20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

エアロライフ 内転筋エクササイザー2

2011年11月20日 | Weblog
           

 ディノスのCMを見ていて、つい買ってしまいました。
 こうした健康器具は、過去にもいろいろ買っては使わず、そのままにしてあるのが多いです。
 そんな過去の前歴があるので、夫に見せたら、
「ちゃんと、やれるの?」
 と、半信半疑の眼差しを向けられました。

 足腰を鍛えたいと思っていたところに、この商品が目にとまったのです。
 ジムに行かず、自宅で気軽にトレーニングできるところが魅力です。
 でもすごくハード。
 一回1分を、一日3回でいいらしいのでいまは継続しています。
 でも,写真のようにスイスイとはいかず、かなり苦戦しております。
 足や腰がガクガクして、筋肉痛です。
(写真は、ディノスのサイトからお借りしました)
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飛行船

2011年11月19日 | Weblog
           
           

 昨日、仕事部屋からふと窓の外をみたら、飛行船がぷかりと。
 どうやら、スカイツリー遊覧のようです。

 空からみた、世界一高いツリー。
 どんな感じに見えるのでしょう。

 雨の土曜の朝。
 スカイツリーは、すっぽりと雲にかくれています。
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新刊4冊ご紹介

2011年11月18日 | Weblog
 新刊4冊をご紹介いたします。
 まずは絵本から。

          
『王国のない王女のおはなし』(サラ・ギブ絵・石井睦美訳・BL出版)
 
 石井睦美さん翻訳の、とても贅沢な作りのうつくしい絵本です。若い女性がときめきそう・・・。
 サラ・ギブの繊細で華麗で装飾的な絵が、ページを繰るたびにあらわれ、そのうつくしさにわくわくします。
 
 自分の王国を持っていない、うつくしく、行動的な女王さまが、自分の王国、そして自分の居場所を見つけ出していくストーリーです。
 女王さまは、たくさんの若い王さまたちから結婚を申し込まれます。
 それを受け入れれば、求めていた「自分の王国」ができます。
 けれど、物語は思わぬ方向へと・・・。
 女王さまが道化師にもらった赤いストッキングが、とてもチャーミングです。

          
『源氏物語 時の姫 いつか、めぐりあうまで』(越水利江子・角川つばさ文庫)

 越水利江子さんの筆による『源氏物語』です。
 とにかく文章がうつくしい。平安王朝文学のみやびで香り高い世界を、うつくしい文体で描ききっています。
 特徴的なのは、オリジナルのキャラクター「水鬼」を登場させたこと。この「水鬼」が「光源氏」の人間性を際立たせています。
 とにかく『源氏物語』は、54帖からなる大長編物語。その光源氏の若い頃だけを描いても一冊の本に納めるのはとうてい無理です。それを、実に見事にまとめていらっしゃいます。
 物語の中心に、「光」と「ゆかり」そして「水鬼」を据えたことで、『源氏物語』の輪郭と、その時代の空気がきちんと伝わってくるような作りになっています。
 このご本はきっと、『源氏物語』をはじめて読む子どもたちには、心ふるわせる、まさに「いちばん最初に出会う、あなたのための「源氏物語」」になると思います。

          
『とびだせ!そら組 レスキューたい』(田部智子・岩崎書店)

 田部智子さんの低学年向けご本です。
 ある朝、二年そら組のクラスメートの「カズくん」が、とり小屋の前から動きません。
 主人公の「コータ」と「テンテン」は真相を探るべく、とり小屋へ。
 そこにはなんと、ネコが・・・。
 
 子どもたちが、とり小屋のうしろに落ちてしまったネコを助けようと四苦八苦する様子が、とても楽しいです。
 そして最後に登場した図工室の「みどり先生」の、カッコいいこと!
 ネコ救出に、手に汗をにぎりしめたかと思ったら、ラストでは、思いっきりスカっとさせてくれる。
 痛快で、楽しいお話です。

          
『初恋ダイアリー 片思い』(宮下恵茉・成田サトコ・濱野京子・ポプラ社)
 
