(2015/11/19の記事再録......コメント追加)
カレーについて、改めて考えた。「すべては疑いうる」(マルクス)の言の大事性痛感する。
このところ、薬膳という視点から、スパイスとココナッツミルクを使ったカレーを試している。調理についても慣れてきて、それなりに美味しいと思え、かつ薬膳的効果が感じられるものが安定して出来るようになってきた。
「カレーな薬膳」(渡辺玲著 晶文社刊)を読んで、メティカレーを試してみて、それなりの効果らしきものを実感できたこと、加えて、デッカオ(北新地のスリランカカレー店)でスリランカカレーを食べて体調が良くなる実感があったことが、カレー作りに取り組み始めたきっかけであったのだが・・・・・・。
そもそも、人間にとって食とは何か?と言えば、本質的には生命体と地球との相互浸透の一形態であるのだから、そしてそれは出来ることならば、人間の手の加わらない、いわば生の地球との相互浸透であることが望ましいのだから、なるべくならば加工食品の類は避けた方が良い。ということは常識なのであるが、それのみならず、その人間(単なる個人のレベルでだけではなく民族としても)の生まれ育った環境との相互浸透が必要である。食についてもそうである。ということを「学城13号」、「武道空手上達のための人間体を創る『食事』とは何か(2)」で説いていただいた。と捉えた。これは、食についても個体発生は系統発生を繰り返す必要があるということと思う。
そういう観点から、カレーとはどういう意義を持つのか?と考えると、日本食にないスパイスやココナッツミルクの体調を整えてくれるという面は良いのだけれども、日本人のDNAに馴染んだ食であるか?と考えると「?」であると思う。
結論を、日常語で言えば、薬膳としてのカレーは、加工食品の様に出来る限り避けるべきものではないが、常食にすべきものではないと思う。体調が落ちた時に、整えるために食べる程度に止める必要があるのではと思える。
このところ、薬膳という視点から、スパイスとココナッツミルクを使ったカレーを試している。調理についても慣れてきて、それなりに美味しいと思え、かつ薬膳的効果が感じられるものが安定して出来るようになってきた。
「カレーな薬膳」(渡辺玲著 晶文社刊)を読んで、メティカレーを試してみて、それなりの効果らしきものを実感できたこと、加えて、デッカオ(北新地のスリランカカレー店)でスリランカカレーを食べて体調が良くなる実感があったことが、カレー作りに取り組み始めたきっかけであったのだが・・・・・・。
そもそも、人間にとって食とは何か?と言えば、本質的には生命体と地球との相互浸透の一形態であるのだから、そしてそれは出来ることならば、人間の手の加わらない、いわば生の地球との相互浸透であることが望ましいのだから、なるべくならば加工食品の類は避けた方が良い。ということは常識なのであるが、それのみならず、その人間(単なる個人のレベルでだけではなく民族としても)の生まれ育った環境との相互浸透が必要である。食についてもそうである。ということを「学城13号」、「武道空手上達のための人間体を創る『食事』とは何か(2)」で説いていただいた。と捉えた。これは、食についても個体発生は系統発生を繰り返す必要があるということと思う。
そういう観点から、カレーとはどういう意義を持つのか?と考えると、日本食にないスパイスやココナッツミルクの体調を整えてくれるという面は良いのだけれども、日本人のDNAに馴染んだ食であるか?と考えると「?」であると思う。
結論を、日常語で言えば、薬膳としてのカレーは、加工食品の様に出来る限り避けるべきものではないが、常食にすべきものではないと思う。体調が落ちた時に、整えるために食べる程度に止める必要があるのではと思える。
【素材を日本の素材にすることで、日本人の食と出来るのでは無いのか?いくつかのスパイス類は仕方無いとして、野草類、例えばヨモギを使うとか、生姜を使うとか、味噌を使うとか......問題は食材であって、その調理方法では無い筈。
また、油の加熱、過熱には注意を要する。ココナッツオイル等の過熱に強いものを少量、あるいは油を使用しないという選択も】