20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

メゾンカイザー

2019年06月09日 | Weblog

           

           

 コレド日本橋の地下に、「メゾンカイザー」のカフェが入っています。

 そこは、パン食べ放題。

 お料理は、さほど凝ったものは出ずに、パン屋さんですから、メインはあくまでもパンです。

 

 昨日は、私のリップを買いに、銀座三越にするか、日本橋高島屋にするか、悩んだ末、夫が「メゾンカイザー」のパンが食べたいというので、高島屋に決定。

 M・A・Cのリップは、高島屋か、三越の銀座店しか入っていません。

 一緒にお出かけする夫にとっては、リップがどうのより、ランチで何を食べたいかが、あくまでも優先です。

 

 メゾンカイザーの食べ放題のパンは、とにかく美味しく、クロワッサンだけは、お代わり禁止。

 あとは、どれでも希望どうり。

 メニューは単純で、サラダか、スープか、お肉です。それに飲み物が付きます。

 

 朝食は、お野菜をたっぷり入れた、豆乳入りのグリーンスムージーを何倍も飲み、グレープフルーツと赤ぶどう黒酢リンゴ酢を入れた、プレーンヨーグルト。

 ですから、つい簡単なスープを。

 私などは、トマトスープでも、コクを出すために、ツナ缶を入れたり、チーズを入れたりするので、このさっぱり感、ちょっと物足りない気がします。

 夫もそんな顔をしています。

 でもパンが美味しい。

 まだ12時前なのに、外にはすでに行列が・・・。

 やはりパン好きには、このメゾンカイザーのパン食べ放題は、魅力のようです。

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雨の公園の花々

2019年06月08日 | Weblog

           

           

           

 東京も、とうとう梅雨に入ってしまいました。

 

 週二回を目標にしている、腕のリハビリに、今週は、月・金と、昨日、行きました。

 雨が降りそうだったので、100円ショップの小さくて軽い、透明な傘を持参しました。

 公園には、葵、紫陽花、ガクアジサイが、今を盛りと咲いています。

 

 リハビリに行ったら、昨日の担当は、拷問リハビリの先生。

「手が、後ろにぜんぜんいかないじゃん」と、腕を後ろにぎゅっと持って行きました。

 後ろが一番苦手です。ぎゅうぎゅうやられて、痛くてじんわりと汗が・・・。

「90歳を過ぎているおばあさんも毎日、歩いてリハビリに来ているよ。骨粗鬆症で腰が痛いからって。足の筋力トレーニングのためだって。でも雨降りの日は滑って転ぶといけないからってお休み。ああいう人を見ていると、自分も焦って、電車に駆け込んだりしちゃいけないって思う。丁寧に生きなきゃいけないって思うよ。それが長生きのコツなのかなって」

 ついでに

「脳は自分の年齢なんか、絶対意識しないよ。加藤さんなんか、その典型だよね。自分のほんとの年齢なんか、意識して生きてないでしょ?」

「まあね」

「でも体は確実に筋力は落ちているし、若い頃とは違っているんだよ。だから動くときは、脳で動くのじゃなくて、体を意識して動くこと」

「へえ、でもあなたはまだ、20代でしょ?」

「いや、今から、動くときは、焦らず、ひと呼吸、おいてから、行動するってことを心がけているんだ。信号だって変わりそうになったら、一回待つ。そしてゆっくり歩く。俺、アキレス腱、切ったことがあるんで・・・」

 なんだか、若者に、いろいろ教えてもらっているような気分に、だんだんなってきました。

 焦らず、ひと呼吸、おいて、行動する。

 すごい教訓です。

「勉強になりました」

 そう言ってリハビリルームを後にしました。

 

 帰りは案の定、雨が降っていました。

 お隣のイオンでお買い物をして、百均の軽い傘をさして、帰ってきました。

 ひと呼吸、ひと呼吸と、つぶやきながら。

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マイセンのお人形

2019年06月07日 | Weblog

               

               

               

 マイセンの滑稽な表情のお人形。

 楽器を演奏している人たちの、動きや表情をデフォルメしています。

 

 仕事をいくつか抱えていて、忙しく、一つ飲み会をパスしたり、いろいろ工夫していますが、書くことがなかなか前へ進みません。

 腕のリハビリに行くと、肩がすごく凝っていると言われます。

 そのせいで、根気が続かないのかもしれません。

 それに暑かったり、ムシムシしていたり・・・。

 あまりエアコンをつけないのがいけないのかもしれませんが。

 

 このところ、毎日、午睡を15分しています。

 それがまた、気持ちいい。

 お昼寝って、どうしてこんなきもちがいいのでしょう。

 昔は、どんなに疲れていても、お昼寝なんて、絶対できなかったのに!

