先住民族関連ニュース

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丸木舟2隻を原形のまま発見 苫小牧の海岸 アイヌ民族が交易に使用?

2021-03-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/27 05:00

 【苫小牧】苫小牧市勇払地区の海岸で1月から2月にかけ、アイヌ民族がかつて交易などに使っていた丸木舟に似た形状の舟2隻が、見つかっていたことが分かった。いずれも一部に破損があるが、ほぼ原形をとどめているという。市美術博物館によると、丸木舟による交易は1600年代から明治期まで行われており、「丸木舟が形状を維持した状態で発見されるのは珍しい」と説明。同館は今後、建造方法や年代などの詳しい調査を進めていく。
 丸木舟は1月末、同市勇払の弁天海岸で、散歩中の市民が1隻が浜辺に打ち上がっているのを発見。情報提供を受けた同館職員らが2月上旬に海岸を訪れ、約1・3キロ離れた場所でさらに別の1隻を確認した。
 最初に発見された丸木舟は、長さ6・1メートル、幅64センチ、高さ22センチで、別の1隻は、長さ約4・1メートル、幅45センチ、高さ10センチ。いずれも舷側に波よけの板を取り付けるための穴が開いており、アイヌ民族が外洋の航海に使った「板綴舟(いたつづりぶね)(イタオマチプ)」とみられる。1隻目は大きな破損はなく、2隻目は右舷側(げんそく)やへさきに破損が見られるが、形状は保っているという。
 苫小牧市内では1966年にも勇払川河岸で5隻が発掘され、道の有形文化財に指定されている。今後は、市美術博物館がアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)の国立アイヌ民族博物館と協力し、詳しい調査を進める。市美術博物館の武田正哉館長は「苫小牧がアイヌ民族の交通の要衝であったことを裏付ける貴重な史料になる」と話している。(木村みなみ)
※「イタオマチプ」の「プ」は小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/526401

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アイヌの丸木舟、55年ぶり発見 弁天の海岸に2隻、貴重な文化財

2021-03-28 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2021.03.27
 苫小牧市教育委員会(市教委)は26日、アイヌが航海や漁業に用いたイタオマチプ(板つづり舟)とみられる2隻が、市内弁天の海岸で見つかったと発表した。板つづり舟は波除けの板を縄でとじて取り付けた丸木舟。1965年に旧勇払川古川の河畔(市内沼ノ端)で見つかり、66年7月に発掘された道指定有形文化財「アイヌ丸木舟および推進具」以来、55年ぶりの発見となった。
 市役所第2庁舎内で開かれた第3回定例市教委会議で、市美術博物館の武田正哉館長が発表した。
 同館によると、舟は今年1月27日、流木を拾いに来た地域住民の男性が発見。連絡を受けた同館職員が2月7日、土の上に置かれているような状態を確認した。この時、現地にいた市民から東に1・3キロ地点にも舟があるとの情報を受け、2隻目も確認した。
 最初に発見されたのは全長610センチ、幅64センチ、高さ22センチ。船べりの一部が損壊している以外は完全な状態で「船尾の両舷に穴が開けられている特徴からアイヌの板つづり舟と推測できる」(武田館長)とした。
 2隻目は全長413センチ、幅45センチ、高さ10センチ。破損が進み、右舷側と船首が欠けているが、1隻目と同じ特徴が見られる。
 年代は不明。1隻目から採取した木片の年代測定を実施しており、正確に把握するには少なくとも2カ月かかる。2月11日、確認のため現地に来た国立アイヌ民族博物館の佐々木史郎館長らに簡易的な保護と年代測定を依頼したという。推進具(かい)は見つかっていない。現在は2隻とも勇武津資料館敷地内に一時保管されている。
 市教委は、29日の文化財保護審議会と6月の市議会文教経済委員会でも報告を予定している。
 元市博物館の館長で、66年の丸木舟発掘に直接関わったこともある佐藤一夫さん(80)=山手町=も今回の舟を板つづり舟と推定。「ほぼ完全な状態で見つかっており、半世紀前の丸木舟と同様の貴重な発見だ」と強調した上で、「文化財として申し分なく、市を挙げて大切に保存すべき」と話した。
 苫小牧アイヌ協会の作田悟会長(73)は「丸木舟の姿を思うとき、先人の知恵と生きる強さ、苦労に頭が下がる。どうか大切に保存してほしい」とコメントを寄せた。

