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洞爺湖町にアイヌ文化伝承施設が完成 4月1日オープン

2021-03-31 | アイヌ民族関連
NHK 03月30日 18時49分
アイヌの伝統儀式や文化を発信する新たな施設が胆振の洞爺湖町に完成し、30日、記念の式典が開かれました。
洞爺湖町が国の交付金を活用して建設した施設は、アイヌ語で「ともに、一緒に」を意味する「ウトゥラノ」と名付けられました。
4月1日のオープンを前に、30日、記念の式典が開かれ、町や地元のアイヌ協会の人たちなどおよそ50人が出席しました。
式典では真屋敏春町長が「今後、幅広い世代の人々が気楽に立ち寄り、アイヌ文化に触れる施設になってほしい」とあいさつし、出席者がテープカットをして完成を祝いました。
施設は木造平屋建てで、神々に祈りをささげる儀式「カムイノミ」などを室内で行えるように炉が設置された専用のスペースが設けられています。
また、伝統的な衣服や儀礼用の道具などおよそ30点が展示され、アイヌ文様の刺しゅうや木彫りを体験できる催しも開かれる予定だということです。
洞爺湖アイヌ協会の藤野満裕会長は「私たちの要望を取り入れて作っていただきありがたい。アイヌに対する人権侵害やいじめなどを根本からなくしていく施設として活用したい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210330/7000032363.html

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<伸びゆく君へ>今、ここでしかできないことを 道立三岸好太郎美術館副館長・五十嵐聡美さん

2021-03-31 | アイヌ民族関連
北海道新聞 03/30 05:00
 江戸時代から明治にかけ、和人絵師がアイヌ民族の文化や風俗を描いた「アイヌ絵」。ありのままに描かれたとはいえないこの分野の作品に、学芸員としての初任地函館で偶然出合い、研究の第一人者となった。制作の意図を読み解き、ユーモアを交え分かりやすく著書、新聞などで発信する。
 アイヌ絵は発見が多い。どうして描かれたのか、誰が描いたのか、誰が見ていたのか。歴史を調べ、違った方向から掘り下げると、うそが何重にもあったり、隠された意図があったりして、絵の見え方が変わり、丁寧に読み込めば真実と思われるところに触れる瞬間もあります。例えばアイヌ民族の蜂起後、松前藩家老が描き、将軍家にも披露された「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」。豪華な衣装を身に着けたアイヌ民族の指導者が描かれ、松前藩による蝦夷地(えぞち)支配を印象づけようとしたとみられます。ただ、指導者の顔には生気がなく、描き手は連行された指導者の苦渋の表情を見たのかもしれません。そんな発見が、もっと勉強したいという原動力になります。
 幼い頃から本を読むことが好きだった。それが、今の仕事につながっているかもしれないと思う。
 家に本があったのがよかったのかもしれません。幼稚園の時に引っ越しをして、幼なじみと離れ離れに。周りには一緒に遊ぶ友だちもいなくて、本を読むようになりました。何が幸いするか分かりません。絵を描くことも、絵本を見るのも好きでした。絵本の絵を研究し、この絵本とあの絵本は同じ人が描いているとか、この人の絵は好きだとか考えていました。
 絵が大好きで、良しあしが分かるようになりたいと、美術館学芸員の道に。
 現場にいて絵を実際に見ていれば、体で分かる気がしていましたが、そんなものではなく難しいです。展覧会などのために、さまざまな分野の美術を勉強しますが、どんな分野のものもおもしろい。古代エジプト展などの文明物、ムーミン展などのキャラクター物も手がけましたし、日本美術展、西洋美術展にも携わりましたが、どれもおもしろかったです。ドラマがあるからですね。新しい物には生々しい生きたドラマがあり、古い物にはドラマを想像する楽しみがあります。三岸好太郎美術館で6月に予定している好太郎と妻節子の展覧会にも、愛憎渦巻くドラマがあります。
 15年前に勤務した釧路芸術館ではマスコット「かもめのももちゃん」、キャラクター「カモメンジャー」を考案。ももちゃんは名前を冠した芸術祭が開かれ、カモメンジャーは劇団のショーとなり子どもたちを芸術館へ誘った。
 子どもの頃に、美術館という場所に親しんでもらい、記憶が残ればいいと思いました。大人になって子どもを連れて美術館に来てくれれば、という種まきくらいのつもりでした。マスコットやキャラクターは考えていて楽しかったです。美術館に行くのを趣味にするのはいいですよ。世界中にありますし、安全ですから。旅先で訪ねればその土地の文化が分かります。小さな美術館に行くと、有名な絵はないかもしれませんが、地元に近づいた感じがします。
 中高生には「今しか ここでしか あなたにしか できないことを」の言葉を贈る。
 ほかの人では、あなたの代わりになりません。「あなたにしか できないことを」は、駆け出しの学芸員で仕事を抱え込んでいたとき、上司に言われました。多彩な学芸員と一緒に働く中で、いま私もこの言葉を使っています。江差に行ったら江差追分を習うとか、その場所にいるときにしか、できないこともあります。そしてやっぱり、若いときに始めた方が習得できて花開くことはあると思います。(聞き手・嘉指博行)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/527208

