20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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考古学の力

2015年11月08日 | Weblog

           

 先日、トーハクで見てきた「始皇帝と兵馬傭」は、なかなかも見応えのある展覧会でした。

 秦の王である嬴政は、中国大陸をはじめて統一し、最初の皇帝「始皇帝」と自らを名乗りました。

 その始皇帝のリーダーシップと、時代をみる目の確かさ、高い文化意識には驚かされます。

 なにしろ紀元前221年です。

 その時代に、のちにつながっていくさまざまな文化の礎を作り上げていったのです。

 短剣にしても弓矢にしても、鐘にしてもうつくしいです。

 また、インフラ技術まで導入していったのです。

 謎なのは、王妃のこと。

 どんな文献にも、王妃の名前は出てこないそうです。

 王妃はいなくて、ハーレム状態?

 フェミニズム的に見たら問題はありますが、特定な王妃を持たなかったとしたら、ハーレム状態でも、それはそれで女性に対する平等性を保っていたということになります。

 

 また、彼は自分の命は不老長寿、永遠だと思っていたのでしょう。

 けれど50歳で亡くなった始皇帝は、亡くなる前に巨大な陵墓を作らせ、そこに、8千体もの兵馬傭を埋めさせたのです。

 その1体の大きさたるや、人間の大きさをはるかに超えたものです。

 おまけに、その展覧会の見どころでもあった、始皇帝の愛車がモデルになったとされる銅車場は見事というしか言いようがありません。

 窓はついているし、うしろには扉もあります。

 それが青銅で緻密に作られているのです。

 人間がそのままのれそうな、大きさです。

 

 そういったものがすべて埋まった、巨大なまぼろしの地下。

 それを始皇帝は「永遠の世界」として築き上げました。

 

 そして50歳で、始皇帝が亡くなって3年後、秦は滅亡します。

 そんな紀元前の、地下の大規模の陵墓が、いま考古学の大発見で見つけ出されています。

 死してなお、始皇帝は、あの世へ「我が権力」を持っていきたかったようです。

(写真は、ご存知、トーハクのユリの木。少しだけ色づきはじめています)

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