日本橋・高島屋屋上は、何度か行っていますが、そこにこんなお稲荷さんがあったのを、初めて知りました。
調べてみたら、下のように書いてありました。
「1954(昭和29)年に日本橋高島屋は建築家・村野藤吾氏の設計により増築を実施。
その際、増築予定地にあった「笠森稲荷」を、屋上に移設したといわれています。
笠森稲荷は、摂津国島上郡(現在の大阪府高槻市)にある笠森稲荷神社の分社として日本橋地域で愛されていました。
笠森稲荷の銘板は、高島屋社長を務めた飯田新一の書です。
2019(平成31)年3月の改装時に、祠全体を新築しましたが、釘隠しや扉の金物などの一部は屋上移設当時のものをそのまま再利用しています。」
屋上のひっそりしたところに、鎮座している、笠森神社には、小さな、手水舎まであります。
実は、中央区の佃にある、赤い橋のある住吉神社も、大阪からきたものです。そばの月島には4軒長屋がずらりと並び、路地裏はカビ臭く、猫がのっそりと歩いていました。
以前、あのあたりを取材に歩いたことがあります。銀座と目と鼻の先。そこに、こんな古びた長屋があって・・・(今はリノベーションされているらしいですが)興味津々の街でした。
土曜日、出版お祝い会がありましたが、同人誌「栞」のみなさんのご尽力で、とても魅力的な時間を作っていただきました。
これまで理事会や、常任理事会など、ZOOMで話し合いをしていましたが、話し合い程度では、今までのやり方で充分でした。
ですが、新型コロナの感染がいつまで続くか、わからない中、大きなイベントとなるとそうはいきません。
どうやったら、リモートを、より参加者の思いに近づける形でできるか。参加者の皆さんが、「参加しています」と、大人数になってもページをめくるように、画面にお顔を出していただけないか。
メカなど何も出来もしない私が、のぞみだけは高く持っていて「これ、できない?」などの注文を出し、関係者の皆さんの頭を痛めさせています。(ごめんなさい)
そんな話を息子にしたら、先日、「スマホでZOOMを実験的にやってみた」と、息子が添付で送ってくれました。やはり、これだけのことをするには、マスクをして研究室の4人がかりでやっていました。
スマホZOOMで、工学部構内を、コロナで構内に入れない学生たちのため、(東大は、例えば理1に合格した人も、1、2年生は駒場の教養学部で、3年生になって進振りで、本郷に来るとシステムになっています。そして進振りの成績などから、本郷での自分の専門学科が決まります。)
その進振りの結果、建築学科に入ってきた、すべての学生たちのために、スマホで写しながらZOOMで生中継しながら、ディテールまで紹介したのを見せてくれました。
古い建築を新しい建物と上手に組み入れ、リノベーションしてあったり、歩きながらですから、音声はところどころ悪く、画像もあまり良くないところもありましたが、東大工学部の建物全体の様子が、何となくわかりました。全体像は歩いて教室などを移動している時、学部建物の平面図を、画面に出して見せてくれ、説明してくれたり・・・。
「自慢の教室です」と、息子が紹介した、階段式になっている椅子と机。
その教室の机の上には、丸いくぼみと、机の正面には細長い窪みがあります。
ペットボトルを置く場所?
でもあの、細長いくぼみは? と考えていたら、丸いくぼみは、インク壺を置く場所。
正面の細長い窪みは、ペンを置くところ。
年数の経った建物をリノベーションしても、そうした、過去の美意識はそのまま。
そこに座った、学生たちは、遠い、遠い先輩たちが、椅子に座ると、まずは鞄からインク壺を出しておく。そしてペンを出して置いて、姿勢を正す。
そんな光景を思い描きながら、自分はどんな建築家になるのか、いや建築史家になるのか、などと夢想するのでしょう。
とても面白い試みで、楽しかったです。
でもZOOMをスマホにつなげるというのも、大変な作業なのだと思います。
図面や写真などいろいろを、スマホに事前に、息子が仕込み、折々に出してもらう。おまけにリアル中継をするわけですから。
疲れは、通常の授業の数倍にはなるでしょう。
でも、この新型コロナで変貌してしまった時代は、「もっと、使い勝手のいいリモート」を求めて、研究し続けるしかない、そんな世界に突入しているようです。
東京では、土曜日なども、300人に近い感染者数。治療法がわかってきたので、重傷者は少なくなってはいるようですが、やはり後遺症は残るようです。
ちなみに、笠森稲荷を設計した、村野藤吾は、早稲田の建築出身の、日本の著名な建築家で、紫綬褒章や、文化勲章を受賞しています。
ああ、この時代は、よかった。