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梅雨近し?

2019年06月06日 | Weblog

           

 昨晩のベランダから見た夜景。

 不穏な雲に空が覆われています。

 今日は晴れらしいですが、この感じ。

 梅雨入りの近さを予感させます。

 

 これからいよいよ雨降りの毎日。

 傘をさして歩けるか・・・。

 それも課題の一つです。

 会議などで大きなバッグを持って歩くと、中にペットボトルを入れたり、かなり重くなります。

 そういう時は、駅の階段の、上りは大丈夫ですが、下りは不安になります。

 傘を持っての会議などへの外出。

 バッグは手に持たず、ポシェットにするか・・・。

 ポシェットだと書類が入らず、困ってしまいます。

 

 用心深さがないと、骨折で入院していた時の、リハビリの先生に毎日怒られていましたが、いつの間にか、その用心深さが日々の信条になりました。

 けれど、逆に夫からは、「慎重になりすぎている」と注意されます。

 せっかちで粗忽者の私には、怪我をしないためには、それくらいが、ちょうどいい塩梅なのかもしれません。

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ゼリーの季節

2019年06月05日 | Weblog

             

 フォートナム&メイソンの、紅茶のゼリーです。

 冷蔵庫に冷やした、ゼリーのおいしい季節になりました。

 

 先日は娘の家から、運動会観戦のお土産に、千疋屋のフルーツゼリーをもらいました。

 冷たく冷やしたゼリーは、フルーツがたっぷり入っていて、とてもおいしかったです。

 

 今朝は、まだなんとなく疲れが残っていますが、今日はお出かけもせず、仕事です。

 

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結婚記念日&息子の話を聞く会(?)

2019年06月04日 | Weblog

             

 今日は、午後から「フォーラム・子どもたちの未来のために」の実行委員会です。

 7月の京都での「フォーラム」初めての関西シンポジウム。

 すでに250名に近づく勢いで、お申し込みをいただいております。

 

 それが終わったら、夕方、高島屋で夫と待ち合わせ。

 予約を入れてある、特別食堂に入っている、天然ウナギの「野田岩」で、今日は結婚記念日なので「おいしいものを食べる日」です。

 そういえば、先日の同窓会ランチ。

 同じくウナギの「竹葉亭」銀座本店でした。

 女将の別府さんのお話では、どうやら和室ではなかったようです。

 楽しかったと、そこに出席した、仲良しの友人からお電話をいただきました。

 彼女とは7月初めに、2人でランチをします。

 

 食べ終えたら、西五反田の「ゲンロン カフェ」へ。

   息子の大学院時代の研究室の大先輩、五十嵐太郎さんと息子の対談を聞きに行くのです。

 ゲンロンニコニコ動画、完全中継チャンネルというのがあって、自宅でもリアルタイムでみられるそうです。

 創作教室のTさんに教えていただきました。(何しろ場違い感、半端ない感じです。それを知っていれば、それで見たのに!・涙)コピペしてご覧ください。

 https://ch.nicovideo.jp/genron-cafe

 

 小学生の子どもの学芸会を見学に行くわけではないので、隅の方で小さくなって聞いて、終わったら、さっさと帰ってこようと話しています。 

(写真は、野田岩からお借りしました)

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枇杷・琵琶?

2019年06月03日 | Weblog

           

 毎朝、朝ごはんを食べながら、TVニュースの「検定コーナー」の質問に答えています。

 毎月、120点くらいは行きます。

 

 先日は、枇杷の語源は?というのが検定に出ました。

「琵琶法師」の、弾いている琵琶の形にそっくりだから、これ、「琵琶」と。

 あたりでした。

   しみじみ枇杷を見て、本当に、琵琶の形に似ているなと思いました。

 

 そういえば、秩父の祖父が昔、「ジャガイモ」のことを「ジャガタラ芋」と言っていました。

 年とった人は、言い方がくどいなと、口には出しませんでしたが、思っていました。

 この「ジャガタラ」、インドネシアのジャカルタの古称だったそうです。

 ジャカルタのジャワ島から渡来した、食べ物だから「ジャガタラ芋」

 

 頭痛持ちの家系は、どうやら祖父からのようで、祖父は頭痛になると、紫のハチマキで、ぎゅっと頭をしめて寝ていました。

 トイレに行く時だけ、ハチマキをしたまま、部屋から出てきます。最初は吹き出しそうになりましたが、慌てて口を押さえました。

 それも歌舞伎などや歴史などからの、祖父なりの美意識だったようで、(よく、あんな長い、濃い紫色のハチマキのようなものがあったものだと、思っていましたが)いつも、祖父や祖母を笑わせていた、孫の私は、そういう時は、静かにしんとしていました。

