Dutch Life 備忘録

オランダのミュージアム、コンサート、レストランなどについて記録するノート。日常的な雑記も…。

レナリドミド+デキサメタゾン 第30サイクル開始

2012-06-29 08:42:22 | 医療・病気
長い間、ブログをお休みしてしまいました。
5月の終わりに、早い夏休みでギリシャのロードス島へ旅行へ行きました。その最後の2日間で、咳と熱に悩まされ、帰宅後もグロッキー状態でした。医師の診断を受けた結果、肺炎とのことで、結局、その後も2、3週間、ひどい咳が出て、ぐったりしていました。抗生物質をもらったのですが、最初に直接打ったのが、アモキシシリンで、実はこれに私はアレルギーがありまして、すぐに間違いに気付いたのでアレルギーを抑える薬を飲んで、別の抗生物質の錠剤を10日間服用しました。
アレルギーは、湿疹が出てかなり痒いのですが、今回はアレルギーを抑える薬のせいか、湿疹だけで済みました。
また、今回の肺炎のもとになった菌は特定されて、パラインフルエンザ3型とのことでした。
そして、6月の後半からは、いろいろと雑事に追われ、忙しい日々が続きました。
やっとひと息つけた現在でもまだ軽い咳が出ますが、ほぼ普通の生活に戻りました。
ブログを書けなかった日々にも、定期診察や、コンサートなどがありましたので、のちのち少しずつアップしていくつもりです。

さて、レナリドミド10mgとデキサメタゾン0.5mgの服用サイクルの30回目が始まりました。
もう安定した服用なので、特に体調の変化などはありません。最近また眠りが浅くなったように感じますが、これは薬のせいなのか、よくわかりません。夜、2回くらい目を覚まします。若い頃は、寝付いたら、次に目を覚ますのは朝だったのに、最近はそんなことは滅多にありません。年齢のせいなのでしょうか。
体調は、咳は出ますが、通常の生活なので、OKです。


血液内科定期受診

2012-06-12 10:31:24 | 医療・病気
血液内科K医師の定期受診の日。昨日、右肋骨下の痛みと、両肩の痛みのため、救急医療科を訪れていたため、そのレポートが送られており、K医師はすでにそれを読んでいました。
しかし、もうこの日には痛みはなくなっており、熱もないし、ただ咳がひどく、疲労感が強いだけでした。
まだ痛みがあるようなら、CTスキャンを考えていたそうですが、その必要はありませんでした。
すでに別の内科医B医師より、抗生物質ドキシサイクリン7日分が処方されていましたが、7日分だと心もとないということで、K医師の判断で、3日分が追加されました。
定期受診の従来の目的だったフリーライト検査の結果は、λの値に大きな変化はなく、問題なしということで、次回2ヵ月後に受診の予約を取りました。
それから、レナリドミドがなくなりそうなので、処方箋をもらいました。
この日はまだ体調はかなり悪かったです。

