東浩紀著「動物化するポストモダン ー オタクから見た日本社会」を読了。
新書なのであまり長くなく、簡単に読めました。ところどころ難しい概念が出てきますが、平易な言葉で簡潔に説明があり、ついていくことができます。
哲学は学生時代に少し授業を受けたりしましたが、断片的な知識ばかりで、実のところはよくわからないままです。
例えば、この本には、
ヘーゲル哲学は十九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向かっていく存在だと規定されている。へーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。(p.96)
というようにさらっとまとめられていて、これを読むだけで、ヘーゲルの「他者」や「歴史」という言葉が頭に入ってきます。
「近代の人間は、物語的動物だった」(p.140)とし、現代の新しい人間を「データベース的動物」(p.140)と名付けています。昔の人たちは、大きな物語を信じ、人間の生きる意味を考え、人間だけがもつ他者とのかかわり、他者が自分をどう思うかなどを考え、社会とのつながりなどのもと、自分を捉えなおし、生きてきました。しかし、ポストモダンの人間(今の人たち)は、大きな物語を必要とせず、自分の欲求が赴くままに小さな欲望をいくつも満たすことで、生きています。大きな物語と、小さな物語のあいだに明白なつながりはありません。モダンの人たちは、物語を消費していましたが、ポストモダンの人たちは、データベースを消費していると言えるそうです。そういわれると確かにそうかなあと思います。特に今のキャラや愛する風潮などを見るとそうですね。でも、この本ではもっと深いところから見て、データベース消費といっています。
物語性というものは、人間の創造物であり、動物に物語を意識する力はありません。この物語性と、人間の精神の病(病でなくても、自己嫌悪や嫉妬心など)は深く関係性があると、思います。
うまく書けないですが、面白く読めた本でした。しかし、もう私の頭はざるのようになっていて、読んでいるときはいいけど、読み終わって思い出して見るとあまり残っていないなあと悲しくなります。
体調は良好です。週末に向けて少しずつ暖かくなるそうで、うれしいです。もう2月も終わり。このまま春へと思いますが、オランダはそうはいかないでしょう。でも、日が一日一日長くなり、気分が良くなってきました。
新書なのであまり長くなく、簡単に読めました。ところどころ難しい概念が出てきますが、平易な言葉で簡潔に説明があり、ついていくことができます。
哲学は学生時代に少し授業を受けたりしましたが、断片的な知識ばかりで、実のところはよくわからないままです。
例えば、この本には、
ヘーゲル哲学は十九世紀の初めに作られた。そこでは「人間」とは、まず自己意識をもつ存在であり、同じく自己意識をもつ「他者」との闘争によって、絶対知や自由や市民社会に向かっていく存在だと規定されている。へーゲルはこの闘争の過程を「歴史」と呼んだ。(p.96)
というようにさらっとまとめられていて、これを読むだけで、ヘーゲルの「他者」や「歴史」という言葉が頭に入ってきます。
「近代の人間は、物語的動物だった」(p.140)とし、現代の新しい人間を「データベース的動物」(p.140)と名付けています。昔の人たちは、大きな物語を信じ、人間の生きる意味を考え、人間だけがもつ他者とのかかわり、他者が自分をどう思うかなどを考え、社会とのつながりなどのもと、自分を捉えなおし、生きてきました。しかし、ポストモダンの人間(今の人たち)は、大きな物語を必要とせず、自分の欲求が赴くままに小さな欲望をいくつも満たすことで、生きています。大きな物語と、小さな物語のあいだに明白なつながりはありません。モダンの人たちは、物語を消費していましたが、ポストモダンの人たちは、データベースを消費していると言えるそうです。そういわれると確かにそうかなあと思います。特に今のキャラや愛する風潮などを見るとそうですね。でも、この本ではもっと深いところから見て、データベース消費といっています。
物語性というものは、人間の創造物であり、動物に物語を意識する力はありません。この物語性と、人間の精神の病(病でなくても、自己嫌悪や嫉妬心など)は深く関係性があると、思います。
うまく書けないですが、面白く読めた本でした。しかし、もう私の頭はざるのようになっていて、読んでいるときはいいけど、読み終わって思い出して見るとあまり残っていないなあと悲しくなります。
体調は良好です。週末に向けて少しずつ暖かくなるそうで、うれしいです。もう2月も終わり。このまま春へと思いますが、オランダはそうはいかないでしょう。でも、日が一日一日長くなり、気分が良くなってきました。