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差別は今もある 日テレアイヌ問題で広がる波紋

2021-03-31 | アイヌ民族関連
十勝毎日新聞 2021/03/30 13:30
 日本テレビの情報番組でアイヌ民族への差別表現が放送され、全国的に波紋を呼んだ問題では、十勝の関係者からも憤りや再発防止を求める声が上がっている。専門家の調査では帯広は全道的にも差別体験が多い地域とされ、多くの人々が傷ついてきた歴史がある。アイヌ文化振興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が昨年オープンするなどアイヌ文化の広がりが見られる中で起きた差別問題に、管内の関係者は文化だけでなく、歴史...
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https://kachimai.jp/article/index.php?no=202133094226

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東京・目白に風景写真家・竹内敏信の記念館がオープン 写真展も開催

2021-03-31 | アイヌ民族関連
AERA dot 2021/03/30 18:00
撮影:竹内敏信(AERA dot.)
 4月1日、東京・目白に竹内敏信記念館がオープンする。ギャラリーと資料室が併設され、開館に合わせて写真展「天地聲聞 春夏編」も開催する。記念館の運営を行う竹内敏信記念財団の竹内昭子理事長に聞いた。
「ふつう、記念館というと、亡くなった方の業績をたたえるためにつくりますが、竹内(敏信)が生きているうちに20万点以上あるフィルムや資料などをきちん継承するかたちをつくりたいと、ずっと思ってきたんです」
 長年、竹内敏信さんは風景写真を通じて日本の自然の魅力を多くの人々に伝えてきたが、2007年に脳内出血で倒れ、いまも闘病中だ。
 車いすの生活にはなったが、写真に対する情熱は失わず、時折、近県まで撮影に出かける。言葉をうまく話すこともできないが、今回のインタビューにはぜひ同席したいと申し出があり、すぐ隣で耳を傾けた。
写真事務所を記念館として改装し、運営の財団設立を思い立った
 昭子理事長によると、記念館をつくる構想は20年以上前からあり、北海道帯広市や愛知県東栄町に設立の動きは持ち上がったものの、うまくいかなかったという。
 その後、プリントした作品はすべて岡崎市美術館に、カメラコレクションは名古屋学芸大学にそれぞれ収蔵された。
 問題は残されたポジフィルムの保存だった。これは竹内さんだけでなく、多くの写真家が直面している問題で、適切な管理が行われないために劣化が進み、破棄されるケースもあるという。
 私自身、ある著名な写真家の遺族からフィルムを貸し出された際、あまりにみすぼらしい保存状態に愕然としたことがある。
 劣化を防ぐため、フィルムをスキャンしてデジタルデータ化して保存する方法もあるが、「竹内はデータ化にはすごく反対していました。どんどん変わっていく記録メディアに対応していかなければならないし、瞬時に消えてしまう可能性を懸念していました」。
 それまで昭子さんは外部にフィルムの受け入れ先を探してきたが、「全面的に発想転換」したのは昨年秋のこと。写真事務所として使ってきた建物を記念館に改装し、それを運営するための財団を設立すること思い立った。昨年末に大手術をしたことが背中を押したという。
「もしものことがあったら竹内を残して、このフィルムはどうするんだろうと。でも、財団が維持していけば、無事だろうと思いました。それで、急いでやらなきゃ、という感じになったんです」
「実は私が関わっている財団がいくつかありまして、その一つが日本伝統文化振興財団。例えば、人々の記憶から消えかかっているアイヌや沖縄の音楽、なくなってしまった会社の古いレコードなどをアーカイブ化している。そういう話を聞かされてきたものですから、『ああ、いま私がしたいのはそれだ』と思ったんです」
「いまの私があるのは先生のおかげなんですよ」と、言ってくださる方が多かった
 インタビューを行った1階はちょうど資料室に改装中で、膨大なフィルムの保管棚が並ぶほか、長年収集した写真雑誌や写真集が置かれる。3階には「TAギャラリー」が設けられる。
「竹内だけでなく、広く風景写真を撮っている方たちと一緒に日本の美しい自然を残していこうということなんです」と、記念館を軸とした活動の理念を語る。
