北海道新聞 03/21 11:20
第一報を聞いて北大キャンパス(札幌市北区)に急行し、自分の目を疑った。高さ30メートルあるポプラ並木がごろん、ごろんと倒れている。突風で青葉が宙を舞い、樹液が強く匂った。
2004年9月8日。台風18号による暴風雨が全道に大きな被害を与え、札幌では最大瞬間風速50・2メートルを記録した。
ポプラは背が高い割に根は浅く、風に弱い樹種だ。並木はひとたまりもなかった。51本のうち19本が倒れ8本が傾いた。
1903年(明治36年)に植樹された並木は大学のシンボルとして親しまれる。札幌を代表する観光名所でもある。どうするべきか議論が巻き起こった。
隣接地の水田はイネの多様な品種を育て遺伝資源を保存してきた。この保護を優先すべきだとの意見が根強かった。台風による倒木以前から老朽木の危険性も指摘されていたため、北大は代替の「平成ポプラ並木」を400メートル北に造成していた。
一方、壊滅的な打撃を受けた並木の様子が報じられると、その再生を望む声や寄付が大学内外から続々と寄せられた。
当時の中村睦男学長の決断は速かった。「ポプラ並木は北大だけのものではなく国民の共有財産でもある。学内の英知を集め後世に受け継ぐべきです」
林学や工学など学内の専門家らと協議を重ねた。新しい苗木を植えるだけでなく、状態の良い倒木2本は生かすことにした。重さ30トンもあるポプラを植え直す世界的にも例のない試みだった。「あえて困難に挑戦することが、北大が受け継いできたフロンティア精神を生かすと考えました」。取材した際、穏やかに答えた姿が記憶に残る。
並木再生を指揮した平井卓郎名誉教授(70)は「中村さんは人の話に丁寧に耳を傾け、事が決まると実務は現場に任せていました」。大組織の北大は縦割りになりがちだが、当時は横の連携が密だったと振り返る。
2004年は国立大学が法人化された初年度だった。北大も大がかりな組織改革を手探りで進めていた。ともすれば研究実績や予算獲得など目立つ仕事に気を取られがちだが、中村学長はそうではなかった。
当時の副学長だった中村研一名誉教授(72)は「声が聞こえにくかったり、陰になったりした所に手を差し伸べた。いま残っているものには必ず意味がある、と学内の小さな組織や機関にも目を配っていました」。
国立大法人化は大学の自主性を高めて創意工夫を促し、学長に権限を集めることで組織の活性化を目指す狙いがあったとされる。だが北大前学長が解任され、旭川医大学長も解任請求を受けるなど機能不全が生じている。国からの予算は削られ、学問に専念できる環境が失われたという指摘は少なくない。
法人化から十数年を経て、その功罪を洗い直す時期に来ているのだろう。制度に加え、どんな人物がトップに立つかも組織の進路を左右する。
中村睦男さんは昨年4月17日に81歳で亡くなった。専門の憲法学での業績の大きさはもちろん、アイヌ文化振興法の制定に携わるなどアイヌ民族の権利回復に力を尽くした。学長としての仕事は多岐にわたるが、中村さんでなければ並木再生プロジェクトは実現しただろうか。
一周忌を前に、ポプラ並木を訪ねた。新しく植えられた木々は幹こそ細いが、こずえの高さは古い木と遜色ない。
枝先に焦げ茶色の小さな芽が並んでいた。春はもうすぐそこだ。今年もきっと、柔らかな若葉が風にそよぐことだろう。その様子を想像しながら、中村さんの温顔を思い浮かべた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/523904
第一報を聞いて北大キャンパス(札幌市北区)に急行し、自分の目を疑った。高さ30メートルあるポプラ並木がごろん、ごろんと倒れている。突風で青葉が宙を舞い、樹液が強く匂った。
2004年9月8日。台風18号による暴風雨が全道に大きな被害を与え、札幌では最大瞬間風速50・2メートルを記録した。
ポプラは背が高い割に根は浅く、風に弱い樹種だ。並木はひとたまりもなかった。51本のうち19本が倒れ8本が傾いた。
1903年(明治36年)に植樹された並木は大学のシンボルとして親しまれる。札幌を代表する観光名所でもある。どうするべきか議論が巻き起こった。
隣接地の水田はイネの多様な品種を育て遺伝資源を保存してきた。この保護を優先すべきだとの意見が根強かった。台風による倒木以前から老朽木の危険性も指摘されていたため、北大は代替の「平成ポプラ並木」を400メートル北に造成していた。
一方、壊滅的な打撃を受けた並木の様子が報じられると、その再生を望む声や寄付が大学内外から続々と寄せられた。
当時の中村睦男学長の決断は速かった。「ポプラ並木は北大だけのものではなく国民の共有財産でもある。学内の英知を集め後世に受け継ぐべきです」
林学や工学など学内の専門家らと協議を重ねた。新しい苗木を植えるだけでなく、状態の良い倒木2本は生かすことにした。重さ30トンもあるポプラを植え直す世界的にも例のない試みだった。「あえて困難に挑戦することが、北大が受け継いできたフロンティア精神を生かすと考えました」。取材した際、穏やかに答えた姿が記憶に残る。
並木再生を指揮した平井卓郎名誉教授(70)は「中村さんは人の話に丁寧に耳を傾け、事が決まると実務は現場に任せていました」。大組織の北大は縦割りになりがちだが、当時は横の連携が密だったと振り返る。
2004年は国立大学が法人化された初年度だった。北大も大がかりな組織改革を手探りで進めていた。ともすれば研究実績や予算獲得など目立つ仕事に気を取られがちだが、中村学長はそうではなかった。
当時の副学長だった中村研一名誉教授(72)は「声が聞こえにくかったり、陰になったりした所に手を差し伸べた。いま残っているものには必ず意味がある、と学内の小さな組織や機関にも目を配っていました」。
国立大法人化は大学の自主性を高めて創意工夫を促し、学長に権限を集めることで組織の活性化を目指す狙いがあったとされる。だが北大前学長が解任され、旭川医大学長も解任請求を受けるなど機能不全が生じている。国からの予算は削られ、学問に専念できる環境が失われたという指摘は少なくない。
法人化から十数年を経て、その功罪を洗い直す時期に来ているのだろう。制度に加え、どんな人物がトップに立つかも組織の進路を左右する。
中村睦男さんは昨年4月17日に81歳で亡くなった。専門の憲法学での業績の大きさはもちろん、アイヌ文化振興法の制定に携わるなどアイヌ民族の権利回復に力を尽くした。学長としての仕事は多岐にわたるが、中村さんでなければ並木再生プロジェクトは実現しただろうか。
一周忌を前に、ポプラ並木を訪ねた。新しく植えられた木々は幹こそ細いが、こずえの高さは古い木と遜色ない。
枝先に焦げ茶色の小さな芽が並んでいた。春はもうすぐそこだ。今年もきっと、柔らかな若葉が風にそよぐことだろう。その様子を想像しながら、中村さんの温顔を思い浮かべた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/523904