今回の2隻と1965年に見つかった丸木舟の位置関係図
http://www.hokkaido-nl.jp/article/21212

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TVの人権意識、大丈夫? 女性蔑視CM/アイヌ差別表現 識者に聞く

2021-03-28 | アイヌ民族関連
東京新聞 2021年3月27日 07時25分
 今月、テレビ局の人権意識が問われる事態が相次いで起きた。日本テレビでは情報番組でアイヌ民族の人たちを傷つける言い回しがあり、大きな問題となった。テレビ朝日でも看板番組の「報道ステーション」のウェブCMが「女性蔑視」などの批判を受け、CMを取り下げた。いずれも生放送中の「事故」ではなく防げたはずだが、局側の「無知」や「想像力の欠如」により起きてしまった。波紋が広がるメディアの問題。識者や番組制作者はどう見るのか。 (聞き手・鈴木学)
◆継承せずメディア全体の問題
元札幌テレビ、日本テレビディレクター 水島宏明・上智大教授(テレビ報道論)
 アイヌ民族を巡ってタレントが発した今回の言葉の問題は、アイヌ初の国会議員となった萱野(かやの)茂さん(元参院議員、一九二六〜二〇〇六年)を知る人にとっては、当然の認識(萱野さんは「アイヌ文化振興法」の制定に尽力するなど、アイヌ文化の継承に努めた)。あれを放送するなどあり得ない。ただ、こういう問題が起きるたびに「テレビの人権意識はどうなっているんだ」となるが、テレビ局の人権意識が低下しているかといえば、そうではないと思う。
 あの発言が問題だとどれだけの日本人が知っているかといえば、知らない人の方が多いのではないか。新聞記者にも知らない人はいるだろう。社内での教育の問題になるのだと思う。
 そもそもアイヌ民族の問題自体があまり報じられない。差別問題があることをきちんと報道しなければいけないのに、報道されないことで差別そのものがないものだと、何となく思ってしまっていることが問題なのではないか。
 報道で扱わず、世代間で継承もされていない。その状況でこういう事態を時々生み出してしまっていることは新聞もテレビも含め、メディア全体の問題でもあると感じている。 (談)
<日テレ番組のアイヌ民族差別表現> 問題となったのは12日放送の情報番組「スッキリ」での動画配信サービスの作品紹介コーナー。アイヌ女性をテーマにしたドキュメンタリー作品を紹介後、お笑いタレントの脳みそ夫が「この作品とかけまして動物を見つけたととく。その心は、あ、犬」と発言した。この部分は事前の収録だった。
 日テレは同日午後「この表現が差別に当たるという認識が担当者に不十分だった。アイヌ民族の方々を傷つける不適切な表現」、脳みそ夫も後日「勉強不足」と謝罪した。政府は同局に抗議し、小杉善信社長は22日の定例会見で陳謝の上、全社的な勉強会などの再発防止策を示した。
◆教育できず現場が劣化 
番組制作会社「テレビマンユニオン」・津田環(つだ・たまき)プロデューサー
 「報ステ」のウェブCMは、初見では何が言いたいのか分からなかった。例えば、「ジェンダー平等は時代遅れ」のくだり。差別がなくなった印象だけど、「逆張り」にしてもこの国の状況で?という感じ。理解が足りないのは、アイヌ民族の問題と同じだ。そのすぐ後の化粧水の話も脈絡がなく、「女は話が飛ぶもの」とでも言いたかったのか。
 意図も分からず、風刺とも違う。「女性はこんな感じでしょう」と見下した感じが根本的にまずい。報ステのCMともなれば上層部も知っていたはずだが、よく通ったと思う。
 来週からテレビ東京の経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト(WBS)」が報ステとほぼ同じ時間帯(月−木曜午後十時、金曜は同十一時)になる。意見を言える大江麻理子キャスターは、女性からの支持も割と高い。それに対し、(報ステが)女性に見てほしいという意図があっても、このCMで女性の気持ちに寄せたと思ったのなら、その感覚はおかしい。
 局やスタッフの問題意識などの低下はあると思う。人員が少なく教育の時間もない。構造的な問題で、特に現場の劣化は激しい印象。今後も起こり得るのではないか。 (談)
<「報道ステーション」ウェブCM> 帰宅した若い女性が「会社の先輩、産休明けて赤ちゃん連れてきてたんだけど、すっごいかわいくって。どっかの政治家が『ジェンダー平等』とかってスローガン的に掲げてる時点で、何それ、時代遅れって感じ」と誰かに話しかけるようなタッチ。続けて、いい化粧水を買った話から「消費税高くなったよね。国の借金って減ってないよね?」と語ると、「こいつ報ステみてるな」の文字が出てくる。
 配信されると「若者や女性を無知枠に当てはめている」など批判が噴出。テレ朝は24日、きちんと意図を伝えられなかったなどとして、謝罪のコメントとともにCMを取り下げた。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/94098