 財団が掲げるのは「写真文化の向上と発展」「写真表現作品の存続保持」「写真文化後継者の発掘育成と顕彰」「教育支援」など。今後の活動資金は賛助会員の会費によってまかなわれ、事業内容は「理事会で決定される。ですから、これからは私の発想ではなくなるわけです」。
 私が特に興味を持ったのは、教育支援の一環として行われる撮影会と講評会(詳細はホームページ参照)。
「竹内はこれまでアマチュアの方の指導をたくさんしてきました。こんなに忙しいのだからやらなくてもいいんじゃない、と思うほどでした。それなのに引き受けて。しかも、終わってからみんなで飲みに行く。どこへ行ってもいちばん最後までつき合って、それで体を壊してしまった」
 私も竹内さんが倒れる直前までその姿を間近に見てきたので、胸が痛い。
「竹内はその人が夢中になるというか、人生の軸にできるものを写真のなかに見出せるように教えるのがとても上手なんですよ。ほかの人にはない、いいものをそれぞれに見つけてあげる。すごいなあ、と思っていました。『いまの私があるのは先生のおかげなんですよ』と、言ってくださる方も多かった。そういうことを反映していきたい」
「もっと自然のなかに入り込むことで、こんなに撮れるんだ」
 開館と合わせてTAギャラリーで開催される「天地聲聞 春夏編」展について、古市智之副館長はこう語る。
「竹内はもともと『花祭』『汚染海域』とか、ドキュメンタリーを撮影していたんです。この『天地聲聞』の発表(キヤノンカレンダー、84年)によって、風景写真を写していることを世間に知らしめた」
 古市さんが初めて「天地聲聞」を目にしたのは高校時代だった。
「この作品を月刊『カメラマン』のグラビアで見たとき、衝撃を受けたんです。『ああ、これも風景写真なんだ』と。そのとき、竹内敏信という作家を知った。いつかこの人に教わりたいな、と思いました。それで専門学校に入学して、先生に教わって、そのまま事務所に入ったんです。くすぐったいでしょ、このへんが(笑)」。
 古市さんの手が竹内さんの肩に触れる。竹内さんも笑っている。(何も言わないけれど、ちゃんと話は伝わっているんだなあ)。そう思うと、こちらもうれしくなる。古市さんは話を続ける。
「それまではアンセル・アダムズの作品とか、大判カメラで精密に撮ったものが風景写真だと思っていたんです。それが、35ミリ判で風景を撮ったらこんなにすごいんだ、と。サロン調の風景写真じゃなくて、もっと自然のなかに入り込むことで、こんなに撮れるんだ、と。それを明らかにした作品だと思っています」
 私もあらためて「天地聲聞」を目にすると、竹内さんの風景写真の原点を見る思いがした。同名の写真集(出版芸術社)のあとがきにはこう書かれている。
<古代の人々は、この自然に何を見、何を感じとったのであろう。荒ぶる神々か、豊穣をもたらすやさしい神か……。そんな思いを抱きながらシャッターを切る>
 さらに、竹内さんはこうも言っている。
<僕のはどこでもいいんです、特定の風景じゃなくて。どこでもそういうキラッと光る瞬間があり、それを引き出すには35ミリが的確ということです>(同)
どんなきっかけで風景と出合おうと、それを作品にしてしまう貪欲さ
 誤解を恐れずに言えば、竹内さんは撮影地にまったく頓着しない人だった。琴線に触れる風景であれば、それが「裏の庭でも」よかった。
 そんな場所で撮る人はまずいない。私が昔、竹内さんの桜撮影に同行した際、満開の花を前にシャッターを切っていても、周囲にほかの人の姿を見ることはめったになかった。
<(大昔に)農民が田んぼを耕しながらふと見上げてみると、目の前の桜が満開だった。あっ、桜ってこんないいもんだったんだ、というものを写真で引き出したい>(同、カッコ内は筆者)
 竹内さんいわく、<大型カメラによる今までの風景写真というのは、特定の景観があって、景観を写し変える作業だった>(同)。
 その一方で、日本の風景写真を表現のレベルにまで押し上げた前田真三、岩宮武二、堀内初太郎、緑川洋一らの作品を明確に意識していた。
<自分自身の感情や思想のこもった風景を、35ミリを使って撮れないものかと模索をしていた>(同)
 展示作品の出だしは、<夏の北海道取材の帰りに東北上空で出会った雲。(中略)運良く乗り合わせた飛行機がこのような雄大な雲の中を通過してくれたのである>(同)。
 どんなきっかけで風景と出合おうと、それを作品にしてしまう貪欲さ。そこに竹内さんのすごさを感じる。
 今後、財団の活動の柱として写真教育に力を入れるのであれば、撮影だけでなく、座学にも力を入れてほしいと思う。風景以外のさまざまな作品を見ることで、写真を見る目を鍛える。そこから新しい風景写真が生まれてくる。そう願っている。(文・アサヒカメラ 米倉昭仁)
【MEMO】竹内敏信写真展「天地聲聞 春夏編」
竹内敏信記念館・TAギャラリー 4月1日〜4月28日

