20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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初詣

2022年01月11日 | Weblog
            
            
            

連休最後の日。
夫が、「初詣でもしてこようか」と、亀戸天満宮へ行こうと言い出しました。

上は、天満宮へ登っていく、赤い太鼓橋。
その下は、亀戸天満宮。
一番下は、蝋梅。

まだ梅の季節には早いですが、蝋梅だけ咲いていました。

亀戸天満宮は、毎年、税務署に確定申告に行った後、梅見に行きます。
梅見がしたいため、その時間に間に合わせるように、せっせと、夫も私も確定申告を済ませます。

三連休の最後は、成人式の振袖姿の、きれいなお嬢さんたちが、数人いました。
参拝客は、ちらほら。
「年初めだから、おみくじ、ひきましょうよ」
「僕は遠慮しておく」
必ず、そういう人です。
「年に一度くらい、セレモニーなんだから、やりましょうよ」と誘い。

二人とも、「大吉」でした。

             

帰宅して、夫がすぐお札を、和室の天井下に貼ろうとしたので、
「待って、暦を見て、大安を選ぶから」
そう言ったら、
「いちいち、めんどくさく、不自由な人だ」と。
次の大安は、金曜日です。
金曜に貼ってもらいます。

祖母の影響です。

祖母とは12月25日の、誕生日も一緒です。
亡くなったのは、4月1日。エイプリルフール。

4月1日になると、「ああ、まだ死んでいなかった」と自分のことをどこかで安堵しています(笑)。そろそろ祖母が脳溢血で亡くなった年齢に近づいています。

この調子ですから、生涯、祖母の亡霊に守られているのか、ただ取り憑かれているのか、多分孫では私だけが祖母の教えを、この年になっても守っていると思います。

祖父は、吉田拓郎ではありませんが「人生を語らず」という寡黙なタイプでした。
母の話では、祖父は、東京で税務署のお役人をしていたそうです。
退職後は、秩父に戻り、趣味の山水画を、来る日も来る日も描いていました。
川合玉堂には、足元にも及ばませんが、幼い子ども心には、「すごい!」と思ったものです。
ただ一つだけ、印象に残っているのは、父は全くの下戸でしたが、祖父は夕食の時、一人で、とっくり1本だけ、お酒を飲んでご機嫌な様子でした。
孫たちとも深いつながりを持たない人だったので、思い出というと、つい祖母になってしまいます。
祖母の死から数年して、祖父が亡くなリました。

神道の家では「お葬式」とは言わず「神葬祭」と言います。
自宅に、秩父神社から、宮司や神官たち、たくさんの雅楽を演奏する人たちが行列でやってきて、舌をぺろっとさせて、雅楽を演奏する様子が、おかしくて、弟や従兄弟たちと「くすくす」・・・と。
親戚の叔父にギロッと睨まれました。

ちなみに、父や母の神葬祭では、雅楽を演奏する人たちはいなかったので、もう秩父神社にはそうした人はいないのかもしれません。そのあたりはよくわかりませんが・・・。

祖父の神葬祭の時、悲しくなかったのかな・・・。そんなことはなかったけれど、やはりちょっと祖父には、距離があったのかもしれないと思いました。
まだまだわからないことが多いです。そういう時代だったのかもしれません。

とにかく、父も母もリアリストでした。
ですから、大安だの、なんだのを、全く気にしない人たちでした。
コメント
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