なかなか体調がよくならず、半日くらいはコテージでぐずぐずしていたりしました。どこにも行かないのもなんなので、午後に車で30分ほどの町Prüm(プリュム)へ。
小さな町でした。見所は、写真の教会だけといってもいいほど。
この教会、以前は白色だったのですが、第二次大戦末期に空爆で破壊され、再建されたときは何故かこのピンク系の色になったのだとか。
教会内は質素な雰囲気。観光客はほかにはいず、地元の人と思われる教会を管理している人が2、3名いました。その一人がドイツ語で「皇帝のお墓はあそこにありますから、見てくださいね」と気軽に声をかけてきました(私はドイツ語がわからないので、夫にあとで何て言ったのと訊いています)。西ローマ皇帝ロタール1世の慰霊碑がありました。
ゆっくりと見ていると、というか私は疲れて椅子に腰掛けてぼーっとしていたら、またその人が来て、ドイツ語で話始めました。夫は相槌を打っていましたが、私はちんぷんかんぷん。ただ「ヒトラー」という単語は聞き取れました。あとで夫に教えてもらうと、ヒトラーが台頭したときに、この教会の神父がそれに反対する演説をここでして、結局、強制収容所に送られてしまったとか。
この教会の隣りには、もう一つの観光スポットAbdij Prümがあります。現在はギムナジウムとして使用されているために、夏休み期間しか中が見られず、私たちは観られませんでした。外観だけでもとても美しい建物でした。
小一時間もこの町にいなかったと思います。寒いし、体調いまいちだし、すぐに帰途に着きました。
小さな町でした。見所は、写真の教会だけといってもいいほど。
この教会、以前は白色だったのですが、第二次大戦末期に空爆で破壊され、再建されたときは何故かこのピンク系の色になったのだとか。
教会内は質素な雰囲気。観光客はほかにはいず、地元の人と思われる教会を管理している人が2、3名いました。その一人がドイツ語で「皇帝のお墓はあそこにありますから、見てくださいね」と気軽に声をかけてきました(私はドイツ語がわからないので、夫にあとで何て言ったのと訊いています)。西ローマ皇帝ロタール1世の慰霊碑がありました。
ゆっくりと見ていると、というか私は疲れて椅子に腰掛けてぼーっとしていたら、またその人が来て、ドイツ語で話始めました。夫は相槌を打っていましたが、私はちんぷんかんぷん。ただ「ヒトラー」という単語は聞き取れました。あとで夫に教えてもらうと、ヒトラーが台頭したときに、この教会の神父がそれに反対する演説をここでして、結局、強制収容所に送られてしまったとか。
この教会の隣りには、もう一つの観光スポットAbdij Prümがあります。現在はギムナジウムとして使用されているために、夏休み期間しか中が見られず、私たちは観られませんでした。外観だけでもとても美しい建物でした。
小一時間もこの町にいなかったと思います。寒いし、体調いまいちだし、すぐに帰途に着きました。
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