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「スッキリ」加藤浩次の首筋が寒すぎる…吉本興業は裏のTBS「ラヴィット!」に肩入れ

2021-03-31 | アイヌ民族関連
日刊ゲンダイ 2021/03/30 09:26
 ツキというツキからとことん見放されてしまったようだ。
 この3月をもってメインMCを務めていた二番組「スーパーサッカー」「この差って何ですか?」(ともにTBS系)が終了したばかりの加藤浩次(51)。今度は「スッキリ」(日テレ系)にも打ち切り話が飛び交い始めた。
「こればかりはタイミングと言うしかありませんね。すでに問題は番組全体ひいては日テレを巻き込む事態に発展してしまったからです」(キー局関係者)
 発端は「スッキリ」(3月12日OA)で、お笑い芸人の脳みそ夫(41)がHuluの番組を紹介するコーナーでアイヌ民族に対する差別的な発言を行ったこと。この問題に対し、日本テレビは即座に謝罪したものの話はどんどん拡大・炎上し、国までも巻き込む一大騒動に発展してしまった。
「窓口となっている北海道アイヌ協会と話し合いをしているが、いまだに調整がつきません。すでに『スッキリ』の某ナショナルクライアントはスポンサー降板を示唆しているそうです。騒動が落ち着かない場合、日テレ幹部の責任問題にも発展するでしょう。早めに『スッキリ』を閉じて負のイメージを払拭すべしとの声も多数、局内から上がっています」(編成関係者)
■「スッキリ」打ち切りに2つの事情
 今回、日テレサイドが「スッキリ」の打ち切りを視野に入れた背景には2つの事情があるという。
「一つは看板番組『24時間テレビ』を成功させるためです。アイヌ問題で話がこじれた場合、同番組に火の粉が振りかかってくるのは必定。そのために早めに『スッキリ』に関連し大型リニューアルという名の終了を発表すると言う案です」(前出の編成関係者)
 もう一つはメインMCである加藤が吉本興業から契約を解除され、大きな後ろ盾を失ったことだという。
「いまや加藤は個人事務所なので何のしがらみもないというわけです。しかも、今回の不祥事は北海道出身でありながらVTRを眺めていたMCである加藤にも責任の一端があるわけです」(放送作家)
 実際に、全くの偶然なのだが古巣の吉本興業による“加藤つぶし”としか思えないような事態が進行中だ。この4月から「スッキリ」の真裏で「ラヴィット!」(TBS系)がスタート。MCは麒麟の川島明(42)が起用される。さらに……。
■吉本若手の包囲網
「月曜日にロバート・馬場裕之、ぼる塾、本並健治&丸山桂里奈夫妻の3組。火曜日にはビビる大木、若槻千夏のほか隔週交代でミキと宮下草薙が出演。水曜日はアンタッチャブル・柴田英嗣、見取り図、矢田亜希子が登場する。さらに木曜日はNON STYLE・石田明、ニューヨーク、ギャル曽根。そして金曜日は野性爆弾・くっきー!、ジャングルポケット・太田博久&近藤千尋夫妻にEXITと東京ホテイソンが隔週交代と吉本興業が今が旬の芸人をキャスティングするなど全面協力しているんです」(制作関係者)
 仮に今回のアイヌ問題を切り抜けたとしても「スッキリ」の視聴率急落というピンチに瀕している加藤。首筋の寒い春である。
https://news.goo.ne.jp/article/nikkangendai/entertainment/nikkangendai-719370.html