救急科へ

2012-06-11 12:23:07 | 医療・病気
土曜日に、38.5度の熱と咳と気分の悪さから、内科医のB医師から抗生物質ドキシサイクリンを処方され、飲み始めました。土曜の夜には、熱は39.6度まで上がり、薬が効いてきている様子。
日曜には、38.6度の熱で、疲労感たっぷりで、咳もひどく、ずっとベッドにいました。食欲もありませんでした。ただ徐々に熱はさがってきており、夜には38.2度くらいでした。このまま少しずつ良くなるだろうと眠りにつきました。しかし、夜中の1時半ころ目が覚め、右肋骨下に痛みを感じました。この痛みがずっと続き、気になり始めると、どんどん痛く感じ、パラセタモールを2錠飲んでみましたが、痛みはひきませんでした。朝まで痛みが続き、そして、両肩が痛くなり始め、昼過ぎころには、左肋骨下の痛みはなくなりましたが、両肩がひどい肩こりのように痛みました。
B医師から何か異常があったり、熱が下がらなかったりしたら、いつでも連絡くださいと言われていたので、電話したところ、同じ病院の救急科へ連絡しておくので行くようにと言われ、3時過ぎころ、救急科へ来院しました。
そこでかなり待たされたのですが、採血をして、心電図をとって、血内酸素を測って、医師を待ちました。若い医師が来て、状況を話すと、CRP(炎症反応)が180ととても高いので、肺炎が急激に起こって痛みをもたらして、肋骨下の肺の痛みが肩に反射して痛むのはよくあることだとのことでした。
肋骨下の痛みは2年ほど前にも経験していて、この時は今回とは違って、肋骨「左」下だったんですが、その時も救急科から入院して、CRPがとても高くて、麻薬系の痛み止めを使ったりしたのですが、2日くらいで痛みは消え、CTスキャンまでとったけれど、結局原因不明だったことがありました。今から思えば、これも肺炎の痛みだったのかなと思います。
今回、私を不安にさせたのは、肩の痛みで、何でこんなところが痛いの?と理解不能で、そのことが医師に連絡をとる後押しをしました。でも、若い医師の説明を聞いて納得しました。
レントゲンをその場で撮ったのですが、はっきりとした影は認められず、しかし、聴診器で効くと、雑音が聞こえるとのことでした。若い医師は、CRPが土曜日よる高くなっているので、服用している抗生物質が効いていない可能性もあり、入院したほうがよいとアドバイスを受けましたが、自分の不安が解消された私としては、すでに家に帰る気分満々でした。「えっ、家に帰りたいです」と言うと、若い医師は、内科医のV医師(B医師はすでに帰宅)と血液内科医のV医師に連絡を取り、結局、血液内科のV医師がやってきて、熱も37.4度と下がっているし、CRPの値は今の状況の反映ではなく、過去に起こったことの反映なので、おそらくこのまま良くなるのでしょう、また明日には血液内科医K医師の定期受診もあるので、何かあったらそこでも対応できるので、今日は帰ってよいですとのことになり、無事帰宅しました。
帰宅前に、パラセタモール2錠を飲みました。
その後、痛みは消えました。咳はまだひどいですが、いつも咳が消えるまでには相当時間がかかるので、これは気長に待つしかないです。

ロードス島旅行⑧:プールと海

2012-06-03 08:24:00 | 旅行(ギリシャ)
エーゲ海の島々には共通して言えることですが、海がとってもきれいです。透明感のあるブルーで穏やかです。
私の泊まったホテルは、ロードス島の東側にあるFalirakiにあったのですが、このあたりはビーチでも有名なところです。遠浅の海で、かなり遠くまで足をつくことができます。
ロードス島には12日間いましたが、泳いだのはたった一日。私は泳ぎが得意ではなく、また強い日差しが苦手なので、ビーチにずっといるよりもどこかへ出かけるほうが好きなのです。でもせっかく来たので、少しだけホテルのプールと海を楽しみました。プールは下り坂のようになってどんどん深くなっていくもので、深いところだと2m近くあるのではないかと思います。私は、プールの浅いところと、手すり周辺を泳ぐというよりは浸かっているという表現に近い状態で楽しみました。子どもの頃は25mプールを泳いだ記憶があるので、思い切って7mくらい泳ごうとしたのですが、途中で続かずあっぷあっぷになり水を飲んで、なんとか手すりにすがりつく始末。
海は波が押し寄せる感じがとても気持ちよく、ただ海の中に入っているだけで満足感がありました。
まあこんな感じで、プールと海を楽しんだといっても、合計で2時間弱くらいでした。
もちろんプールやビーチを目的に来ている人が多く、いつもプールサイドや海は賑わっていました。パラソルやシートは十分あり、足りないような様子はなく、プールも海もゆったりと利用できます。まあ、6月はシーズンの初めで、シーズン真っ盛りはもう少し混雑するのかもしれません。
海の方では、バナナボートやパラシュートボートのようなマリンスポーツもできます。
この日も体調は良好でした。
写真は東海岸の真ん中あたりにあるリンドスの海です。

