今日で、睦月もおしまい。
先日、ステキな陶芸を見てきました。
椿が、さりげなく置かれています。
辻村唯という、若手作家の作品です。
信楽や伊賀焼の「井戸茶碗」で有名な、辻村史朗のご子息です。
同じく、奈良の山奥に住んでいるそうです。
椿で思い出すのが、母のこと。
父は椿の花や、萩の花が大好きで、庭から切りとってくると、一輪挿しなどに、よく生けていました。
趣味人の、父の生けるお花は、センスがよくて、私はその美意識に、とても影響を受けました。
でも母は「わたしは、椿がきらい」と、椿を見るたびに言っていました。
「ポトンと、花びらが、そのまま落ちるのが、人間の首が落ちるみたいに見えるから」と。
花びらも、ハラハラと落ちてくれれば、諦めもつきますが、ポトンと落ちてしまうと、手を差しのべる、すべもありません。
母は、自分を産んでくれた母親が、自分が生まれて、すぐに亡くなったということが、大人になっても傷として残っていたのかもしれません。