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アイヌの歴史と今学びたい=パート・梅崎悦子・53

2021-03-31 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2021/3/31 東京朝刊
二十数年前に北海道を訪れた際、アイヌ初の国会議員、萱野茂さんの講演会を聴く機会があった。全く知識を持たない私の中に、アイヌ民族の言葉や文化、生き方などがスーッと入ってきたことを今も思い出す。
 先ごろ、アイヌの女性を主人公にしたドキュメンタリー「Future is MINE ―アイヌ、私の声―」を…
この記事は有料記事です。 残り237文字(全文394文字)
https://mainichi.jp/articles/20210331/ddm/005/070/003000c

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U-zhaan、環ROY、コムアイ、GOMAがアイヌのアーティストとセッション「ウタサ祭り」一挙公開

2021-03-31 | アイヌ民族関連
音楽ナタリー 2021年3月30日 18:00
2月13、14日にオンラインで行われた第2回「阿寒ユーカラ『ウタサ祭り』」より、U-zhaan、環ROY、コムアイ(水曜日のカンパネラ)、GOMAらが出演したライブセッションの映像がYouTubeで一挙公開された。

「ウタサ祭り」は昨年2月に北海道阿寒湖の氷上で初開催された、“アイヌ民族との新たな交流”をテーマに掲げるイベント。今年は無観客の阿寒湖アイヌシアター「イコロ」から生配信され、2月14日のライブセッションは延べ1万7000人に視聴された。
スペースシャワーTVの音楽映像アーカイブプロジェクト・DAXのYouTube公式チャンネルでは14日のライブ映像とともに、3月にスペースシャワーTVで放送されたドキュメンタリー番組も併せて公開されている。
https://natalie.mu/music/news/422418

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音で感じるアイヌ文化 新千歳空港にアート空間 伝統の語りやムックリ演奏

2021-03-31 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2021.03.30
「イマジンアイヌ」をテーマにしたアート作品
 文化庁は音を通してアイヌ文化を体験できるアート作品を、新千歳空港国内線ビル1階の到着出口付近に設置している。映像制作や空間演出を手掛けるクリエイティブカンパニー・ネイキッド(東京)が制作した箱形の装置で、テーマは「イマジンアイヌ」。中に入るとアイヌ伝統の歌唱や楽器演奏が流れ、アイヌ文化に触れることができる。
 同庁が進める文化発信プロジェクト「カルチャー・ゲート・トゥー・ジャパン」の一環。新千歳をはじめ羽田、成田、中部、関西、福岡、那覇の7空港に各地域でテーマの違う作品を展示。それぞれの地域を通して、多様な日本文化を発信する取り組みだ。
 「イマジンアイヌ」は面積16平方メートル、高さ2・7メートルの箱形で、アイヌ語の語りや歌、ムックリ(口琴)などの演奏を聞くことができる。文字を持たず、口伝えで神謡などを継承してきたアイヌの文化に触れる趣向で、白老町の民族共生象徴空間「ウポポイ」のスタッフらが朗読や歌唱、演奏を担う形で携わっている。
 ネイキッドの広報担当者は「アートを通じてアイヌ文化を知ってもらいたい」と話している。利用は無料。9月末まで展示する。
http://www.hokkaido-nl.jp/article/21240

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『キムチ,ドリアン,カルダモン,,,』JR東日本が新大久保で唱えるフードテック謎の呪文『キムチ,ドリアン,カルダモン,,,』JR東日本が新大久保で唱えるフードテック謎の呪文