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映画『狼をさがして』:韓国のドキュメンタリー監督が描く、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争とその後

2021-03-28 | アイヌ民族関連
ニッポンドットコム 3/27(土) 10:40
1974年、400人近い死傷者を出した三菱重工爆破事件の犯行グループ「東アジア反日武装戦線“狼”」。その周辺を追った韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が日本にやってきた。この作品を通じて、現代社会に何を語りかけようとしたのか、キム・ミレ監督に聞いた。
連続企業爆破事件の犯行グループ
東アジア反日武装戦線は、1970年代前半、「日本帝国主義」の打倒を掲げ、無差別爆弾テロを行った日本の武装集団である。組織というよりは、“狼”、“大地の牙”、“さそり”といった名前を持つ小グループが、共通の「反日思想」で結びついていた形態のようだ。その思想は、爆弾の製造法や非合法活動の心得などとともに『腹腹時計』(「都市ゲリラ兵士読本VOL.1」)なる小冊子にまとめられ、74年3月に地下出版された。
これを執筆したのが、“狼”のメンバーで三菱重工爆破事件の主犯格として逮捕され、死刑判決を受けた大道寺将司である。48年、北海道・釧路に生まれた大道寺は、アイヌ居住区の近くで育ち、差別を目の当たりにしたことで早くから政治意識に目覚め、高校生で数々のデモに参加した。その後、法政大学に入学して学生運動に本格的に取り組みながら、思想を急進化させていった。
出発点には、強烈な自己否定がある。自身を「アイヌモシリ(アイヌ語で人間の大地)を侵略した植民者の末裔」と認め、その贖罪意識から「日本帝国主義の本国人」に対する武装闘争の意義を確信していく。具体的なターゲットは、敗戦後に急速な復興を成し遂げた日本経済の中枢。朝鮮戦争、ベトナム戦争を機にアジア進出を拡大していた旧財閥系企業や大手ゼネコンだ。
大道寺らのグループ“狼”は74年8月30日、三菱重工業東京本社ビルに時限爆弾を仕掛け、爆発により8人が死亡、376人が重軽傷を負う大惨事を引き起こした。東アジア反日武装戦線の各部隊はその後も、主要メンバー7人が一斉逮捕される翌年5月まで、およそ8カ月間に9件の爆弾テロを実行した。
それから半世紀近くが経ったとはいえ、企業の連続爆破という重大性や、いまなおメンバー3人が手配中(うち2人は人質事件を起こした日本赤軍の要求で、超法規的措置により釈放され、国外に逃亡)であることを考えれば、もっと語り継がれてもいいはずだが、ともすると昔の出来事として忘れられている感も否めない。
ドヤ街での発見
そんな中、これに注目したのが韓国人のドキュメンタリー映像作家、キム・ミレだ。韓国の観客に届けることを想定して、東アジア反日武装戦線の思想が生まれた背景とその後を追いかけた。日本の観客にとっては、やや特異ともいえる視点から出来事を見直す機会になる。
「韓国には、大企業が東南アジアに進出して、現地の労働力を搾取しているという深刻な問題があります。国内でも食堂や農家などで外国人を安い労働力として使っていて、彼らがいなければ経済が回らないほどです。時代が変わっても、東アジア反日武装戦線が過去に投げかけた問題提起と共通するものがあるのではないかと思い、韓国社会に向けて、これを伝えたいと思いました」
とはいえ、監督が東アジア反日武装戦線について知ったのは、2000年代前半、大阪の釜ヶ崎を訪れ、日本における日雇労働者の実態を取材したときだった。