 三人の作家の手による「片思い」のお話の収録された、キラキラのかわいい表紙のアンソロジー。
 濱野京子さんの作品は『アイの花ことば』
 お花のだいすきな、そしてそのお花屋さんにバイトできている高校生にひそかにあこがれの気持ちを抱いているアイ。
「デブ」と言われ、その屈辱からダイエットに成功し、すっかりきれいになった親友のサユ。
 ふたりの「友情」とそれぞれの「恋」のお話です。
 そのお話のエッセンスになっているのが「花ことば」。
 1巻が「片思い」、2巻が「告白」、3巻が「デート」と、それぞれの作家の書かれた主人公たちの「恋」がどうなっていくか、このあとの展開にドキドキするような作りになっています。
 こういった仕掛けは、アンソロジーとしてははじめてではないでしょうか。

 皆さま、この4冊、どうぞお読みになってください。
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翡翠(カワセミ)

2011年11月17日 | Weblog
         
        
 
 翡翠が、またいつもの公園の、お気に入りの水辺にやってきています。
 
 ノンフィクション作家で、野鳥にお詳しい友人の作家・Kさんに、
「翡翠は夏の季語なのに、なぜ今ごろ飛んでくるのですか?」
 と尋ねたところ、
「翡翠は一年中、飛んでいる鳥ですよ」と。

 それで納得です。
 縄張りなのかわかりませんが、四季折々、翡翠はいつも同じ場所の、同じ枝にとまっています。

 写真は、うしろすがたの翡翠と、横向きの翡翠。
 うしろすがたは、瑠璃色のうつくしい色をしています。
 さすがに、鮮やかな羽をふるわせ、飛び立つ瞬間は撮れませんでした。

         
 同じ名前をした石の「翡翠」(ひすい)。
 「翡翠」(ひすい)はカワセミとは違って、もう少し深いみどりのいろをしています。
 台湾の故宮博物院で、白菜の形に彫刻した翡翠をみたことがあります。
 拙作『勾玉伝説』シリーズ(岩崎書店・フォア文庫)を書いたとき、糸魚川で翡翠の勾玉を買ってきてもらったことがあります。細い革紐に吊されたその勾玉は、いまでもお守りに机の横に下げています。
 いずれも、ふかいみどりのいろをしています。
 それなのに「カワセミ」のことを、なぜ「翡翠」(ひすい)と書くのでしょう。
 謎です。
(白菜の翡翠の写真は、台湾国立故宮博物院よりお借りしました)
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冬支度

2011年11月16日 | Weblog
             

「冬支度」とつぶやいた瞬間、脳裏を過ぎるのは、いつも夕暮れの時間です。
 いまでも私は、秋の日暮れの時間になると、同じような思いにとらわれます。

 そんな思いにひたっていたら、数年前にホームページに書いた、エッセイを思い出しました。
 まさに、こんな気分です。
 こういった気持ちになられる方、かなりいらっしゃるのではないでしょうか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「冬支度」
 暑い暑いと思っていたら買い物にいく途中の公園でアキアカネを見かけ、日が暮れたと思ったら釣瓶落としのように陽が落ちて・・・。
 つかの間の秋を楽しむ間もなく、気がついたら急かされるように冬支度をしている。

 冬のしつらえは、ぬくもりに満ちている。
 冷や奴は湯豆腐にかわり、サラダで食べていた水菜やレタスは、ざわっと土鍋に投げ込み、ポン酢でいただく。
 ガーリックバター炒めにしていた薄切りのかぼちゃは、ふわふわと湯気の立った、ほんのりと甘い煮ものに仕立てる。
 さらには、きのこのたっぷり入った雑炊や、さまざまなお鍋や炊き込みご飯が食卓に並ぶ頃・・・。
 食器たちも冬支度をはじめる。
 繊細な夏用の食器は、しばしの間おやすみ。かわりに、お鍋やあたたかな料理に似合う、ざらざらとした粗めの素材の黒っぽい食器がテーブルに並ぶ。

 また部屋のスタンドのあかりに、ノスタルジーを感じるのも、この頃だ。
 私は蛍光灯の、なにもかも臆面もなくすべてを白日のもとにさらけ出す、あの煌々としたあかりが苦手だ。
 だから家では、部屋中のあかりのすべてを、白熱灯のスタンドと間接照明で統一している。
 暗い場所と明るい場所。そんな陰影が好きだから。

 私がまだ小さな子どもだった頃。あの頃は祖父母も元気で,家族7人元気に食卓を囲んでいた。
 うっすらと記憶の彼方に残っているその頃の光景の、中心を照らしていたのが白熱灯の電球のあかりだったような気がする。いつもなぜか不思議に思い出すのがこの季節の団らんの風景だ。