2021-03-31 | アイヌ民族関連
ファンク 3/30(火) 19:30
世界700兆円産業になるフードテックの拠点として、新しいコミュニティスペースが新大久保の駅の真上に誕生した……と言っても、それだけでは意味が分からないので、順を追って説明しよう。
JR東日本が、山手線30駅に広げる『東京感動線』
この話の主役は、JR東日本だ。
街の未来は駅を中心に広がっていく。東急や西武など私鉄が田園都市線などさまざまな路線でやってきたことだし、もちろんJRも取り組んで来たことだ。しかし、日本の一番中心の環状線である山手線は、そのあまりの密集度と駅それぞれの意味の複雑さ重さから、そういう取り組みが見えてこなかった。
そんな中、JR東日本があらためて『東京感動線/TOKYO MOVING ROUND』として、山手線の30の駅を単なる移動や、消費の場所から、『多様な個性のまち・ひとが有機的に繋がることで感動体験ができる場所』に作り替えようとしている。たとえば、高田馬場に『本』がテーマのカフェを作るとか、体験予約サイト東京感動線×TABICAとか、高輪ゲートウェイ駅でトマトの苗を無料配布するとか(4月24日)、そんなプロジェクトが各駅で展開されている。
その中で新大久保の魅力は他にないボーダーレスな多国籍性と、食の街であること。
少し前のイメージでは、新大久保といえばコリアンタウンという感じだったが、その海外の人を受け入れる懐の広さと、コミュニティの豊かさから、今や世界中のいろんな国の人が集まる街になっている。取材前にちょっと散歩しただけでも、韓国料理はもちろん、四川、広東など中国各地、タイ、ベトナム、ネパール、インド、アメリカ、トルコ……など世界中の料理が楽しめる街になっていることを感じられた。街を歩いている人の人種もさまざま。異国情緒……というかまるで異国。
そんな、新大久保の特徴をさらに加速させ、未来の食の街として成長するキッカケになるようにと、駅ビルの3~4階に作られたのが、フードラボ『キムチ,ドリアン,カルダモン,,,』というわけだ。
ちなみに、施設名称は、『Kimuchi,Durian,Cardamom,,,』となっているが、正式にはこの後に『,,,Beans,Chicken,Okra,Sesame,Chive,Eel,Fennel,,』と99の食材の名前が続くらしい(笑)
階にはシェアダイニング、誰もが食べられるポップアップショップ
『K,D,C,,,』は、食の世界にイノベーションを起こすための『フードラボ』として機能する。おおまかに言うと、4階のコワーキングスペースで、戦略を練り、試作し、3階のシェアダイニングで実戦テストをするようなイメージだ。
施設3階は一般の人も入れるシェアダイニング。
3つの独立した厨房があり、そこに今後、短期間ごとに入れ替わる活用となる。つまり、新しい食のビジネスを始めたい人が、実験的にお店を作れるスペースというワケだ。
オープニング企画として5月いっぱいまでは、『エシカル』『SDG’s』『フードテック』『地域性』といった切り口でセレクトされたポップアップショップが展開される。
登場するのは、エシカルをテーマにした新しい餃子スタンド『Unknown Gyoza Stand』、シンプリスト=洗練ととらえたアイスクリームブランド『ice cream park』、全国のブランド卵を1個単位で選んで買える「幻の卵屋さん」を展開する『日本たまごかけごはん研究所』、専用アプリでトッピングを選んで注文する新しいスタイルのスパイスカレー専門店『TOKYO MIX CURRY』、被災により被害を受けた雄勝町から旬の海の幸をスペイン料理で提供する『MORIUMIUS』、食べる宝石「ミガキイチゴ」を使ったスイーツ専門店『いちびこ』、コロナ禍に始まった料理家や料理家達やケータラーのお総菜を届けるプロジェクト『Catering For Me !』など。
厨房にはご覧のように立派な設備が整っており、身ひとつで来ても料理ができるほど。こんな厨房が3組あり、さらにドリンクカウンター、見せる必要のない下ごしらえのためのバックヤードの厨房、洗い場などがある。
借り切って、食関連のイベントをすることも可能だ。
4階は『食のコワーキングスペース』
4階はもっと落ち着いた雰囲気になっており、食関連のコワーキングスペース。情報発信基地となっている。
コミュニティキッチンを持つ大きな広いフリーワークスペースの他、会議室が2つ、借り切れる2~6人用の個室、作業室、それに加えて製造許可を取得した厨房がある。
たとえば、食関係のミーティングをして、そのままその場で試作して打ち合わせをするとか、企業の製品開発プロジェクトに社外の人を招いて試食、打ち合わせをするとか、少量生産品であれば、そのまま厨房で製造するとか、そういうことが可能になっている。