「最初は、労働運動のドキュメンタリーを撮ろうと思っていました。父の仕事に関心を持ったのがきっかけです。私の父は、建設作業員でした。韓国の建設現場は、日本の植民地時代から2000年に至るまで正規職がなく、誰もが日雇労働者だったのです。過去の労働運動について取材をしていくと、50~60年代に盛んだった運動が70年代に入って下降気味になった一方で、社会の変革を求めて武装闘争に身を投じる人もいたと聞きました」
釜ヶ崎には、使い捨てにされ、死んでいった仲間たちの無念を胸に刻み、資本家や警察に敵対する活動家たちがいた。キム監督が東アジア反日武装戦線の名前を耳にしたのは彼らを通じてだった。
爆弾魔を生んだ時代と土地
主要メンバーの大道寺将司も、釜ヶ崎で1年間暮らしたことがあるのを知った。彼は高校卒業後、大阪に出て大学受験に失敗すると、翌年に上京するまで、この労働者の街に居ついたのだった。
「彼が20歳になった60年代末、世界的に若者たちの間で社会運動の機運が高まっていました。それに加えて、彼には北海道に生まれ育ったというきっかけもあった。釜ヶ崎で過ごす間、どうしたら社会の変革が可能かという問いを突き詰めていったのでしょう。人が若い時にどういう時代を生きたかということは、その後の人生への影響を考える上で非常に重要です」
キム監督も釜ヶ崎を何度も訪れ、合計すると3、4カ月ほど過ごしたという。日本社会を労働者の視点で眺めるとともに、大道寺が生きた時間をさかのぼるように、生まれ故郷の釧路を訪ねてもみた。
「彼がなぜ自分を侵略者の末裔だと考えるに至ったか、それを知りたくて北海道に行きました。アイヌモシリの痕跡は北海道の至るところにありました。地名も、生活様式も残っています。彼らの土地が奪われただけでなく、いまでも差別されて、貧しい生活を送っている人々がいる。これは現代につながる問題でもあります。もし自分が北海道に生まれていたら、大道寺さんと同じような考えを持ったかもしれない。いろいろと理解できた部分があって、それがまさにこの映画作りの原動力となりました」
狼のその後
大道寺将司は本作撮影中の2017年、多発性骨髄腫により収監中の東京拘置所で亡くなった。キム監督が直接会うことは叶わなかったが、拘置所の待合室まで面会者についていき、そこから彼の胸中に思いをはせたこともある。
「獄中で何を思って日々過ごしていたのだろうかと。重い病に冒されながら俳句を詠んでいた彼の心情を、彼の立場になって考え、探っていきました。彼は爆破によって犠牲者を出した過去を何度も思い返し、反省しています。直接の対面はできませんでしたが、そういう人間的な大道寺将司に出会うことができたという実感はあります」
本人に会えなかった代わりに、彼を知る多くの支援者たちと接し、話を聞いている。彼の友人たちは、ほう助罪で投獄されたり、公安から執拗にマークされたりしながらも、支援活動を通じて真の仲間たちに出会い、心の通った付き合いを得たことに幸せを感じていると口をそろえる。
「私は彼らが40年以上にわたってずっと支援を続けていることに驚きました。受刑者の苦しみに寄り添うのを当然のことと考えている。尊敬に値する人々だと思います。韓国のように大勢集まって大規模に行う運動と違い、こうした支援活動のように長い地道な運動もあるのだなと、新たな視点を与えられました。支援者の大半は、爆弾テロという手段は間違っていたと考えていますが、問題を提起したことには共感しています。それによって提起されたのは自分たちの問題だととらえ、その思いを支援という形で実行し、それが人生の一部になっている。そこに感銘を受けます」
韓国人が活動家に抱く共感
大道寺は獄死したが、“大地の牙”のメンバーだった浴田(えきた)由紀子はその2カ月前、20年の刑期を終えて釈放された。支援者たちと再会を喜ぶ姿が、本作に収められている。“大地の牙”が実行した爆破事件で死者は出ていない。浴田は1975年の逮捕後、77年の日航機ハイジャック事件で、日本赤軍の釈放要求を受け、大道寺の妻・あや子とともに超法規的措置で国外に逃亡した。その後95年にルーマニアで再び身柄を拘束され、日本で収監されていた。
