東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

神経痛と運動の意義〜実体と機能〜

2020-06-17 08:42:00 | 運動・鍛錬・リハビリ
 今朝、脚の筋肉の衰えに気づいた。運動の大事性、その意義を改めて考えさせられる。

 5月下旬に始まった神経痛が続いている。当初は腰から臀部、下肢にかけての怠痛い感覚、違和感と言っていいレベルのものであったのが、運動や鍼灸、指圧による寛解を何度か繰り返し、次第次第に神経的な違和感から腰を屈める時に激痛が走る神経痛という状態へとなっていって、現在、ようやくにピークが過ぎて......という状態である。

 それゆえに、この半月ほどの間、自宅と駅の往復もバス、梅雨の雨で足元も雪駄では無くサンダル(雪駄は雨に弱い)、職場でも施術の合間は座って、腰臀部のストレッチ をしているのが通常の毎日になっていっている。

 その過程を持っての、結果としての、今朝の脚の筋肉の衰えの実感、「脚痩せちゃったなあ。神経痛を言い訳に、日常の運動をサボったものなあ。」であった。

 そこから、「日常的に歩く、立つが減ると、脚の筋肉ってこんなにも衰えるのか!」と、筋肉という実体は運動という機能によって保たれている、その発達のみならず保持にも運動=機能させることの必要性、そもそもの個として筋肉や骨という実体は機能させること=運動によって育まれたものであるということ、それ以上に、生命の歴史に尋ねれば、筋肉のみならず生命体の進化=実体の発展というものは、地球の激変に合わせての運動=機能が実体化していったものである(観念論かな?)ということに思い至った。

 そのように思えると、運動の大事性、必要性が、痛感されることになった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 神経痛〜機能としての〜 | トップ | 運動すると筋肉(骨格、神経、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。