黄昏叔父さんの独り言

 アマチュア無線と何でも有りのブログ

ブログ開設4年後の思いと今後の展開

2015年07月03日 | その他

 私がブログを始めて今月の終わりで満4年が来る。当初はアマチュア無線関係のホーム・ページを開設する予定で有ったが生来の、ものぐさな性格の私ではメンテナンスが出来ないだろうと諦めて興味本位でブログを始める事にした。


 興味本位で始めたものの当初は一年も続かないだろうと思って居たが其の頃、私は退職後に5ヵ年計画で軽四車で車中泊しながら日本一周を遣りたいと思い立ち寛大なる家内の御蔭で其れを実行する事が出来た。当然に最初は家内と一緒に全国を廻る予定で有ったが家内は現役で仕事をしていたので長期の休みの取得が難しいのと何より小さい車の中での車中泊に大きな抵抗が有り結局、付いて来る事は無かった。


 実は私が退職した時、感謝の気持ちを込めて家内をヨーロッパ旅行に連れて行く予定で誘ったら喜んで貰えると思って居たが「お箸で食事が出来なかったり言葉が通じない外国へ行っても面白くない、それなら近くでも良いから3~4日の豪華な温泉旅行の方が良い」と思わぬ言葉が返って来た。「一緒に来ないなら私が好きな通りの旅をしても良いか?」と私が言うと嫌味で無く「私と子供達は毎年の夏休みには旅行に行けたけれどお父さんは仕事の関係で行かれなかったし長年働いたのだからお金の援助は出来ないけど良いんじゃない」と言ってくれたので其れではお言葉に甘えて行かせて貰いますと言う事に成った。


 私が外国旅行を持ち出したのは家内に対するサービス、私も思い通りの旅をするなら高い費用を出して精々7~10日間の海外旅行をするより其の費用で期間無制限の「風の吹く侭、気の向く侭、旅費が尽きたら帰る」旅をしたいと思った。旅行費用の中で大半を占めるのは宿泊費、其れを軽減させるには車中泊が一番有効で私の一人旅なら自分が辛抱すれば良い事で然も其の経験は既に高知県や岡山、鳥取県の短期の移動運用(長くて4~5日)で経験して居たので何ら不安は無かった。


 そして初めての長期旅行は2009年の7月09日から8月12日に及ぶ北海道への旅、此の旅は13年振りの冷夏の年で私が想像していた以上の大変な旅と成ったが子供の頃から憧れて居た「北の大地」を一ヶ月間ユックリと廻り時間制約から逃れた開放感と明日は、どのような景色や経験が出来るのか?と期待で胸が弾んだ。まさに学生時代の修学旅行状態の日々が続いた。


 旅先での夜は車中泊なので何もする事が無く其々の場所でアマチュア無線の移動運用を行い楽しんだが此の時は未だ無線設備や運用テクニックが未熟だったので十分な成果は得られなかったが旅と無線移動運用が合体する楽しみを体験し其の虜と成ってしまった。まさに移動運用の熱病に掛かってしまったのである。此の病気に掛かると度合いにも寄るが大半の人が寄り珍しい需要度の高い場所、即ち沢山呼掛けられる場所への移動運用を計画する様に成る。

 
 私が移動運用を本格的に始めたのは退職した2008年の夏頃からで有ったが其れまでは移動局の免許状すら無かった。其の頃は今ほど多くは無かったが全国には全国規模の移動運用を展開する人は数名居られたが其の大半の人が当時、流行っていた「道の駅」の移動運用が主体、後発した私は臍曲がりの性格から「人と同じ事を遣って居ても意味が無いし、同じ遣るなら人と違う事を遣らねば」の思いから各都道府県のレアーな町村を中心としたロングランの運用や運用面での工夫等を施した。


 そして2010年は信越、東北(日本海側)北海道、東北(太平洋側)長野県、富山県、岐阜県の2ヶ月半に及ぶ移動運用を行い翌年の2012年には兼ねてからの念願の沖縄本島と沖縄から鹿児島県の途中の離島への移動運用、九州方面と隠岐方面への移動運用を行った。今思い返すと此の時期は「移動運用冥利に尽きる」と言う状態で現在の様な新しいアワードも多くは無かったので単なる珍しい町村移動でも其れ成りの呼掛けが有り私成りに満足していた。


 2012年の春先から初夏に掛けての旅から帰った所で、折角なので移動運用先からの声だけでなく移動運用先の情報や旅先で有った出来事を何かの形で残したく成った事や其の後の新種のアワードで此処の規約違反(正確に其の場所で運用されたのか?)等が噂される様に成った事で移動運用をする者として其の事を明確にしなければ成らないと実感して色々考えた結果、ブログと言う媒体で公にする事に寄って確認しようと思えば何方でも明確に確認出来る方法を取った。しかし本当の私の真意は私が移動運用を始める切っ掛け成った諸先輩からの数々の刺激や影響を受けた時と同じ様に、僭越だが私のブログを見て一人でも多くの人に「この様な移動運用も有るのだな」と知って貰い其の延長線上でレアーな町村からの積極的な移動運用を展開して貰う事に他ならない。


 其の後の2011年秋の9~0エリヤの移動運用の後に1~2エリヤを廻り、翌2012年には3エリヤ管内(特に紀伊半島)を廻り2013年には移動運用の最終目標で有った鹿児島の南に点在するトカラ列島の薩摩硫黄島、中之島、口之島を廻ったが此の少し前からアマチュア局の急激な減少の波は始まり、可也レアーな場所からの運用でも呼掛けてくれる局は可也減ってしまった。そして2014年に再度、振り出しの北海道に渡り運用したが現状は過去の交信数の半分以下にまで落込み、後半の関東エリヤからの運用でも其の数字が回復する事は無かった。


 此の段階で私の目指して居た様な形態の移動運用の流れの終焉を感じると同時に私には移動運用への熱は急激に醒め始め、現時点で考える事は国内に於ける陸繋ぎの場所からの移動運用に全く興味が無くなった。現段階で興味が有るのは離島からの運用か?実現出来るかどうかは解らないが海外からの運用?何れの場合も経済的な問題や年齢から来る健康問題などハードルは結構高いが実現に向けた気持ちだけは強く持ちたいと思って居る。


 私は最近、上記の様な理由で移動運用をしなく成ったので最近はアマチュア無線に関連する、いや興味を引く様な記事が少なく成ったので兼ね兼ね考えて居たブログのジャンルを「アマチュア無線」と言う分野に拘る事無く巾広く展開しようと思って居るので7月からお気付きの方も有ろうかと思うが変更した。基本的には私の一番の趣味はアマチュア無線で有る事には違いは無くアマチュア無線に関する事も書き込むが今後は「何でも有り」の題材にも挑戦して行く心積もりなのでブログの内容が少し変化するかも解りませんが?興味が有ったら今後共に時々覗いて頂ければ幸いである。

 
コメント (1)
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