フードテック系のベンチャー企業なら、そのままここに拠点を置くことができるだろうし、調理機器メーカーがさまざまなテストを行うのもいいだろう。利用料はコワーキングスペースとして厨房も使えて月額2万円は安いと思う。駅0分の立地だし。
フードテック系の新製品発表会などに使うのもいいだろう。これだけ、アクセスが良く(繰り返すようだが駅0分だ)、カッコよくて、厨房も付いている会場は他にないだろう。
また、インキュベーションの役割も担うことになっており、投資や販路などの紹介、3階のシェアダイニングを使ってのテストマーケティング、1階のNewDaysでの販売なども紹介される可能性があるという。
デモとして提供された料理を食べて感じた衝撃
さて、今日の発表会では、デモを兼ねて、我々取材者も食事をいただくことができた。
ご覧のようなオープンキッチンで調理されているのを見ながら食べられるのだから素晴らしい。
上のモニターには、手元の作業が投影され、さらにこれをオンラインに配信したりすることも可能な設備になっているという。料理イベントに最適だ。
本日は、『エシカル』『SDG’s』『フードテック』『地域性』などの観点から、アイヌ料理に新しい解釈を加えた『MODERN AINU』料理が提供された(おそらく、韓国、ベトナムなど特定の国の料理にしてキャラクターが固定されることを避けるとか、我々日本人のルーツに想いを寄せるとかいろいろ理由はあったのだと思う)。
いずれも新進気鋭の料理人、パティシエが、新大久保で長年アイヌ料理店を営む『ハルコロ』とコラボレーションして、創作した料理だという。
ウエルカムドリンクは、発行させたリンゴに、はちみつ、生クリーム、シナモンなどを加えたもの(写真下・右上)。これはフードレーベル『ツカノマフードコート』を立ち上げるフードプロデューサー/調香師の古谷知華さんによるもの。
続いて、表参道のフレンチの名店『レフェルヴェソンス』で6年間修業の後、サステナビリティに興味を持ちデンマークに渡って修業を積んだ料理人の白鳥翔大さんによる、氷下魚(こまい)、鹿肉ともち米、スグリなどによるちまき。帆立、ベーゼルナッツオイル、昆布、日本酒なども使われている。素朴だが濃厚な味で、昔の我々日本人はこういう料理を食べていたのではないかと想像させてくれる。
続いては古谷さんによって、どぶろくが供された。こちらは、黄蘗(きはだ)、カルダモンなどのスパイスが混ぜられ、不思議な味。黄蘗の柑橘系っぽい香りがこれまで体験したことのない感じ。広葉樹生い茂る風景をイメージさせてくれる。
白鳥さんによる、蕎麦の風合いあるクレープに巻かれているのは、なんと熊肉。ビールにつけ込み柔らかくし、アスパラ、行者大蒜、蕗の薹、蝦夷わさびなどが添えられてる。熊肉というともっとクセが強いものかと思ったが、うま味は濃いがクセはない、柔らかで食べやすいクレープだった。
最後のデザートは、さまざまな店舗で10年もの修業をしたのち『レフェルベソンス』で食材や食文化について学んだ佐川優さんによる、百合根のスープ。クルミ、ハスカップ、ローゼルなどの他、イモシト(アイヌ料理の団子)が使われている。個々にまったく違う素朴な木の実の味わいが、百合根のスープによって調和している。
今回、ご提供いただいた料理を食べ、料理とは単に腹を満たすだけのものではなく、食べることで、さまざまなインスピレーションを呼び覚まされて、そこに埋め込まれたメッセージを送り届けるものだということを感じた。
1000の言葉を重ねるより、料理が伝えるイメージは豊かだ。鹿や熊の肉、氷下魚、百合根、クルミ、松の実などの素朴な食材が、我々の先祖が狩猟採集民族だったの時代に食べていた食材に想いを馳せさせてくれる。黄蘗、蝦夷わさびなどの香りが、北の大地の人々の暮らしをイメージさせてくれる。
我々はすでに増え過ぎて、その頃の生活を取り戻すことはできないが、これ以上地球環境を痛めずに、調和して生きて行く必要があるのかもしれない。
おっとっと……料理なんて専門外なのに、うっかり語ってしまった(笑)そんな物思いにふけってしまう料理の力。
この『K,D,C,,,』はそんな料理の力を、山手線に、東京に、日本、そして世界に広げてくれる魔法の呪文になるのかもしれない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/310a27a11bcd86bc21d75cdfec70a32a2387d5db

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