 

 祖父が亡くなって、かれこれ50年。

 テレビの検定コーナーのおかげで、やっと祖父の「ジャガタラ芋」の、謎が解けました(笑)。

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波の格子のリズム

2019年06月02日 | Weblog

             

             

 

 天然木の栂(つが)と、御影石で、流線型の格子を作っています。

 日本橋室町あたりです。

 

 江戸の格子の風流さを表すように、こうしてまるで波のようなリズム感を刻ませています。

 デザインの美しさに惹かれます。

 

 五月も連日のように予定が入っていましたが、6月前半もカレンダーが埋まり始めました。

 でも、まだ飛び飛びなので、合間に仕事をしなくては。

 

 仕事部屋で、パソコンに向かっていてふと下を見たら、近所の小学校が、どうやら今日は運動会のようです。

 どうも鼓笛隊の練習、ダンスの練習などの音楽が、連日、聞こえてくると思いましたが・・・。

 選手宣誓が聞こえます。

                         

 楽しい運動会になりますよう・・・。

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卯の花くたしと、エトセトラ。

2019年06月01日 | Weblog

             

 今日から、水無月。

 風を感じる、風待月という異名もあります。

 

 蒸し暑い日が続くと、風が恋しくなります。

 ささやかな風を待ちながら・・・。

 6月は梅雨に入る季節でもありますから、ムシムシした鬱陶しさを想像しただけで、この異名の言葉に惹かれます。

 

 梅雨の、この季節の、好きな季語。

「卯の花くたし」

 卯の花は、空木(ウツギ)のことです。(写真、下、ネットでお借りしました)

            

 でも、卯の花と聞くと、お豆腐のおからを連想する人もいるかもしれません。

 空木のことを、卯の花といい、その花が腐ってしまうくらい続く、長雨のことを「卯の花くたし」といいます。

 

 それから、この季節、聞きたくなる歌。さだまさしの「つゆのあとさき」

 https://www.youtube.com/watch?v=1DIJ8ZGs5jc

(コピペして、お聴きください)

 

『つゆのあとさき』は、ご存知『濹東綺譚』の永井荷風の作品名です。

「つゆのあとさき」という言葉の、その美しさに惹かれ、作り上げたと思われる、別れの歌です。

 彼の歌の詩は、そうした過去の名作からヒントを得て、生み出したものが多いです。

『檸檬』は、梶井基次郎の有名な名作の作品名です。ただ舞台は、京都・丸善ではなく、神保町・三省堂近くの聖橋です。

「サナトリウム」という曲は、堀辰雄の『風立ちぬ』に出てくる「サナトリウム」という言葉から連想した世界ですし、「晩鐘」はミレーの絵画。

 

 そんな、彼の創作の手法に、30代初め、とても刺激を受けたものです。さだまさしの『時のほとりで』という新潮文庫から出た作詞集を買って読んだくらいですから。

 ちなみに、もう昔のことなどで、いろいろバラしちゃいますが、さだの『時のほとりで』の次には、『中島みゆき歌集 1975~1986』(朝日文庫)も買って研究しました。

 ちょうどその頃、登場してきたのが、竹田青嗣の『陽水の快楽―井上陽水論』(河出書房新社)です。

 文藝評論家の竹田青嗣が、井上陽水を論じるという、新しい評論の到来に、胸をワクワクさせたものです。

 陽水の、あの分裂した、ありえない言葉の連なりに、逆に、ある種、哲学性を感じたりしたものです。

 「たとえば彼が描くのは、耳当たりのいい、頽落した都会のエロス的幻影だ。しかしその底には、かすかな不幸を孕んだ「めまい」が聴こえる」(陽水の快楽、より)

 評論家の視点から、さだまさしは論じても面白くないが、陽水はどうにも気にかかる・・・。

 そんな竹田青嗣の思いが、よくわかります。

 さだまさしの、美しい日本語から選びとられた言葉とは違った、新しさがそこにはありましたから。

 

 とはいえ、音楽です。

 歌詞の、深いストーリー探しはせず、言葉の美しさとメロディーの豊かさだけに身をまかす・・・。

 それが、さだまさしを聴く流儀です(笑)。

 30代初め、さだまさしの、そんな、言葉のセンスが好きでした。

 

 でもまさか、あんなおじさんになるとはね(笑)。

 私も「まさか、あんなおばさんになるとはね」と言われているかもしれませんから、人のことは言えませんが(笑)。 

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