 口うるさかった祖母が、食卓を囲んでいるときはいつもにこにこしていたなとか。祖母が縫ってくれた綿入れの花模様のちゃんちゃんこはいつも軽くて暖かかったなとか・・・。
 部屋のフロアスタンドのあかりを見ていると、あたたかなぬくもりにつつまれている、セピア色したなつかしい光景が浮かんでくるのだ。

 目に映る日常のすべてが、冬支度を始める頃。
 時に会議などで遅くなり、夕暮れどき家路を急いでいると、ふと雑踏の街角でなぜか迷子になってしまったような気分に陥ることがある。
 そうすると私は、なぜか山の端に陽が落ちて、家々が黒いシルエットにつつまれた、ふるさとの盆地の町を思い出すのだ。
 一瞬、雑踏の賑わいの音が消え、無音の中で私は立ちすくみ、泣きそうになりながら途方に暮れる。

 この年になってなお、そんな風に迷い道に立ちすくむ瞬間は、決まって冷気の忍びよる、こんな冬支度の頃である。
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紅葉

2011年11月15日 | Weblog
            

 桜の葉が、赤く色づきはじめています。
 春にはうつくしい花を、夏にはすずしい木陰を、そして秋には色鮮やかな紅葉を・・・。

 桜の木は、四季折々いろいろなすがたで、私たちを楽しませてくれます。
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骨董市

2011年11月14日 | Weblog
          

 深川の、富岡八幡宮の骨董市に行ってきました。
 夫がお休みの土日には、必ずどこかでランチをしていますが、この富岡八幡宮の近くにも行きつけのお蕎麦屋さんがあります。
 新蕎麦がおいしかったです。

 深川に行くと、まずは深川不動尊にお参りして、お隣の富岡八幡宮でお参りします。
 そして境内の骨董市のあれこれをひやかします。

 そこで見つけたのが、掛け軸。
 年代はいつ頃のものか、わかりません。
 作者も名前と落款は押してありますが、そばにいた目利きの感じのお客さんに尋ねても、よくわかりませんでした。
「でも、これ、いいよ」
 その人に背中を押してもらい、買ってしまいました。

 帰ってきて和室に飾ったら、なかなかいいです。
 和室の雰囲気に溶けこんでいます。
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リョウブの実(?)

2011年11月13日 | Weblog
          

 公園で見つけた、実のなる木。
 そばに「リョウブ」と書いてありました。
 でもネットで調べると、どうも違うみたいで・・・。

 リョウブというのは、「令法」と書くそうです。
 古くから若葉を食用としたり、乾燥保存し、飢饉に供えるよう法令で定めたことから、こういった名前がついたそうです。

 実のなる木で思い出すのが、先週の木曜日の句会に出した俳句。
 あまりお点はいただけませんでしたが、人生の不条理を詠んだ句でした。

 万年青の実(おもとのみ)なぜ赤くなる なぜ落ちる    純子

 おもとは、万年青と書くのに、なぜ万年、青でいず、赤くなるのでしょう。
 なぜ万年、そこに居続けてくれず、実が落ちてしまうのでしょう。
「万年青の実」という季語をみつけたとき、ふと不条理を詠みたい思いにかき立てられました。
 あまり出来のいい句ではありませんが。

         
  
 こうした青い実や、宝石のような赤い実をみると、なぜか私はつい反応してしまいます。
 いままさに、実りの秋たけなわです。
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お歳暮の季節

2011年11月12日 | Weblog
            

 デパートからお歳暮のカタログが届き、年の暮れが近いことを実感します。

 それほどたくさんのところへお歳暮をお贈りするわけではありません。あくまでも、ご無沙汰している親戚などに、年に二回のご挨拶です。
 例年はお歳暮ギフトセンターが開設されると忘れないために、一番に行くのですが、今年はばたばたと忙しくしていて出遅れています。

 三越本店では毎月「ご招待会」というのが行われています。お帳場会員に送られてくるご招待券です。
 本館の6階の特設会場にいくと、担当の外商のかたが出ていらしておみやげのお菓子を下さいます。
 そして買い物にもつきあってくれます。
 私はそれが嫌で、滅多に行きません。
 最近では高島屋もそういった「お得意様会」をやっていて、事前に担当の外商の方からお電話を頂戴したりします。

