
長いホールに出ました。
かつては、たくさんの人が利用したという食堂部分です。
当時の天井部分は、金で装飾されていたそうです。
高い階高は、2層として使用されていた時期もあるそうです。
外壁部分には、 ステンドグラス がはめ込まれていました。
教会にあるような華美なものではなく、シンプルなものに見えます。
ゴシック様式らしく、壁にはたくさん並んでいました。
食堂らしく、火をくべるような場所がありました。
1307年から1377年までの間、7代にわたって台所を支えた場所ということになります。
現代でも廻りには畑が広がるこの場所に、この規模のものを造るのは大変だった気がします。
天井には、高い煙突の煙道部分が見えます。
シントラの王宮 にも同じようなものがありました。
http://blog.goo.ne.jp/joearchi/e/842c9d45eba42bb1f2579f6389d6816d
その時の様子はこちらから。
煤で少し黒ずんでいるように見えます。
壁の一部には、当時の栄華を偲ぶ部分が一部残されていました。
こう言った場所に来るといつも感じるのですが、完全だった状態を一度見てみたい気がします。
CGなどで再現するしかないのでしょうが、ここの研究を突き詰めないと難しい気がします....
使われていたタイルの一部が、保存されています。
グリーンをベースにしたものが、多い気がします。
この地方独特の釉薬なのでしょうか?
700年余りたった今でも、変わらぬ絵柄が見えます。
食堂を離れていくと、また展示部分に出ました。
さすが元法王庁、見せるものには事欠かないといった感じです。
まぁ、これでもかなりのものが略奪されているそうですが....
壁には、こういったものありました。
どなたかが、モチーフなのでしょう。
バチカンだと、ミケランジェロとかベルニーニと言ったところですが、少し違う気がします。
やはりいいものは、持って行かれているのでしょか....
また大広間というか、回廊部分にでました。
こういた場所に来ると、やはり教会施設なんだなぁって実感させられます。
いつも書いていますが、14世紀にこの技術が確率されていたことに驚きです。
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