ロードス島旅行⑦:ロードスシティ旧市街

2012-06-02 13:03:49 | 旅行(ギリシャ)
ロードス島へ旅行に行くことが決まってから、すぐに塩野七生著「ロードス島攻防記」をネットで注文しました。この本を読んだことで、ロードスシティの旧市街に対する興味がすごく沸きました。
旧市街の城塞は、聖ヨハネ騎士団が作ったものです。とても立派なものですが、1522年のオスマントルコとの戦いの激しさを物語るように、表面には穴がたくさんできています。この時、トルコ軍は10万人もの軍勢であったのに、聖ヨハネ騎士団側は地元民の参加者も含めて数千人足らずだったそうです。5ヶ月に及ぶ攻防の末、騎士団は敗北し、島を去らざるをえなくなります。
騎士団は出身地ごとに、フランス、イタリア、イギリス、スペイン、プロヴァンス、オーヴェルニュに別れて隊を組んでいて、それぞれに騎士館をもっていました。新しくロードス島に来た新参者は、この騎士館に2年間は住むことになっていました。この騎士館が並ぶ通りが、写真の「騎士通り」です。
城塞内には、小さな通りがたくさん迷路のように通っており、道はすべて石畳です。お土産屋さんがたくさんあり、ただ歩き回るだけでも楽しいです。
聖ヨハネ騎士団は、病院をもっており、その活動でも有名でした。当時病院だった立派な建物は、現在考古学博物館になっています。見学するつもりだったのですが、体調を崩してしまい、実現できず、残念です。
この日は、体調は良好でした。

ロードス島旅行⑥:ロードスシティ

2012-06-01 11:38:38 | 旅行(ギリシャ)
ロードスシティは、城塞に囲まれた旧市街と、それ以外の新市街からなります。
私の止まったホテルがあるFalirakiからは観光シーズンには20分ごとにロードスシティ行きのバスが通っていて、とても便利でした。ちょうど旧市街の外側、港の近くにバス停があります。そこからすぐ近くの別のバス停から、Valley of ButterfliesやKamiros、Kalithea、Rodiniなどの観光ポイントへ行くバスが出ています。
また、Falirakiからは船でロードスシティへ行くこともできます。海からロードスシティの港に入っていくのはまた格別の雰囲気があるのでしょうが、残念ながらこれは私は経験する機会がありませんでした。
Valley of Butterfliesに行った日、思ったより早くにロードスシティに戻ってきたので、午後にミニトレイン(といっても自動車で引っ張る形のもの)で市内観光をするツアーに参加しました。このミニトレインはThe Aktaioというホテルの前から出発します。1時間くらいのツアーで、ミニトレインに乗ったまま、旧市街には入りませんが、その城壁のすぐ外を回り、そのあと、アクロポリスの見える丘を回り、海沿いに戻ってくるコースです。運転する人がガイド役もつとめ、いろんな国の言葉で面白おかしく解説してくれて、楽しかったです。
写真は、港の入り口にある城塞です。
ロードス島といえば、世界の七不思議のひとつ「ロードス島の巨像(Colossus of Rhodes)」が有名ですが、実は私は知らなかったです。夫は知っていて、他のオランダ人も知っているようで、子どもの頃に絵本かなんかで仕入れる知識なのかしら。紀元前3世紀頃に建造されたこの巨大な像は、全長34メートルで、台座もあわせると約50メートルの高さがあって、港の入り口のをまたぐ形でそれぞれの足が別の岸に立つ形の立像だったどうです。今は現存しませんが、立っていたであろう場所には、それぞれ、金色のモニュメントがあります。
この日は旧市街にも行きましたが、そのことはまた改めて書きます。
体調は良好でした。

レナリドミド+デキサメタゾン 第29サイクル開始

2012-06-01 06:59:35 | 医療・病気
旅行中でしたが、レナリドミド10mgとデキサメタゾン0.5mgの服用サイクル29回目の開始です。
もう2年以上、レナリドミド10mgを週3回3週服用、1週休みとデキサメタゾンの週3回服用で、安定した状態が続いています。ありがたいことです。
この前にも、レナリドミド15mgを週3回服用していたことがあり、このときは半年くらいで、左肋骨下に痛みが出て、医師の指示で服用をやめました。今から思えば、この痛みは肺炎の悪化時の痛みで、レナリドミドとは関係なかったのではないかと思います。このレナリドミド15mgは、とてもよく効き、投薬開始時には1000近くあったフリーライトのλの値が急降下し、3、4ヶ月で100以下になりました。痛みで投薬をやめ、半年くらい経ったら、またフリーライトのλの値が100を超えてきたので、レナリドミドを10mgに減量し、今に至っています。
レナリドミドを開始したのが、2009年の春でしたので、丸3年、この薬で、安定した生活ができています。
しかし、発病期はかなり急速に悪化し、自家移植での消耗も激しく、最近になってようやく身体的に復活してきたなと思えるくらい、体力回復には時間がかかりました。自分ではかなり良い感じだと思っていたのですが、やはり抵抗力は弱いようで、感染してしまうと、悪化の一途を辿ってしまいます。またこのことについては改めて書きます。
この時点では、体調は良好でした。