 でも今月は「ご招待会」を、お歳暮を申し込みにいくついでに、ちょっとのぞいてみようかしらと思っているのは、「おみやげ」の入った紙袋目当てです。
 折々に名店のお菓子を入れた、ゴールドのロゴの入った白い紙袋。
 大きさといい、模様といい、頑丈さといい、バッグに入りきらない小物があるときはとっても便利な紙袋なのです。
 この「ご招待会」でしかもらえない紙袋です。
 大事に使っていましたが、よれよれになってしまいました。
 お店でのお買い物は、定番の紙袋のみ。
 この紙袋を普段から出していれば、きっと、皆さんから喜ばれると思うのに・・・。

(写真は、日頃愛用している新潟・加島屋さんのサイトからお借りしました)
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「児童文学批評の新地平」全3巻(くろしお出版)

2011年11月11日 | Weblog
 評論家であり作家でもある古田足日さんと、評論家の西山利佳さん、同じく評論家の奥山恵さんが、評論集をご出版されました。
『現代児童文学を問い続けて』(古田足日・くろしお出版)
『<共感>の現場検証』(西山利佳・くろしお出版)
『<物語>のゆらぎ』(奥山恵・くろしお出版)
 この3冊です。
 3人の方々の、それぞれの思いのこもったお手紙が添えられ、どんと届きました。
 3冊、全部読んでからのご紹介では、いつになるかわかりませんので、たくさんの方々にお読みいただきたいという思いから、取り急ぎラインナップだけご紹介させていただきます。
            

『現代児童文学を問い続けて』(古田足日)
 現代児童文学の50年の歩みと「書く」とは何かを振り返り、過去に書かれた評論をまとめられたものと、書き下ろし「新しい戦争児童文学を求める」が収録されています。
 まだ冒頭の「童話の世界と子どもの世界」しか読んでおりませんが、そこにあることばの力に惹きつけられました。

「おとなである作者がなぜ子どもにもわかる、あるいは子どもにこそもっともわかる表現の形をえらんだのか。・・・最初に子どもがあったのではなく、それより先にぼくたちが心ひかれる表現があり、ぼくたちは表現のとりこになって児童文学に目覚めたのではないでしょうか。その表現をより深めていくとき、作品のむこうにしだいに子どものすがたが浮かび上がってくるようになる。ひとりの児童文学者の成長はおそらくそういうもので、そこにことばの公共性がはたらくことになります・・・。」(本文より抜粋)
 目次
 一 児童文学を書くとはどういうことだろう
 二   現代の日本児童文学はどのようにあるんできたか
 三 人・その仕事・その課題
 四 社会へー読書運動・教科書問題・子どもの権利・戦争と平和

            

『『<共感>の現場検証』(西山利佳)
「心地よさ」に抵抗し、「感動」の正体を探るとし、
 雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論や、書き下ろしの評論で編まれた評論集です。

「江國香織にふれ、・・・「何が書かれているか」より、「どれだけ豊かなことばがつぎこまれているか」という立場を選ぶ彼女の作品を読んでいると、言葉そのものを追求して不純物をそぎ落とし、とてもシンプルな言葉に行き着いたという印象を受ける。それは子どもにも読める簡単な言葉だ。しかし彼女の作品は読み手を選ぶ。・・・ひとつひとつの言葉は簡単かもしれないが、機能が難しいのだ・・・」(本文より抜粋)
 目次
 一 90年代からゼロ年代へ
 二 意識的に読む
 三 「世界」と児童文学の間で考える

            

『<物語>のゆらぎ』(奥山恵)
 子ども時代からその先へ、人の「ゆらぎ」を描く作品に迫るとし、やはり雑誌『日本児童文学』などに掲載された評論に加え、書き下ろしの評論が収録されています。

「梨木香歩の『西の魔女が死んだ』と、岩瀬成子の『ステゴザウルス』を比較しながら・・・・
 これらふたつの作品を読んで、私はとてもわくわくした気持ちになった、理由はひとつ。これらふたつの作品に登場する女の子は、どちらも、なんとも妙なものに「なる」ことを企てていたからだ。・・・これらの作品以前、日本の児童文学は,子どもが何に「なる」のかということにどれほど豊かなイメージを持ち得てきただろう・・・」(本文より抜粋)

 目次
 一 <自分>のゆらぎ、<物語>のゆらぎ
 二 世界のゆらぎと児童文学
 三 見切れない時代のエンターテインメント

 いずれも骨太の、読み応え満点の評論集です。
「児童文学」を学ぶためのヒントが詰まっています。
 必読です。
 皆さま、ぜひお読みになってください。
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