スターアライアンスNote

世界を旅するために働く、Architectによる旅日記

’10 冬 カンクン・メキシコシティ17

2010年01月19日 | ’10 カンクン・メキシコシティ
ジャガーの神殿を回りこんでくると、背面はこんな感じになっています。
この場所が球戯場と呼ばれている場所になります。







球戯場

棒状のスティックでボールを打ち、球戯場の石の輪にボールを通すと得点になります。
試合が白熱するほど、雨が降り豊作になると信じられていました。
豊作を祈る為、勝った側がリーダーが生贄になったと言われています。







かなり広いフィールドです。
この当時の競技の様子が書かれたレリーフがありました。


その前で、ガイドさんから説明がありました。


この場所の両サイドの壁は少し上部が内側に倒れています。
その壁の上部に競技のボールを通すリングがありました。







棒状のもので、ボールをヒットしてこのサークルを通すのはなかなか難しいように思います。
まして2つに分かれたチームで競い合いながら入れるとなるとかなり厳しそうです。


ガイドのオカさんによると、毎回入っていたようではないそうです。
豊作を祈る為の競技ということで、リングを通すとそこで競技が終了します。
そこで競技に勝った側のリーダー、つまり優れた人材の血を神に捧げたそうです。


勝って殺されてしまうのなら、あまり勝つ為に真剣になれそうもないと考えてしまうのですが.....
それが名誉だったのでしょうか?


優れた者から殺されてしまうと、そうでない人ばかりが残ってしまうよう気がするのですけど。







ここは音響効果を考慮して設計されているようです。
両側の上に傾いた壁と、長手側に正対する2枚の壁によって反響が起こります。
いわゆる ” やまびこ ” です。
一定の場所に立って手を叩くと音が反響して反対側から聞こえてきます。


支配層がこのような現象を利用して民衆を支配していたそうです。
この当時に、音響を考慮して設計するのはかなりの技術だったと思います。







球戯場の反対側から戻った場所に、生贄の台座 ( ツォンパトリ ) があります。
” ツォンパトリ ” はアステカの言葉で ” ドクロの壁 ” という意味だそうです。


生贄になった人達がここに葬られているそうです。







こんな風にドクロが彫られています。
こちらでは、結構ドクロのモチーフのお土産や置物がたくさん見られます。
なんとなく愛嬌のある彫られ方ではありますが....







そばの石垣にはこんなのがいました。
他のもこのあたりで、3匹見つけることができました。
ほとんど動きません。


ここへ来る道中にガイドのオカさんが、必ず見れますよと言っていた ” イグアナ ” です。



PS:

ついにこの日が


日本航空は19日、会社更生法の適用を東京地裁に申請する。
直後に官民による企業再生ファンド「企業再生支援機構」が支援を正式に決定。
裁判所の管理下で機構が主導し、3年以内の再生を目指す。
政府はこれを受け、日航再生を支援する声明を出す。
戦後の日本の空運を担ってきた日航は大きな転機を迎えることになる。



また機会があれば書かせていただきますが、パイロットを目指していた頃がありました。
ひょっとしたら勤めていたかもしれなかった会社です。

3年後の再建を祈っています。


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