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2度目の発見のモニュメントを見終えて、西に向かいます。
ここを通るのも2度目ですが、前回とは違って距離感がよく分かります。
先日は手前の木ぐらいまでしか、見えませんでしたが
見晴らしがきくと配置が良く分かります。
先が見えないと距離を感じましたが、見えていると近く感じます。
こんな飛行機が置かれていました。
ガーゴ ・ コーチニョ
ポルトガル人の パイロット です。
1922年 に リスボンからリオデジャネイロまでの南大西洋横断飛行の航法士を務めました。
ポルトガル海軍は 南大西洋横断飛行 を企画しました。
イギリス製のフェアリーIII水上機の改造機で
1922年3月30日 サカドゥラ・カブラル と共にリスボンを出発しました。
カナリア諸島までの1,400kmを8時間半で飛行しました。
4月4日には1,550kmを10時間かけて飛び、カボヴェルデ島に到着したそうです。
4月18日に2,500km先のフェルナンド・デ・ノローニャを目指しましたが、
燃料不足でサンペドロ岩礁に不時着水し、機体も大破しました。
5月10日から替わりのフェアリー機で、飛行を継続し6月5日にブラジル本土に到着しました。
6月17日に最終目的地のリオデジャネイロに到着したそうです。
7,500kmを80日間 で飛行しました。
その時の飛行機のレプリカのようです。
たどった軌跡を表記したプレートもありました。
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ベレン塔 に到着です。
先ほどの発見のモニュメントと違って、この建物はよく見えると小さく感じました。
霧の中にあった方が、幻想的で奇麗に見えました。
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手前の広場の中心にあるミニチュアです。
鋳物で、できているようでした。
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同じ角度の写真です。
干潮の時間なのか、かなり水位が下がっているようです。
潮風から建物を守るには、やはり石造りがいいのでしょう。
16世紀から、500年もこの場所に建ち続けているのですから。
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遠くに見えているのが ” 4月25日橋 ” です。
この橋は1966年8月6日に開通しました。
建設したのは、サンフランシスコ のゴールデンゲートブリッジを架けたのと同じ会社だそうです。
開通した当初は、当時のこの国の独裁者 アントニオ ・ サラザールにちなんで、
サラザール橋と呼ばれていました。
1974年4月25日の カーネーション革命 の後、革命が起こった日から名前をとって改称されたそうです。
現在この橋は、リスボンに入る側のみ料金がかかるそうです。
4月25日は現在、 ポルトガルの革命記念日 になってます。
ベレン地区には、ポルトガルの歴史 が詰まっているような気がしました。
イギリス製のフェアリーIII水上機の改造機で
1922年3月30日 サカドゥラ・カブラル と共にリスボンを出発しました。
カナリア諸島までの1,400kmを8時間半で飛行しました。
4月4日には1,550kmを10時間かけて飛び、カボヴェルデ島に到着したそうです。
4月18日に2,500km先のフェルナンド・デ・ノローニャを目指しましたが、
燃料不足でサンペドロ岩礁に不時着水し、機体も大破しました。
5月10日から替わりのフェアリー機で、飛行を継続し6月5日にブラジル本土に到着しました。
6月17日に最終目的地のリオデジャネイロに到着したそうです。
7,500kmを80日間 で飛行しました。
その時の飛行機のレプリカのようです。
たどった軌跡を表記したプレートもありました。
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ベレン塔 に到着です。
先ほどの発見のモニュメントと違って、この建物はよく見えると小さく感じました。
霧の中にあった方が、幻想的で奇麗に見えました。
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手前の広場の中心にあるミニチュアです。
鋳物で、できているようでした。
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同じ角度の写真です。
干潮の時間なのか、かなり水位が下がっているようです。
潮風から建物を守るには、やはり石造りがいいのでしょう。
16世紀から、500年もこの場所に建ち続けているのですから。
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遠くに見えているのが ” 4月25日橋 ” です。
この橋は1966年8月6日に開通しました。
建設したのは、サンフランシスコ のゴールデンゲートブリッジを架けたのと同じ会社だそうです。
開通した当初は、当時のこの国の独裁者 アントニオ ・ サラザールにちなんで、
サラザール橋と呼ばれていました。
1974年4月25日の カーネーション革命 の後、革命が起こった日から名前をとって改称されたそうです。
現在この橋は、リスボンに入る側のみ料金がかかるそうです。
4月25日は現在、 ポルトガルの革命記念日 になってます。
ベレン地区には、ポルトガルの歴史 が詰まっているような気がしました。
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