先に、民主主義を取り入れていたのです」とクリフォード氏は説明する。
ニューイングランド・ヒストリカル・ソサエティーによると、ベラミーらは53もの船を襲撃して最も裕福な海賊と言われたものの、捕虜を殺した記録はない。またベラミーの海賊の船長としてのキャリアは短く、1年ほどだった。
1984年にマサチューセッツ沖で見つかった時、装飾品からウィダー号だと識別された。見つかった装飾品には、船の鐘も含まれている。
今度こそ本人か
ウィダー号を調査する科学者たちは、2018年にも遺骨を発見している。
ピストルとコインを身につけていたことから、科学者たちは遺骨はベラミーのものではないかと考えたが、イギリスに住むベラミーの子孫のDNAと照らし合わせた結果、遺骨は別の乗組員のものだった。
研究者の一人キャシー・シャーマン氏は「あの時の遺骨は、地中海東岸とつながりのある男性のものでした。今回発見された遺骨で、ベラミーとのつながりが見つかるかもしれません」と、ベラミー本人の遺骨発見への期待を語った。
難破船が見つかった場所では新たな発見が続いており、そのほとんどは、ウィダー海賊博物館に展示されている。
博物館のウェブサイトには「難破した時、ウィダー号には、ベラミーらが50もの船から略奪した貴重な品々が積まれていました。そのためウィダー号のコレクションは、18世紀の様々な文化の前例なき代表となるでしょう」と書かれている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a8189233dc61bceddfc8ad39c3c7c3ac29326ce7

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震災10年「防潮堤に頼らない」を選んだ二つの街 被災前の砂浜を取り戻した地域も

2021-02-15 | アイヌ民族関連
アエラ 2/14(日)
 東日本大震災後に多くの地域で防潮堤が築かれたが、地域の景観や自然環境を壊すなど、問題も多い。一方で、防潮堤だけに頼らない選択肢をとることで環境を守った地域もある。AERA 2021年2月15日号の記事を紹介する。
 静かな入り江には、小型の船が並ぶ。
 岩手県釜石市の南、唐丹湾にある花露辺(けろべ)漁港。地名の語源といわれるアイヌ語の「ケロッペ」=「おだやかな里」そのままの光景が目に映る。
 谷間にへばりつくように広がる68軒の集落を10年前に襲った津波では、1人が亡くなり、25世帯が全半壊、64隻の船はほぼ全滅した。
 花露辺の集落に、もともと防潮堤はなかった。震災当時の町内会長だった下村恵寿さん(71)によると、震災後は防潮堤を求める意見が多かったので市に要望した。県が示した計画は、高さが14.5メートルもある高い防潮堤だった。
「海が見えるのか」「ワカメの作業場はどうなる」。異論が相次いだため、高台移転と避難路を作る、との代案を県に申し出て、合意に至った。その後、域外に避難していた人たちが戻ってきた。「防潮堤計画がそのままだったらどうだったか」と下村さん。
 震災以来、防潮堤の建設現場を歩いてきた東京都立大学の横山勝英教授(環境水理学)によれば、大半の地域は行政が説明会で示した図面を原案通り了承したという。被災した居住区域で防潮堤が建設されなかったのは2カ所だけ。先の花露辺と、もう一つが宮城県気仙沼市の舞根(もうね)地区だ。ともに、小さな集落で、自治会の強いリーダーシップで、住民の意見を集約できた点が共通している、と言う。
 舞根は、気仙沼湾の奥まった入り江にある漁村だ。52軒中44軒が流された。集落は2012年春に高台移転を決め、住民の総意で、景観をそこなう高さ9.9メートルの防潮堤は不要とした。
 舞根はNPO法人「森は海の恋人」の拠点で、震災前から大学教授らが生態系を守る運動で出入りしている。震災後にできた湿地で新たな研究も始まった。先の横山教授は、「防災と環境はどちらが大切か、という旧来の考え方でなく、両立できる道が、こうした現場には見えるのではないか」と言う。
 気仙沼市の南にある大谷海岸は防潮堤をセットバックして、背後の国道と一体化させ、被災前の広い砂浜を再現。今夏の完成を目指す。住民運動を進めるうちに市議になった三浦友幸さん(40)が言う。
「地域の中には、防潮堤に対する賛成も反対もありましたが、これを砂浜を守る運動に一本化して、具体的な代替案作りにつなげたことが、結果に結びつきました」
(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)
※AERA 2021年2月15日号
https://news.yahoo.co.jp/articles/8f70abdee5a47ac0ac2fcd3764a7205caab7f89d

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