「浴田さんとは釈放前から手紙のやりとりをしていました。彼女は韓国に大きな関心を持っていて、70年代初めに旅行したこともあります。民主化運動に連帯する意識があったそうです。それを聞いて親しみを抱いていました。釈放されて実際に会ってみると、思っていた以上に活動家らしい印象でした。彼女は日本以外にパレスチナなどでも活動してきた経験があるので、その言葉はとても重要だと考えます」
80年代に学生だったキム監督も、軍事独裁政権に終止符を打って民主化を実現した1987年の市民運動に参加しただけに、運動によって社会を変えられると信じる浴田への共感はとりわけ強い。キム監督は、浴田が2002年の裁判で被告人として読み上げた最終意見陳述を、反日武装闘争の「総括」として重く受け止め、本人が朗読した一節を映画の中に再録している。
「東アジア武装戦線の戦いに最も欠けていたのは、いま現在から革命後の社会を、物的に、人的に、思想的に、あらゆる領域から作っていく創造の戦いとして考え、実践することだった(…)。敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て、作り出す戦い方をしたい。それは『もう誰も死なさない革命』でもあるはずです」(浴田由紀子)
=文中敬称略=
取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
【作品情報】
(c)Gaam Pictures
監督・プロデューサー:キム・ミレ
出演:太田 昌国、大道寺 ちはる、池田 浩士、荒井 まり子、荒井 智子、浴田 由紀子、内田 雅敏、宇賀神 寿一、友野 重雄、実方 藤男、中野 英幸、藤田 卓也、平野 良子ほか
企画:藤井 たけし、キム・ミレ 
撮影:パク・ホンヨル 
編集:イ・ウンス 
音楽:パク・ヒョンユ
配給・宣伝:太秦
製作年:2020年/製作国:韓国/上映時間:74分
3月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
【Profile】
キム・ミレ KIM Mi-re
1964年、韓国生まれ。韓国外国語大学ドイツ語専攻を卒業後、韓国独立協会の運営委員を務める。2000年頃から韓国と日本の労働運動や人権問題に焦点を当てたドキュメンタリー制作を始める。初の長編作品We are Workers or Not (03)はフリブール国際映画祭でドキュメンタリー賞を受賞。その後、日本の日雇労働者を描いた『土方』(05)でソウル人権映画祭人権映画賞を受賞。2007年に韓国で起きた女性労働者の占拠運動を描いた『外泊』(09)は山形国際ドキュメンタリー映画祭のアジア千波万波部門特別招待作品に選出された。SANDA: Surviving (14)では韓国のDMZ国際ドキュメンタリー映画祭で最優秀韓国ドキュメンタリー賞を受賞している。
【Profile】
松本 卓也(ニッポンドットコム)MATSUMOTO Takuya
ニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。映画とフランス語を担当。1995年から2010年までフランスで過ごす。翻訳会社勤務を経て、在仏日本人向けフリーペーパー「フランス雑波(ざっぱ)」の副編集長、次いで「ボンズ~ル」の編集長を務める。2011年7月より現職。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c2de1290795eabece913c6c3f192a01377584aee

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